骨折でも信州。8回めの須坂へ 6 - 山村集落「青鬼」⑥ 青鬼神社と、二重窓の家(2024年10月16日/1日め)
2024年10月16日 山村集落「青鬼」で。(長野県北安曇郡白馬村)
10月16日(水)- 1日め
長野県の山村集落「青鬼(あおに)」
に来ています。
神社へと続く石段を発見し、夫はどんどん上がっていってしまいました。
【青鬼神社】
青鬼集落中央部に、北方へと延びる長い石段と石畳があります。それを上ったところにあるのが、鎮守の青鬼神社です。神社の創始は大同年間(806年~809年)と伝えられ、現在の神社の本殿は、1893年(明治26年)に、また覆屋は明治時代中期に建造されたものです。祭神はお善鬼様で、生前に村人のために善行を施した鬼を、その死後、大同元年に岩戸山の洞窟に祭ったと言われています。その後969年(安和2年)に、遥拝所(遠く離れた所から拝む場所)として今の場所に建立されました。
神社には、本殿、諏訪社などの社殿及びこれらの覆屋、神楽殿、鳥居、石祠などが配置されています。
青鬼神社の本殿です。一間社流造、こけら葺きで、1893年(明治26年)に造られたものだそうです。覆屋(本社)は、間口12尺、奥行17尺、切妻造、鉄板葺(元茅葺)で、雪による倒壊対策のつっかえ棒が4方向から成されていました。台地の壇上には、さらに社殿群が並んでいます。
境内下段の西端には、神楽殿が配置されています。
神楽殿です。
そして、壇上の東端にあるのは、祖霊社と思われます。
夫がなかなか戻ってこないので、MIYOは、集落の入口に向かって、家々を眺めながら歩くことにしました。
先の方に見える2軒の家にも、棟飾に「寿」の字がありました。
集落の入口にある駐車場まで、戻ってきました。
駐車場のすぐ近くにあった家。古い家であるにもかかわらず、ていねいに手入れされているようで、とてもきれいです。
なにか、優し気な風合いを感じた家。窓の造りに魅かれて、近くに行ってみました。
明治時代の頃の装飾を、そのままに残してあるのでしょうか。温かみのあるデザインです。でも、こんなガラス窓では、冬はそうとう寒いのでは…、と思い、さらに近寄ってみました。
ああ、やっぱり。窓は、二重になっていました。
二重窓の外側は、昔ながらのガラス窓を残し、
外観をそのままに保存してあります。
しかし、目を凝らしてその奥を見てみると、
内側には、しっかりとしたサッシ窓が、
はめこまれていました。^^
現代の工法を取り入れ、
住環境を改善しながらも、
できるかぎり家の外観を守ろう、
…と思っておられることがうかがえます。
すばらしいです。^^
二重窓と、「寿」の棟飾。軒に設けられた小さな窓もシャレています。😊
集落の入口を出ると、山に囲まれた世界になりました。青鬼はまさに、「山村集落」でした。
集落のはずれにあるという石仏群を探して、さらに歩きました。
次回は、青鬼集落の石仏群を歩きます。
いまここ。😄
(つづく)