MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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骨折でも信州2。小諸から千曲へ 6 - 小諸本陣主屋、大手門、そして小諸宿 本町へ(2024年11月14日/1日め)

2024年11月14日 小諸城址・三の門で。(長野県小諸市)


11月14日(木)- 1日め


約1時間かけて、
小諸城址 懐古園を歩きました。


二の丸跡の高い石垣に沿って歩けば、出口はすぐそこです。

三の門まで戻ってきました。

どっち側から撮るかで、さきほどは夫ともめましたが…。😅

結局、こっちが良いようです。🤣


時刻は午後3時。
お宿のチェックインは始まっているので、
このまま行ってしまいたいところですが、
多動夫といっしょなので、そうはいきません。
町歩きは、まだまだ続きます。😓


三の門をくぐり抜け、町の方に向かって少し歩くと、立派な建物が見えてきました。

小諸本陣主屋(こもろほんじんおもや)と書いてあります。


【小諸本陣主屋】
小諸城の城下町に発展した宿場町を、小諸宿といいます。小諸宿では、江戸初期に本陣が設けられたため、諸国の大名行列を迎え、多くの貴人も休泊しました。江戸中期には、寛保の大洪水で被災したため、本陣は問屋場の敷地内に移転。その後は、小諸宿のさらなる中心施設となり、繁栄を誇りました。しかし明治期になると、本陣は廃れ、佐久市の寺に移築されて庫裏となってしまいました。その本陣が再び小諸に戻ってきたのは、1995年(平成7年)。現在の本陣は、18世紀末から19世紀初頭に建築されたものを可能な限り忠実に再現したものです。そして2023年(令和5年)、この建物に宿る歴史と風情を生かしたレストラン「KOMORO HONJIN OMOYA(小諸本陣主屋)」として再生しました。


この、かつての本陣を再生した建物が…、

今ではなんと、イタリアンレストランですよ…。😮

店内です。ここで、ぜひ食事してみたいです。😄(画像をお借りしました)


この日の夕食をここで…と思いましたが、
幸か不幸か、今回のお宿は二食付きです。
今夜はお宿で晩ごはんをいただく予定なので、
あきらめました。😔


たわわに実をつけた柿の木があまりにきれいで、歓声をあげながら歩きました。^^

ほどなく、大手門に到着。

ここから、小諸城に入ったんですね…。^^


大手門
小諸城の正門として、1612年(慶長17年)に仙谷秀久によって創建されたと言われています。華美な装飾を省いた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築のひとつです。平成の時代に、小諸市によって大改修、復元修理が行われ、創建当時の姿が甦りました。


大手門の反対側。


これで、小諸城址の見学は終了。
次は、小諸宿の町並みを見に行きます。


こんなマンホールがありました。大手門が描かれています。^^

少し歩くと、古そうな酒屋さんが見えてきました。どうやら、めざす北国街道の、「小諸宿 本町」に着いたようです。

古そうな町並みが、ずうっと続いています。


正直言ってMIYOは、
お城よりもこんな町並みを見る方が、
ずっとおもしろいんです。😅
ということで、早速、歩き始めました。


(つづく)

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