骨折でも信州2。小諸から千曲へ 7 - 北国街道 小諸宿① ほんまち 町屋館 / 味噌・醤油醸造元 清水屋(主屋)(2024年11月14日/1日め)
2024年11月14日 大正から昭和にかけて、味噌・醤油醸造元だった清水屋の帳場で。(長野県小諸市)
11月14日(木)- 1日め
小諸城址 懐古園を後にして、
次は、小諸市内にある、
北国街道 小諸宿を訪ねました。
そもそも、北国街道ってなに?
…って話なのですが。
北国(ほっこく)街道を、MIYOは、
「きたぐにかいどう」と呼んだくらい、
なんの知識もなく、
ここまで来てしまいました。😅
今さらでしたが、帰宅後に調べたことを、
ここに少し書いておきます。
これが北国街道で、追分宿から高田宿までになります。(画像をお借りしました)
長野県の部分を拡大すると、こうなります。起点(追分)の次にあるのが小諸宿になります。(画像をお借りしました)
【北国街道と小諸宿】
北国街道は、信州(現在の長野県)から越後(現在の新潟県)、そして北陸地方に至るルートで、多くの宿場町が点在していたことでも知られています。起点は、江戸へつながる中山道の追分宿で、ここから、日本海に面した越後の高田宿までをつなぐ、約140キロメートルにおよぶ街道でした。
この街道は、越後から塩や米を運ぶ道として、また、信州・善光寺への信仰の道としても知られていました。江戸初期には、佐渡金山から金銀が産出され、これを江戸に運ぶ重要な道となりました。
さらに、参勤交代が制度化されると、加賀藩や高田藩などの北陸諸藩だけでなく、日本海沿岸諸藩の大名が、この北国街道を往来することとなりました。とりわけ、加賀百万石の大名行列は、総勢五千人の規模となることもあり、北国街道は大いに賑わいました。
街道の宿場には、格式のある宿として本陣や脇本陣が置かれ、武士や公家など、地位の高い人々が利用していました。本陣は、大名や皇族などの特別な地位の人々だけが宿泊しました。一方、脇本陣は大名の家臣、武士や公家、役人が宿泊し、町人の宿泊も許されていました。
「小諸宿 本町」は、北国街道の歴史的な町並みが今も残っている地区として知られています。
…ということで、
その「本町」地区をにやってきました。
まずは、「北国街道 ほんまち 町屋館」へ。
【北国街道 ほんまち 町屋館】
江戸時代前期、ここには、街道で運ばれる荷物を中継ぎする問屋場があり、小諸宿の中心となっていました。この建物は、1923年(大正12年)に建てられたもので、味噌・醤油醸造元の清水屋の店舗でした。当時は、主屋の奥に、醸造や保存のための蔵がいくつもありました。
主屋は、いかにも大正時代らしい大空間で、表に面したガラス戸、格子、腰壁も、この時代に流行っていたモダンなデザインです。土間には、荷物を運ぶために設けられたトロッコ線路が現在も残っており、清水屋が使った醸造の道具や仕込み桶も展示してあり、味噌醤油醸造元の歴史を知ることができます。
この建物で、昭和40年代までは、清水屋が味噌・醤油の醸造業を営んでいました。その後、2000年(平成12年)、小諸市の施設となったときに、当時の商家の造りをそのままに活かし、会議や展示、イベントなど多目的に利用できる施設として整備されました。その際、大正時代の主屋と中庭はそのまま活かし、奥の蔵は新しいデザインで建て替え、主屋脇にも修景門を作りました。
2001年(平成13年)には、ほんまち町屋館としてオープン。浅間山などの眺望を活かした小公園、休憩施設、公衆用トイレを併設し、本町の情緒あふれるたたずまいに調和した施設となっています。
「ほんまち 町屋館」は、2006年に、国の登録有形文化財となりました。
入口を入ると、土間に続いて、まずは帳場があります。
帳場の壁に掛けられた時計。SEIKOSHA(精工舎) と言う小さな文字を確かめて、ちょっとうれしくなりました。定年退職した今となっては、どうでもいいことなのですが。^^
帳場の奥にある和室です。
庭に面して、さらにもうひと部屋あります。
縁側のつきあたりに、2階へと続く階段がありました。
2階部分です。手前に2部屋(各8畳)、左側に1部屋(20畳)で、計3部屋ありますが、襖をすべて取り外して大広間にすることもできそうです。
左側の細長い広間は、床の間や違い棚、付書院を設えた書院造り。
どの部屋も、壁や障子が交換され、
掃除も行き届いています。
貴重な建造物を、行政や地域の方々が
大切に維持しておられることに、
頭が下がりました。
窓の向こうには、別棟の屋根が見えました。
窓に近づいてみました。どうやら蔵の屋根のようです。
ちなみにこれは、反対側から撮った、蔵の全景。
再び、主屋です。1階から2階へ上がる階段には、さらに続きがありました。この先にも、広い板の間がありましたが、現在は物置になっていました。
主屋の1階と2階の見学を終え、
再び1階の帳場に戻りました。
帳場の手前は土間があり、さらに奥の方までつづいているのですが、ここには、トロッコ線路が敷かれています。これは、店舗の前に運ばれてきた荷を、奥の作業場や蔵へ運ぶためのものでした。
次回は、このトロッコ線路に沿って歩き、
主屋の隣りにあった蔵まで行ってみます。
(つづく)