骨折でも信州。8回めの須坂へ 13 - 田中本家博物館③ 江戸時代料理 再現食事会(盃、徳利、壺、吸物、刺身、焼物)(2024年10月17日/2日め)
2024年10月17日 田中本家博物館で。(長野県須坂市)
10月17日(水)- 2日め
田中本家博物館に来ています。
「江戸時代料理 再現食事会」
が始まりました。
お食事は、田中本家 主屋の広間で、秋の庭をながめながらいただきます。
本日いただくのは、「嘉永元年(1848年)十月 上田藩奉行 大平多喜治様ご接待料理」です。
盃:澄酒
皆朱引き盃 輪島塗
徳利:澄酒
九谷焼 赤絵人物模様
お酒は、地元須坂・遠藤酒造場の「渓流」。
ふくよかな香りで喉ごしがよく、
とてもおいしいお酒です。
徳利は、ひとりに1本ずつ出されるのですが、
夫は運転するため、飲めません。
もったいないので、毎回、MIYOが、
ひとりで2本、がんばって飲んでます。笑
今回は、後ろのテーブルの方から、
「3人で3本を飲みきれないので」と、
さらに1本をいただきました。
計3本。😮
夫は、下の受け皿を外して撮っていました。この方が絵柄が全部見えますね。でも夫はやたら近づいて撮る癖があるのが、残念なところ。このときも、徳利の端が切れています…。😔
夫は、
「がんばれ。飲むんだ~。」
と言いますが、
さすがに、MIYOひとりで3本はムリです。
どうしようか、と二人で相談したあげく、
たまたま、MIYOのバッグの中に、
お茶のペットボトルがあったのを思い出し…。
少しだけ残っていたお茶を、夫が飲み干し、
その中にこっそりと、
徳利1本分の「渓流」を入れました。😓😓
このお茶のボトル、もといお酒のボトル。
翌日、東京に持ち帰り、晩ごはんといっしょに、
おいしく、おいしく、いただきました。
当日、お酒が飲めなかった夫は、
1日遅れで「渓流」を飲むことができて、
たいへん喜んでおりました。🤣
壺:蛸、菊花、青菜
輪島塗 皆黒二十人揃 壺
同じ器が二十人分揃っているというのも、接待が多かった、豪商・田中本家ならでは。美しい塗りが、当時のままに残されているというのもすごいです。
柔らかく煮た蛸がおいしい。^^ トッピングの小豆になごみながらいただきました。
吸物:鮟鱇、孟宗竹、口山椒、生麩
京漆器 蒔絵紅葉内模様
蓋を取ったとたんに、わぁ…と、ため息が出ました。
内側に広がる、紅葉の世界。「京漆器 蒔絵紅葉内模様」の「紅葉内模様」とは、このことだったんですね。^^ 秋らしい、素晴らしい漆器です。
肝心のお料理ですが…。
鮟鱇(あんこう)、孟宗竹、口山椒、生麩の入ったお吸い物でした。具がたっぷりで、食べ応えのあるお吸い物でした。孟宗竹は、茹でて塩水につけたものを、北前船で九州から運んできたそうです。
ここで、お茶が運ばれました。
煎茶
清渡り 白磁煎茶碗
「清渡り」とは、清(中国)から渡来した、
という意味です。
つまり、清朝時代の白磁、ということです。
刺身:鯛、めじ、𩺊作交じり、鶏冠海苔、山葵
伊万里焼 色絵松竹梅鶴亀膾皿
溜醤油
伊万里焼 染付唐草模様猪口
「めじ」はめじまぐろ。
「𩺊(あら)」はスズキのことだそうです。
美しい彩りです。海のない信州・須坂で、どうしてお刺身が食べられたのか…については、以前の日記で書いているので、ここでは省きます。
2021年3月の再現食事会の日記です。美しい器とお料理の数々をご覧ください。
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 12 - 田中本家博物館の江戸時代料理再現食事会①(2021年3月27日/2日め)
魚は100キロ近く離れた直江津から運ばれました。どうやって運んだかが、こちらに書いてあります。
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 13 - 田中本家博物館の江戸時代料理再現食事会②(2021年3月27日/2日め)
「鶏冠海苔(とさかのり)」とは、お刺身のつまの赤い海草です。別名「海そうめん」。現在でも、「トサカノリ」という名で一般に呼ばれているそうです。そう言えば、ニワトリのトサカみたいですね。^^
そして、さりげなく添えられている薄黄色の短冊。これは栗でした。生の栗はほんのりと甘く、楽しい箸休めに。^^
お料理をすべていただいてから、あらためて、器を拝見しました。「伊万里焼 色絵松竹梅鶴亀膾(なます)皿」です。なるほど、松竹梅、鶴と亀が、にぎやかに描かれています。
焼物:鮭塩焼、丸十
伊万里焼 鹿紅葉模様 中皿
諸客賄い方控帳
(しょかくまかないかたひかえちょう)
では、「鮭塩焼」と記録されていましたが、
今回は、鮭を味噌柚庵焼きにしたそうです。
丸十(まるじゅう)とは、薩摩藩の紋です。
なので、サツマイモのことを、
当時は「丸十」と呼んだそうです。
【「丸に十字」の家紋】
薩摩鹿児島藩島津氏が江戸時代以降に用いた家紋です。丸に十字(まるにじゅうもんじ)紋は、丸の中に十字を描いたものです。別名「轡(くつわ)十字」。ちなみに、戦国時代までは、「島津十字」を定紋として使用していました。
お料理をいただいてから、器を拝見。「伊万里焼 鹿紅葉模様 中皿」です。鹿と紅葉が描かれており、奥行きが感じられる絵柄でした。
器の側面も、ぬかりなく。
田中本家のすごいところは、
これらの貴重な器が、すべて、
「人数分、揃っている」ということです。
たとえば、この日の参加者は13名でしたが、
全員が、この同じ器でいただきました。
一枚、二枚なら、あるところにはあるでしょうが、
10人分、20人分の器が揃っていて、
現在にいたるまで保管されている、
という例は、ほとんどありません。
ましてや、その器でお食事がいただけるところは、
まずないと思います。
江戸時代から続く貴重な器を、
惜しげもなく使って、
この食事会で料理をいただけるというのは、
とても貴重な体験だと思っています。
でも、ご当主によると…。
「食事会では、20人分くらい揃っている器を
選んで、お出ししています。
ぜひ使いたい、いい器が、
ほんとうはもっとたくさんあるんです。
でも、数がそろっていないと…。
いらした方々の人数分を揃えるとなると、
どうしても、使える器が限られてしまって。」
…と、残念そうでした。
いえいえ。
これまでに参加したお食事会で、
拝見してきた器だけでも、
かなりの数になると、MIYOは思います。😊
再現食事会のお料理は、
このあとも続きます。
(つづく)