MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 93 - ホアロー収容所①(2019年10月6日/36日め)

2019年10月6日 ホアロー収容所で。穴の小ささに、胸がつまります。


10月6日


ホアロー通りを歩いて、ほどなく、
今日の目的地である、「ホアロー収容所」に到着しました。


ホアロー収容所は、1896年に開設された、監獄です。
当時のベトナムを統治していた、フランスによって造られました。
最も多い時で、2000人もの人を収容していたといいます。


この収容所では、
ベトナム独立革命に参加した多くのベトナム人が、
政治犯として捕らえられ、
拷問の末に命を失いました。


また、後のベトナム戦争時には、
北ベトナム軍が、
アメリカ兵捕虜の収容所として利用しています。


フランス占領時代のベトナムというのは、
日本人にはあまりなじみがないので、
ここを訪れる日本人は、多いとは言えません。
日本のツアーでは、まず訪れることはないでしょう。
たしかに、私が訪れたときも、
見学者は欧米人ばかりでした。


が、観光化され、明るいイメージのベトナムに、
過去、どんなことがあったのか。
それを少しでも知っておきたいと思い、
この地を訪れることにしました。


ホアロー収容所の入り口です。まるでフランス料理のレストランのようなおしゃれな雰囲気ですが、この中には、ベトナムの悲惨な歴史がつまっています。

入り口の隣りにあるチケット売り場で、入場券を買いました。入場料は30000ドン(約150円)です。なぜか、日本人だとばれていて(笑)、「日本語のパンフレットが**ドルだけど、買うか?」と聞かれ、思いきりノーと言ってしまいした(苦笑)。

入り口を入って右方向に歩きます。館内は広いのですが、こんなふうに案内の標識があるので、これに従って歩けば、迷わずに見ることができます。

はいってすぐの部屋では、当時、収容されていたベトナム人が使っていた物品が展示されています。

アルミの食器類。

ヤシの実を利用して作った、お椀とスプーン。

収容されたベトナム人の写真。全員が、首に枷をつけられていました。

これも当時の写真です。首に枷、そして足も、穴のあいた板で固定され、動けないようになっていました。

隣りの部屋では、実物大に作られた、何十人もの囚人の人形が、当時のようすを再現していました。

部屋の右側と左側に囚人が並び、彼らに囲まれて、その間の通路を歩くのは、言いようのない気持ちです。

足を固定するために使われた、鉄製の枷。


その次の部屋には、独房が再現されていましたが、
暗くて、ここの写真は撮れませんでした。
このあと、小さな中庭のような、通路にでました。
そこで、驚くものを見ることになります。


瓦礫のようなもの。中は空洞になっていて、小柄な人ひとりがなんとか通れるくらいの、小さな穴です。これは、収容所地下の下水溝でした。

1951年12月24日、この下水溝から、5人の政治犯が脱走し、レジスタンス活動に戻ったのだそうです。

同じようなものが、さらにもうひとつありました。

反対側から見たところです。

1945年3月11日の夜から16日にかけて、16人の政治犯がこの下水溝から脱走しました。その中の5人が、脱走に成功し、再び、レジスタンスに加わったそうです。


ドラマの「プリズンブレイク」のようなことが、
実際に、この地では起こっていたのですね…。


「下水溝で、脱走のための穴を掘る人」を再現した人形も、展示されていました。

牢獄に入れられながらも、闘争の声を上げる人々の絵。


このあと、見学路は、売店に続きます。
売店でお土産物を見て、少しだけ休憩したあと、
二番目のエリアへと入ります。


そのエリアでは、さらに悲惨なようすを見ることになりました。
そこはなんと、「女性や子供のための収容房」だったのです。


(つづく)

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