MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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骨折でも信州。8回めの須坂へ 14 - 田中本家博物館④ 江戸時代料理 再現食事会(大平、蓋茶碗、飯、漬物、汁、番茶と菓子)(2024年10月17日/2日め)

2024年10月17日 田中本家博物館・「江戸時代料理 再現食事会」で。長野県須坂市)


10月17日(水)- 2日め


田中本家博物館に来ています。


「江戸時代料理 再現食事会」の、後半です。


輪島塗の大きな器です。

大平:家鴨、婦久羅計煮浸、擬製豆腐、鱈切身霰柚子、巻鶏卵、慈姑、氷蒟蒻、青菜
輪島塗 皆朱大平 二十人揃


「家鴨」という鴨は存在しません。
ここで言う家鴨とは、
「家に居た鴨」と言う意味だそうです。
鴨によくあるしつこさがなく、
すっきりとしたお味でした。


そして「婦久羅計(ふくらけ)」とは、
ブリの子ども時代の呼び名です。


「氷蒟蒻」は、いったん凍らせた蒟蒻です。
凍ることによって水分が抜けますが、
代わりに食物繊維が凝縮します。
通常の蒟蒻と異なり、
コリコリとした食感を楽しめます。


右奥にあるのが婦久羅計煮浸。そして左奥が巻鶏卵(だし巻き卵)です。中央は左から、氷蒟蒻、鱈切身霰柚子、そして擬製豆腐。手前には、家鴨、青菜、慈姑。

中央の「鱈切身霰柚子」には、「あられ状に切った柚子」が散らしてあります。鱈とマッチして、すっきりとした味わいです。大平には8種類ものお菜が盛られていて、ひとつひとつを楽しみながらいただきました。

次のお料理は、蓋茶碗でいただきました。

蓋茶碗:鯛切身、簾麩、菊餡、焼茄子
伊万里焼 唐草模様 蓋茶碗

なぜか、揃いの小皿が付いています…。


ここでご当主が、
「たいへんな間違いを
 おかしてしまいました…。」
と、爆弾発言。


これまで、何度もお食事会に参加していますが、
こんな手違いは、今までになかったことでした。


なんと、次のごはんを盛るための蓋茶碗に、
この料理を盛りつけてしまったのだそうです。
つまりこの器は、ほんとうは、
このあとのごはんを盛るためのものでした。
隣りにある、揃いの小皿には、
お漬物がのるはずだったのでしょうか…。^^


つまり、2種類の蓋茶碗を取り違えて
盛りつけてしまったわけですが、
そんなことは、(少なくとも私たちは)
言われなかったら気がつかなかったのに。
一同、大爆笑。


小さなハプニングはありましたが、
和やかな雰囲気の中で、
お食事会は進んでいきました。^^


間違えて使われてしまった蓋茶碗と揃いの小皿。ほんとうは、次のごはんのための器でした。^^

そしてこちらが、本来使われるはずだったもの。笑 なるほど、これはたしかに間違えやすいですね。

飯:茸ごはん
伊万里焼 人物模様 蓋茶碗
漬物:須坂丸茄子味噌漬
伊万里焼 染付八角草花模様
汁:木耳、豆腐、青菜
輪島塗 内朱外青 利休杉

ほんとうは、ひとつ前の料理に使われるはずだった、伊万里焼 人物模様 蓋茶碗。

蓋の裏にも、揃いの絵が描かれています。


この器には見覚えがある…
と思って、過去の日記を調べてみたら、
ありました。^^


2021年3月のお食事会で。このときは、1849年(嘉永2年)1月に、上田藩、飯山藩、須坂藩の御家老方をおもてなししたときの、「新年ご接待料理」の再現食事会でした。この器は、最後のごはんとして登場。お正月のおもてなし料理だったので、七草粥が盛られていました。
このときの日記です。
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 13 - 田中本家博物館の江戸時代料理再現食事会②(2021年3月27日/2日め)

側面です。お正月らしく、凧揚げで遊ぶ唐子が描かれています。^^


おいしいお酒もいただいて、お腹がいっぱいになりました。^^

番茶と塩栗らくがん(小布施・塩屋櫻井)
伊万里焼 染付山水模様


塩栗らくがんは、
ほのかな塩味(えんみ)があり、
すっきりとした味わい。
普通の落雁よりもおいしかったです。^^


【塩屋櫻井】
小布施で約200年の歴史を持つ、老舗の栗菓子店です。1808年(文化5年)に、当時塩屋櫻井の主であった塩屋櫻井幾右衛門が栗の粉を素朴な型のらくがんに仕上げ、「栗らくがん」を製造しました。このことが、「小布施の栗菓子の始まり」とされています。まさに、小布施の栗菓子の歴史を語るには切っても切れないお店です。


小布施の栗菓子というと、いちばん好きなのは、桜井甘精堂の「ひとくち栗かの子」。(画像をお借りしました)


ふたつのお店は、どちらも、
櫻井幾右衛門を祖としており、
その後枝分かれしていったようです。


【小布施の栗】
小布施の栗の歴史は、今からおよそ六百年前の室町時代に始まるといわれています。当時、この地方の領主だった荻野常倫が、故郷・丹波国から栗をとりよせて植えたのが始まりと伝えられています。小布施の土壌が栗の育成に適していたため、江戸時代には、うっそうとした栗林が広がる土地になったということです。小布施栗は品質がよく美味であったため、やがて松代藩が、毎年秋に将軍家に献上する習わしとなりました。それにより、「小布施の栗」の名を天下に広めたといわれています。この栗を用いて初めて菓子を作ったのが、初祖・桜井幾右衛門でした。


最後に、第12代ご当主と写真を撮らせていただきました。


2時間近くにわたって、
ご当主のお話を伺いながら、
貴重な器と数々のお料理を堪能しました。
素晴らしいお食事会を、ありがとうございました。


この日のお料理の写真です。(田中本家博物館のサイトから、画像をお借りしました。素材については、日によって若干異なる場合があります。)

これで、主屋で行われた再現食事会が終わりました。


このあとは、ご当主に案内していただきながら、
田中本家博物館を見学します。


(つづく)

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