MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 57 - フンイェンへ里帰り④ ちょっとお散歩(2019年9月21日/21日め)

2019年9月21日 フンイェンの仏塔。


9月21日


お昼ごはんも終わり、特にすることもないので、
2時間ほど、あたりを散歩してくることにしました。


私がひとりで出かけるというと、
タムさんは心配して、
いつも大騒ぎしていたのですが、
この頃から、すんなりと出かけさせてくれるようになりました。


「なにを言っても、この人は出かけていく。」とか、
「不思議なことに、何の問題もなく、時間どおりに帰ってくる。」とか、
「この人は、どこへでもひとりで行くし、大丈夫らしい。」とか、
だんだんわかってくれたみたいです。笑
なかばあきらめ顔で、
それでも黙って見送ってくれるようになってきたのが、
この頃からだったように思います。


「MIYOさん、待って。日傘を持って行って。」と追いかけてきたタムさん。やっぱり、ウルサイ(笑)。隣りは、妹・ハンさんのご主人、ビンさん。芸能人並みのイケメンでした。笑


さて、今日も、一人歩きを開始します。
田舎なので、なにがあるわけでもないのですが、
この頃は、とにかく、
歩くのが楽しくてしかたなかったのです。^^


この道路を、一時間歩き続けて戻ってくることにしました。これなら迷いません。笑

歩道で家具を作っているお店。とうとう、歩道が工場になりさがっています。笑

この通りには、家具工房が20軒くらい連なっていたのですが、どこのお店も、歩道が作業場です。どうしてこうなるんでしょうねえ。笑

これは笑えます。歩道を勝手に改造し、段差をつけて、その段差を家具の固定具として使っていました。

段差に家具を固定させて、彫刻作業を行っています。こんな細かい作業を公道でやっているなんて、日本では考えられないですよね。

通りの左側も…、

右側も、家具屋さんばかりが並んでいました。作業は、歩道でやるのがお約束です。

私よりも背が高い時計。こんな大きいの、一体誰が買うのでしょうか。

派手なお寺を発見。^^

少しだけ扉が開いていたので、入ってみることにしました。

だ~れもいない境内を、しばし散策。

最後は、大通りから路地に入ってみました。川に舟を浮かべ、作業をしている男性。

小さな路地、と思っていた小径は、家並みを抜けると、はるか向こうまでまっすぐに続く、一本の道になっていました。街路樹の緑がきれいです。

そして、その道路の右手に広がるのは、延々と続く、水田。「ベトナムのお米だぁ…。」ただそれだけのことなのに、なんだかとても感動して、しばらくのあいだ、この景色を眺め続けていました。


帰り道にも、いろんな光景に出会いました。
このころは、とにかく、目にはいるものが、
なんでも面白くてしかたなかったのです。
(いや、今も、あまり変わっていませんが。笑)


さとうきびの皮をはがしている女性。

これまた歩道で、カーテン洗いに没頭している女性。手伝っているのは、だんなさんのようです。家の前の歩道は、洗濯場でもあるんですね。^^

そして、元の場所に戻ってきました。大通りを左に曲がって少し歩くと、見えてきました。手前の家が、ハンさんの韓国料理店、「ハン・キムチ」です。


ハノイから車で2時間ちょっと。
どうということのない、田舎町、「フンイェン」。
たぶん、ここに来た日本人って、
私が初めてなんだろうなあ…。


そんなどうでもいいことが
少しだけうれしかった、夏の午後。
照りつけるような日差しが降り注ぐ、暑い一日でした。


(つづく)

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