MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 33 - 北海道開拓の村⑤(旧近藤染舗、旧来正旅館)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 開拓の村・旧近藤染舗で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


開拓の村食堂でお昼ごはんを食べるために、
出入り口まで戻ってしまったので、ここからは、
目の前に広がる市街地群を見学しながら
移動することにしました。


まずは、食堂の目の前にあった、旧近藤染舗に行きます。


【近藤染舗】
1898年(明治31年)に創業された、旭川で最も古い染物店です。この建物は、店の繁盛に伴い、1913年(大正2年)に地元の建築業者によって新築された、店舗兼住宅です。外観や内部の間取りは、当時の店舗建築の様子をよくあらわしています。


半纏の看板がイキな感じですね。^^

中に入ってみます。

大八車と帳場です。

これから染めるのぼりですね。

この廊下のつきあたりには、台所があります。

帳場の奥には、いくつもの部屋が続いていました。

つきあたりが台所です。

帆立の貝殻で作ったおたまがありました。^^


あはは。写真、ここまでで13枚ですよ。
やはり、夫の写真が加わると、
一家屋で一連載が終わりそうですね…。😅


その隣にある、旧来正旅館です。


【旧来正旅館】
1919年(大正8年)、北海道上川郡永山村(現在の旭川市永山)の宗谷本線・永山駅前に、旅館兼待合所として建築されました。1985年(昭和60年)に、北海道開拓の村へ移築復元されました。


りっぱな佇まいです。

こちらが正面。

これが側面です。この右隣りに、旧近藤染舗があります。それでは、中に入ります。

まず目に入ったのは、ガラスケースに入れられた、お酒やお菓子でした。そのうしろには、笠やわらじも吊るしてあります。その奥にある部屋は、子供部屋でした。

こうして、旅人に販売していたんですね。^^

子供部屋の中に、子どもの服がかかっているのが見えます。

この建物は、NHKの「マッサン」の撮影に使われそうです。熊虎とマッサンの出会いのシーンなどが撮影されたのですが、その際、馬車鉄道の通りのアスファルトを隠すために、砂がまかれたそうです。この2軒隣りにある「旧武井商店酒造部」も撮影で使われています。このあたりは、当時の市街地の雰囲気を色濃く残しているエリアです。


旧来正旅館の内部については、
次回でさらにご紹介します。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 32 - 北海道開拓の村④(体験学習棟、旧札幌拓殖倉庫、旧山本消防組番屋、旧若狭家たたみ蔵、開拓の村食堂)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 山村群エリアの吊り橋で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


山村群エリアを歩き、吊り橋を渡りました。


そして新たな建物を発見。これは、体験学習棟だそうです。校外学習の子どもたちが利用するのでしょうか。

山野をつっきって、ようやく、大通りにでました。別の世界に来たようです。

旧札幌拓殖倉庫です。


【旧札幌拓殖倉庫】
札幌軟石を使用した倉庫です。1907年(明治40年)に建てられ、五十嵐倉庫合名会社より、5年後、札幌拓殖倉庫株式会社に引きつがれました。この建物は、札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。梁間5間、桁行27間、面積135坪の木骨石造でした。開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献しました。昭和56年、その敷地が鉄道高架用地として買収されることとなり、開拓の村に移築復元されました。



ここで左に行けば、
出入り口の方向になるのですが、
あえて右方向へ。
農村群エリアに向かって歩きました。


旧山本消防組番屋です。


【旧山本消防組番屋】
札幌山本地区にあった、消防用具の格納庫です。1925年ごろ(大正末期)に建てられました。前身は、1919(大正8年)頃からの消防組織自警団で、山本消防組となりました。火の見櫓を持つ番屋は、農漁村の小規模な消防組織にみられ 防災や治安の中心でした。


これは、鉄道馬車の中から撮った火の見櫓です。



このまま、すぐ隣りの、
旧信濃神社に行けばよかったのですが、
ここでも失敗してしまいます。
なぜか私も夫も、
旧若狭家たたみ蔵に行ってしまい、
その後、方向を変え、
出入り口の方に向かって歩き出してしまいました。
今思うと、まあ、疲れていたんでしょうね…。
お腹もすいてたし。笑


旧山本消防組番屋の向かいにある、旧若狭家たたみ蔵です。


【旧若狭家たたみ蔵】
1850年頃(江戸時代末期)の建築です。たたみ倉は、道南の上ノ国町周辺にみられます。倉は、長方形の角材を積み重ねて外壁を作り、屋根をかける校倉造りでした。内部には、漁家や農家が、家具や調度品・漁具・農具などを収納しました。


そして、大通りを歩いて、再び、開拓の村の出入り口である旧札幌停車場に戻ってきました。

めざす「開拓の村食堂」は、その左手にあります。

工事中でシートがかかっていましたが、本当はこんな感じのようです。(画像をお借りしました)

食堂のメニューです。思ったよりもたくさんありました。

写真を撮ってる夫をほったらかして、店内に入ります。笑 「いももち」ってなんでしょう?

6人用のテーブルですが、3人しか座れません。

夫が選んだのは屯田兵定食(1030円)。紅鮭昆布めし、豚汁、いももち、味噌おでん、小鉢で、ボリュームたっぷりでした。鉄皿の上で並んでいる、ハンバーグのようなものが、いももちです。

MIYOはにしんそば(980円)です。

リフトアップ~。

やっとごはんにありつけました。^^

ようやくここまで来ました。旧信濃神社に行けなかったのが気になりますが…。😅

お昼ごはんのあとは、市街地群エリアへ。旧近藤染老舗へ行きます。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 31 - 北海道開拓の村③(開拓小屋、炭焼き小屋、旧平造材部飯場)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 山村群エリアの炭焼小屋で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


開拓小屋の写真ですが、今日になって、
夫がたくさん撮っていたのがわかったので、
もう少し掲載します。


開拓小屋の全景です。

通路のような部分から入ります。

つきあたりが出入り口です。扉はなく、上にしばりつけてあるむしろを、夜はおろしたものと思われます。

これは私が撮った写真です。私は、一枚で俯瞰しようとするのですが、夫はさらに細部を撮り続けます。これらを両方合わせて、いつも日記を書いています。笑

ここで食事をしたんですね。

窓に板などはなく、木の枝の柵があるだけです。

そして、その窓を外から撮った写真です。


いかがでしょうか…。
夫の写真の、この撮り方。
家の様子を詳しく撮っていて、
MIYOの写真よりもわかりやすいのですが、
詳しすぎますね。🤣🤣🤣


もう、開拓小屋だけで、
連載一日分が終わりそうな勢いです。😂😂
通常、ブログを書く際に、
夫が好き勝手にランダムに撮ったものを、
私の写真と合わせます。
その後、展開したいストーリーを構成し、
それに沿って、
すべての写真を並べなおしてから
掲載しているのですが、
この作業がいちばんたいへんです。笑


実は、ここまでの「北海道開拓の村①②」は、
MIYOが撮った写真だけで書いていたことが、
今朝になってわかりました。


夫が撮った、開拓の村の膨大な写真が、
今頃になって出てきたのです。
(我が家にはよくあることですが。😔)
いったい何百枚あるのかわかりません。😂
これからは、これをいっしょに掲載するので、
このあとの日記は、
さらにくわし~くなっていくと思います。
まあ、ごいっしょに、
旅行気分を楽しんで頂ければうれしいです。


ということで、山村群エリアに入り、
開拓小屋から吊り橋に向かったのですが、
その道すがら、
いくつかの見学スポットに寄っていきました。


こんなところを歩いていきます。一応、道はあるのですが、もう、博物館の見学と言うよりも、「山歩き」に近いです。笑

炭焼小屋に到着しました。


【炭焼小屋】
北海道は国内有数の木炭生産地で、主に黒炭(くろすみ)が生産されました。炭窯の種類は多様ですが、明治・大正期の北海道では、角窯が多く使われました。一般に、専業の炭焼きは大型の窯を、副業では、小型の窯を使用していました。


この炭窯は、大正末期の副業製炭業者の角窯を再現しています。

山の中を、さらに歩きます。

旧平造材部飯場が見えてきました。


【旧平造材部飯場】
大正後期に下川村奥名寄の御料林内に建てられた、造材飯場を再現しています。造材飯場とは、伐木や造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋でした。この飯場では、40人ほどの山子と藪出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていました。


同じ飯場の側面なのですが、こちら側を撮ったあと…、

ダダダ~っと走って反対側に行き、今度は裏側を撮りたくなってしまう、多動夫。(ゴクロウサマです。笑)

つきあっていられないので、MIYOはさっさと中に入ります。笑

中はこんな風になっています。ここで、作業のあとに、たくさんの藪出しが寝泊まりしたんですね…。

濡れた装具を、いろりの上に吊るして乾かしています。

むしろ一枚の上にふとんを敷いて、それがひとり分のスペースだったようです。

同じような写真なのですが、夫は、棚とそこに置いてある私物(食器)が気になり…、

私は、畳んである寝具や衣類が気になってるんですね…。🤣🤣

びっしりと布団が並ぶようすを見て、私も夫も、網走監獄を思い出してしまいました。


飯場の方々の生活が監獄なみ、
と言いたいのではありません。
この5か月前に網走監獄を見た時は、
囚人たちがすし詰めで寝かされていることに
驚きましたが、
開拓時代の北海道では、
こんなふうにして寝るのは、
そう珍しいことではなかったのかもしれない、
と気づいたのです。


いえ、北海道だけでなく、
当時の日本では、こんな光景は、
どこでもあたりまえだったのではないか…。


日本が貧しく、
誰もが生きることに懸命だった時代が、
ここに凝縮され、
再現されているように思いました。


農村群から山村群に入り、山中を徘徊しながら、吊り橋へと歩いた道筋です。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 30 - 北海道開拓の村③(旧小川家酪農畜舎、旧菊田家農家住宅、開拓小屋)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 農村群エリアから山村群エリアに移ると、光景が一変します。樹木に囲まれた山道を、黙々と歩きました。笑 念のため、あえて言いますが、私たちたちはハイキングに来たわけではなく、ここは「博物館」の一部です。(北海道札幌市)


11月6日(土)


北海道開拓の村で、
農村群エリアを歩いています。
次は、少し歩いて、
旧小川家酪農畜舎を訪ねました。


旧小川家酪農畜舎


【旧小川家酪農畜舎】
大正末期に、札幌農学校出身の小川三策が建築した者です。アメリカから取り寄せた設計図を参考にしたそうで、19世紀のアメリカで発達したバルーンフレーム構造であるのが特徴です。右側の軟石サイロは、のちに厚別の農家より譲りうけて移築したものです。
バルーンフレーム構造:18世紀末にシカゴで発明されてアメリカで一般化した、木造の構法です。日本やヨーロッパの木造建築では、柱と梁を組みますが、その組み合わせ部分に工夫が必要でした。それに対して、バルーンフレーム構造は、柱を2~3等分したような間柱(スタッド)を50cm程度に密に並べ、それに板を打ち付けることで固めて組み立てる構法です。間柱と板と釘だけを使い、切断と釘打ち作業だけでつくれるので、熟練した職人は不要となります。


大正末期、北海道で酪農業が盛んになったころの牛舎の内部を再現しています。当時、牛の寝床は牛房と呼ばれていました。この畜舎では、計12頭を、搾乳牛と育成牛に分けてつないでいました。

子牛くんもいますね。^^

牛飼いは、乳牛の腹の下に入り、手しぼりでバケツに搾乳しました。生乳は綿布で漏され、輸送缶に詰め、直ちに冷却されました。

畜舎の周囲には、柵をめぐらせた牧場が再現されています。

美しい風景の中、次のスポットへと歩きます。

旧菊田家農家住宅です。


【旧菊田家農家住宅】
1886年(明治19年)に北海道庁が設立されて以降、本州以南から北海道へ移住する団体が増加しました。新潟県では、長岡の有力者であった、大橋一蔵や関矢孫佐衛門などが「北越殖民社」を組織し、現在の江別市に集団で移住し、野幌原野を開拓しました。慣れない土地での開墾や生活は厳しく、水害や冷害にも悩まされましたが、稲作やえん麦、玉ねぎなどの畑作を定着させていきました。この建物は、「北越殖民社」の一員である新潟県魚沼からの移住者が、移住直後の1893年(明治26年)頃に建築したものです。後に、同じく南蒲原郡出身の初代菊田常吉が買い受け、ここで生活しました。


玄関を入ります。

玄関を入ると、右手にいくつもの部屋が広がっていました。野幌に移住した農家の1907年(明治40年)頃の生活の様子を再現しているそうです。靴を脱いで上がり、部屋の中を歩いてみました。

当時の食事風景です。やはり、新潟名物笹団子が食卓にあったんですね。^^

台所です。この頃には、人びとの生活も落ち着き、故郷から受け継いだ神楽を奉納するなど、お祭りも盛んになったそうです。

ここで農村群エリアが終わり、この先は山村群エリアとなります。


鉄道馬車を降りて、地図を見ながら、
地図上の下方向に向かって歩きながら、
とりあえず、農村群エリアをクリアしようと
思っていたのですが…。
このときになって、旧信濃神社を
見落としていたことに気がつきました。


引き返す時間はありません。
すでに、だいぶ離れたところまで
来てしまっています。
仕方ないので、最後にもう一度、
農村群エリアに戻ることにして、
目前の山村群エリアへと歩きました。


山村群エリアに到着。あれが、めざす開拓小屋のようですが…。今までに見てきた家屋とは様相が異なっています。

「本当にここ?」 地図を見て、何度も確かめました。

開拓時代の写真です。たしかに、このような家で生活していたようです。(画像をお借りしました)


【開拓小屋】
明治末期頃の開拓は初期的な時期でした。開拓者は、まず、生い茂る笹や草を刈り、木を切り倒して土地を拓き、小屋を建てることから始めました。生活するのに欠かせない水を得るために、小屋は川が近いところに建てられました。このような、移住者が最初に建てた住宅を、開拓小屋と言います。


あまりにも粗末な造りであることに動揺しながら、入口を入りました。この通路のつきあたりを左に曲がって家の中に入るのですが、そこには扉がありません。外から家の中に風が直接吹き込まないよう、こうして、入口部分に通路を作ったのだな、とわかりました。

丸太を地面に埋めて柱とし、桁(けた)や梁(はり)、垂木(たるき)をわたし、笹や茅などで屋根や壁を葺き、出入り口と窓にはむしろを下げました。屋内は一部が土間で、笹や枯草を重ねた上にむしろを敷いたところを居間として、炉を設けました。

これが窓です。むしろを下げているだけなので、相当寒かったと思います。厳寒の北海道を、ほんとうにこの家で乗り切ったのでしょうか。


こんなところから、
開拓者の生活が始まったとは、
思ってもみませんでした。
人々はどれほど苦労してきたことか。
それを思うと、なにか申し訳ない気持ちで、
もはや、
「古い家を楽しく見学する」
なんて気分ではなくなってきました。


そこで、ここで少し休憩し、
気持ちを切り替えることにしました。
ちょうどお昼に近くなっていたので、
いったん見学を中止して、
開拓の村の出入り口まで戻ります。
そこに食堂があるので、
お昼ごはんを食べて、また出直そう、
ということになりました。


山村群エリアは、山の中にあります。草深い中を歩き続けると、いきなり、吊り橋が現れました。

ここを通り抜けないと、食堂まで行けないんですよ。笑 やれやれ。えらいところに来ちゃったなあ…って感じでした。😂😂

山の中を歩いて、吊り橋を渡って、さらにその後、出入り口にある食堂までたどり着くには、それまでに歩いてきたのと同じくらいの距離を歩かねばならないのでした。


これはもう、お弁当持参で歩くべきでしたね。
時間がないとか言ってるのに、
うかうかと、食堂まで戻ってる場合では
ありませんでした。
でも、行き当たりばったりの旅なので、
けっこう無駄なことをやってます。笑


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 29 - 北海道開拓の村②(旧岩間家農家住宅、旧河西家米倉、旧山田家養蚕板倉、旧樋口家農家住宅)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村で、引き馬のオウラと、鉄道馬車の内部です。(北海道札幌市)


11月6日(土)


北海道開拓の村に来ています。
いちばん奥にある、農村群エリアだけでも、
家屋が13棟もあります。
とりあえず2棟を見学し、3棟めの、
旧岩間家農家住宅
に行きました。


旧岩間家農家住宅


【旧岩間家農家住宅】
岩間家は畑作農家でした。宮城県の士族移民団の一員として、1871年(明治4年)に入植しました。この家屋は、明治15年に、同郷である宮城県の大工によって建てられたもので、仙台地方の建築様式を多くとりいれています。
屋根の上にはたくさんの石がのっており、それは、屋根を葺いている柾(まさ)をおさえるためでした。台所は、太い梁を何重にも組んで、釘を使わないで作り上げています。


屋根を葺いている柾(まさ)をおさえるために、屋根の上にたくさんの石がのっています。

明治後期における畑作農家のくらしのようすを再現しています。

奥にある座敷は、客間として使われました。旧藩主の伊達邦成が視察のために立ち寄った際に、休息をとった部屋で、普段はほとんど使用していなかったそうです。(画像をお借りしました)

旧河西家米倉です。


【旧河西家米倉】
最初の移住者のひとりであった河西由蔵が、1897年(明治30年)年頃に、札幌市厚別区に建てた米蔵を再現してあります。札幌・厚別地区の米作は、1883年(明治16年)に、長野県からの移住者によって始められました。水田は、当初、付近の低湿地に造られ、明治20年代になってから、本格的に耕作されるようになりました。


中に入ってみます。

当時、米作農家で使われていた物が再現してありました。

旧山田家養蚕板倉です。


【旧山田家養蚕板倉】
開拓使は、屯田兵の授産事業として、養蚕を奨励しました。その結果、琴似兵村では、独自の養蚕施設を持つ屯田兵も現れました。この板倉は、屯田兵として入植した山田家が建てたもので、草創期の暮らしぶりを伝える、数少ない建物のひとつです。


旧樋口家農家住宅です。出入り口がふたつありますが、左側が表玄関(客用)で、右側が裏玄関(家人用)です。


【旧樋口家農家住宅】
樋口家は、富山県から移住した水田農家です。1893年(明治26年)に入植し、5年目、札幌市厚別区にこの家を建てました。富山出身の棟梁に建築を依頼し、郷里・富山県の建築様式であるワクノウチ造りを取り入れ、材料は近くの原始林から切り出したそうです。復元に際し、同じ建築様式の山口家の解体材もあわせて使用しました。


家人用の裏玄関を入ったところです。囲炉裏のある部屋は台所で、その向こうに流しがあります。この台所の右側には、「ダシヤ」がありました。家屋内には、大正期の水田農家の暮らしを再現しています。

流しです。

ダシヤです。味噌、漬物、農具などを収納するための場所でした。

台所の左手にある、広間(15畳)です。客用の表玄関は、この部屋に直結しています。

広間の天井では、富山県の建築様式であるワクノウチ造が見られます。これは、太い木材を交互に組み合わせ、箱状の強固な骨組みを作りだす構造様式です。(画像をお借りしました)

広間の奥にある扉の向こう側には納戸があり、寝室として使われました。


だんだん、わかってきました。
日本の各地から北海道に入植した人々は、
自分の家を建てるときにも、
同郷の棟梁に普請を頼んだのだと。
そのため、
できあがった家屋は、出身県の様式を
そのまま残すものになったのだと…。


北海道開拓の村は、
古い家がただ集められているだけの
そんな場所ではありませんでした。
ひとつひとつの家屋からは、
住んでいた人の故郷への思いと、
北海道の過酷な暮らしの中で
彼らが抱いたであろうさまざまな夢が
かすかに伝わってくるかのようでした。


山と林に囲まれた、開拓の村。秋色の樹々の美しさが、胸に染みるようでした。当時の人々も、こんな景色を眺めていたのではないかな、と思いました。

今回で4棟を見学し、これで6棟になりました。次は、小川家酪農畜舎に行ってみます。


ひとつひとつの家屋がおもしろくて、
感激しながら歩いていたら、ここまでで、
早くも一時間が経過してしまいました。
圧倒的に、時間が足りません。
「この調子だと、全部を見るのは無理かも…。」
と夫が言い出しました。


(つづく)


(おまけのお話)


今日は、手持ちのポイントが、
「15%も増えてしまう」というお話です。


先日マツキヨで、店員さんから、
「ポイントの期限がもうすぐ切れますよ。」
と教えていただきました。
うっかりしてました。^^


1579ポイントもあるそうです。

G研病院で処方箋をいただいたとき、
私は必ず、マツキヨの調剤薬局に行きました。
ラインペイで支払うと、割引券(数%)が使え、
クレカポイント(2%)が貯まる上に、
マツキヨポイントももらえるからです。
(ポイント3重取りですね。笑)
支払う額は、年間で30000円くらいなので、
一年間でこんなにも、
ポイントがたまってしまいました。


ポイントの有効期限が3月末なのですが、
マツキヨでは、つい先日、
ペイペイのクーポン利用で、
1000円分の食品を500円で買ったばかり。
これ以上買いたいものもないので、
dポイントに交換することにしました。


マツキヨ500ポイントが、dポイントの400ポイントに交換できるそうです。

基本、ポイントが目減りするような交換は
したくないのですが、
有効期限がせまっているし、
マツキヨでいらないものを買うよりは
いいかな、と。
それに、旅行が多いMIYO家では、
じゃらんのホテル代やレンタカー代として
使えるの
、dポイントは貴重なのです。


1500ポイントを、dポイントに交換しました。

現在のdポイントです。162991Pあります。これを全部、今後の旅行に使いつくします。一か月くらい、タダでホテルに泊まれそうです。笑

ただいま、貴重なキャンペーン中です。


他社のポイントをdポイントに交換するだけで、
15%のボーナスがもらえます。

私はこのキャンペーンで、
(ただポイントを移動するだけで)
20000円以上のdポイントをゲットしました。


キャンペーンは3月31日までです。
使う予定のないポイントを持っている方は、
dポイントに移動できるか、
チェックしてみるといいかもです。^^