MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 28 - 北海道開拓の村①(鉄道馬車、旧ソーケシュオマベツ駅逓所、旧納内屯田兵屋)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月11日 札幌市資料館で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


さて、札幌ホテル暮らし、
4日めになりました。
ここまで、夫は、
ホテルで仕事を続けていたのですが、
週末になり、ようやく、お休みに入ります。


コンビニで買った朝食を、
いつものようにお部屋ですませ、
ホテルを出発しました。


朝、夫がレンタカー屋さんから借りて来た車です。

今日の目的地は、「北海道開拓の村」です。


【北海道開拓の村】
北海道札幌市厚別区にある、野外博物館です。「北海道開拓当時の生活を体感的に理解してもらうこと」と、「文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えること」を目的に、1983年4月に開村しました。54ヘクタールの敷地に、52棟の歴史的建造物が移築または再現されています。明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を堪能できる、貴重な博物館です。広い村内の移動用に、夏季は馬車鉄道、冬季の土日祝日は馬そりを運行しています。


北海道開拓の村の入場口(旧札幌停車場)です。

入場料は、ひとり800円です。が、入場券売り場で、「トクトククーポン」なるものを利用すれば100円引きになると教えていただき、あわててスマホと格闘しました。笑

なんとかクーポンを獲得でき、100円引きの700円で入村できました。^^

野間サトルさんもいらしたんですね。^^

さて、開拓の村の中に入りました。

まずは、入口広場から馬車鉄道に乗ってみます。一時間に1本くらいしかないのですが、ちょうど出発の時間で、9時20分のに乗ることができました。

馬車鉄道の車両と…、

引き馬もいました。

お馬さんがつながれて、鉄道馬車がやってきました。

引き馬のお馬さん、かわいいです。名前は「オウラ」だそうです。

出発です。女性の車掌さんの制服がレトロで、なんだか銀河鉄道999を思い出しました。

村のメインストリートを、馬車はゆったりと走り続けました。気持ちがいいです。^^

旧ソーケシュオマベツ駅逓所に到着です。ここからは歩いて見学します。夫はお馬さんと記念写真。

オウラが引く馬車は、再び、同じ道を戻っていきました。


さて、それではここから、
村内の見学を開始します。
まずは、鉄道馬車の終点だった、
旧ソーケシュオマベツ駅逓所
をのぞいてみました。


旧ソーケシュオマベツ駅逓所


【旧ソーケシュオマベツ駅逓所】
今で言う駅舎のようなものです。駅逓内では、人や荷物の運搬、農作業に馬が使われたので、附属する建物として厩舎(馬小屋)が設けられていました。この駅逓は、1915年(大正4年)に建てられたもので、1911年(明治44年)頃には、約50ヘクタールの牧場と8頭の官馬を持っていたそうです。


駅逓の中に入り、部屋のひとつひとつを見ることができるようになっていました。玄関を入って右側にあるのが、取扱人室です。人形がリアルですね。

玄関の左側には使用人室がありました。ここは客室も兼ねていました。

さらにその隣りにも、客室があります。当時の駅逓は、旅館でもあったのですね。


つづいて、駅逓所の隣りにある、
旧納内屯田兵屋
に行ってみました。


旧納内屯田兵屋


【旧納内屯田兵屋】
納内という地で、屯田兵が住んでいた家屋です。納内に屯田兵が入地したのは、1895年(明治28年)のことでした。北海道の屯田兵が始まったのは、それより20年前の1875年(明治8年)です。屯田兵は、家族と共に兵村で暮らし、北辺の警備と農業開拓に従事しました。当初は士族を募集しましたが、明治23年からは、主力を平民に移しました。その後屯田兵村は、空知・上川・北見地方など、北方内陸部に造られて行きました。


旧納内屯田兵屋の内部です。入り口を入ると、土間の囲炉裏を囲むようにして、コの字型の上がり框が作られています。外から入ってきた人は、まずここに座り、冷えた体を温めたのだそうです。

雪で濡れた草鞋を、囲炉裏の上に吊るして乾かしました。

土間の奥には、台所が設えてあります。当時の暮らしの様子を垣間見ることができて、興味津々でした。

今歩いているのは「農村群」というエリアで、とりあえず、その中の2軒を訪ねたところです。周囲には、まだたくさんの家屋がありますね。🤣🤣


このときはですね…。
まだまだ、余裕だったのです。
開拓の村が広いとはいえ、
まあ、数時間もあれば見学できるだろうと、
軽く考えていました。


まさかね…。
こんなエリアが、村内に4つもあり、
全部で建物が52軒もあり、
その一つ一つが、内部をつぶさに
見学できるようになっているとは、
想像もしていなかったんです。😂😂


だって、開拓の村って、こんなに広いんですよーーーー!


これ、全部見るのに何時間かかるんだろ…。


見当もつかないけれど、
とりあえず、先へ行くしかありません。
覚悟を決めて、
Here we go!
とばかりに歩きだした、アホな夫婦です。笑


やっぱり、北海道はでかかった。
たかが博物館が、どうしてこんなに広いんだ。
…と泣き言を言うのは、
まだまだ先の話です。😂😂😂


(つづく)

お雛様と兜飾り、そしてメイプルリーフ金貨。(2022年3月15日)

1997年2月20日 お雛様と兜飾りを並べて飾りました。(のんたんとあみちゃん 1歳6か月)


3月15日


写真は、1歳6か月の子どもたちです。
生まれてからずっと、NICUで、
生死の境をさまよっていたふたりでしたが、
長男は生後4か月を過ぎた頃、
そして長女は生後8か月になってから、
生まれた病院を退院し、
いっしょに暮らせるようになりました。


無事に1歳のお誕生日を迎えることもでき、
「どうにか生きて、育ってくれそうだな。」
と思ったのでしょうか。
実家の母が、節句人形を送ってくれました。
1997年2月。
子どもたちが1歳半の頃でした。


双子なので、お人形もふたつ並んでいます。

長女が着ているのは、なんと、Baby Dior ですよ! 友人からいただいたお古です。(自分では絶対に買えません、はい。😅)

お雛様と兜飾りは、そのまま、5月の節句が終わるまでふたつ並べて飾り続けました。おかげで長女は、いまだにお嫁に行きません。汗(1997年5月5日)

おそろいの服を着ているのですが、ちょろちょろと動く頃で、なかなかおとなしく並んでくれませんでした。笑

MIYOのゼロ歳の頃です。上の写真の長男と似てるかも?^^


あれから25年が過ぎました。
子どもたちも、今では26歳です。


最近は、お雛様はともかくとして、
この、兜飾りがですね。
だんだん、負担になってきました。
飾ることもないので、しまいっぱなしです。
箱に入れると、かなりの大きさになり、
収納スペースでの存在感がすごいのです。


今さら処分したところで、
長男が怒るとは思えないし(たぶん)。
人形を買ってくれた母も
8年前に亡くなったので、
そろそろいいかな、と思い始めました。
でも、五月人形を粗大ごみに出すのは、
さすがにためらわれます。


…ということで、ここ数年、
断捨離方法をさがしていたのですが、
昨年の12月に、こんなチラシを見つけました。


COYASHという会社です。お人形を買い取ってくれるそうです。


ベルーナという通販会社のDMに、
同封されていました。
「タダでもいいから、
 どこかに寄付でもできないか。」
と思っていたのに、
なんと、買い取ってくれると…。
すぐに電話し、来ていただきました。


長男の兜飾りは、海外で販売されるそうです。キャンペーン中で2000円増しということで、3000円で買い取っていただきました。兜飾りは、ほとんど出すことがないままにしまってあったので、新品同様にピカピカでした。笑(2021年12月24日)


そのときに、査定した方から、
「ほかになにか、売りたいものはありませんか。
 金の塊とか、ないですかね…。
と尋ねられました。


「金の塊なんて、あるわけないですよ。」
と笑ったあとで、思わず、
「あ、あったかも。」
と…。


子どもたちが3歳のころ、
宮崎に住む夫の両親が、
金貨を2枚、送ってきたのです。
誕生日のプレゼントだそうです。
それも、貴金属店の仰々しい箱入りで。笑
当時、金貨は、
一枚が3万円くらいだったでしょうか。
(↑よくわかりません。)


こんなのです。発行した国は様々でしたが、この不思議なバースデープレゼントは、その後10年近く続いたように思います。

「思います」と書いたのは、
私はそれを無視していたからで、
記憶がはっきりしないのです。
今でも、家に何枚あるのか、
よくわかりません。😅


長男が失明したとき、
(詳しくは書きませんが、)夫の両親は、
私たちを見捨てて逃げました。
子どもたちが小学生のころには、
家族で九州まで旅行したのですが、
そのときにも、会うことは拒否されました。
夫の母は、90歳を超えた今でも、
「孫には会わない。会いたくない。」
と言い続けています。
そういうふたりが金貨を送って来ることに、
私は当惑していたし、
関わりたくないと思っていました。


毎年、子どもたちの誕生日に、
宅配便で2枚の金貨が届きました。
私はそれを、そのまま夫にわたし、
夫が、家のどこかにしまっていました。
私も夫も、それをどうすることもなく、
20年近くが過ぎてしまったのです。


金貨のことは、
そのまま忘れてしまっていたのですが、
「金の塊はありませんか。」と言われ、
唐突に、思い出してしまいました。
隣りの部屋で仕事していた夫に訊くと、
「今も家にある」と。(あたりまえですが。笑)


私も夫も、きちんと数えたことがないし、
何枚あるのかすらわからなかったのですが、
探してみたら、じゃらじゃらと金貨が出てきて、
全部で20枚近く。
この際、少し売ってみようか。
…ということになりました。


結論から言うと、一枚が141000円。
とりあえず3枚売ることにして、
423000円になりました。はあ~…。
こんな大金になるなんて、と、
びっくりしました。
相場とかよくわからないので、
本当はもっと高く売れるのかもしれませんが。


これがそのときの金貨です。玄関に並べられた、数々の不用品といっしょに置いてあるところがすごい。😅

その他にも、母が若いころに買った指輪(薬指の2個。かなり古そうです。)など、売ってみました。黒い指輪は、おもちゃかと思っていたので、捨てようかと迷っていたのですが、見ていただいたらシルバーでした。一応、値が付きました。(関係ないですが、ネイルはクリスマスバージョンです。笑)

兜飾りだけ引き取ってもらうはずだったのですが、玄関先にあれこれと並べて、思いがけない展開になりました。

そして受け取った現金です。


全部で、475000円。
こんなことになるとは思いませんでした。
この一か月後、別の業者さんにも
買い取ってもらったのですが、
そのときの価格は、6枚で100万円でした。
家の中にしまい込んで忘れていた物が
思いがけず、
150万円近くになってしまったわけです。
そして、考え込んでしまいました。


母が送ってくれた兜飾りは、
5万円くらいだったと聞いています。
それが、20年以上たって、
3000円になりました。


夫の両親が金貨を送ってきた頃、
「子どもに金貨だなんて」と、
私の実家はあきれて笑っていましたが、
それが今では、
150万円に化けてしまいました。


お金のことだけを考えれば、
「人形よりも金貨の方がよっぽどいい。」
ということになってしまいます。
(そう思いたくはないのですが。)


いつか、長女が結婚し、
子どもが生まれたとしたら、
私は自分の孫に、なにを贈るのかな、などと、
くだらないことを考えました。


お雛様はともかく、たぶん、
兜飾りを贈ることはないと思います。
じゃあ金貨を贈るのかと言うと、
それもまた違うような気がします。
とりあえず、答えはでません。


そうこうしているうちに、
ウクライナが大変なことになりました。
世界情勢が不安なときの常で、
金が値上がりしているそうです。


「今売ったら、もっと高くなったかもね。」
と、夫婦で話し合ったりしますが、
私も夫も、ソンをした、とは思っていません。
だって、元々がもらったもの。
原価はタダですから。笑


さらによくよく考えたら、この金貨。
子どもたちがもらったものです。
子どもたちのものですから、
150万円を私たちが
使うわけにはいきません。笑
ということで、このお金は全部、
ゆうちょ銀行さんに行ってしまいました。


「どうせ使うあてがないのなら、
 別に売らなくても良かったのでは…」
と言われそうです。
たしかにそのとおりなのですが、
たとえ一部ではあっても、
家の中からアノ金貨がなくなったということで、
なにか、ほっとしている自分がいます。


お金に縁があったようで、
実は縁がないような、私たち。
…なんて思うこのごろです。笑


まあいいです。
お金はないけど、
ポイントはある、MIYO家です。😄😄
楽しく旅行ができれば、それでよし。^^

全盲難聴・のんたん ボランティアさんとおでかけ(2018年6月16日②)/ 我が家のオリンピック2021

2022年3月6日 沖縄で、最近テレビでよく話題になっている、「オジサンという魚」を食べました。ガーリックバターでカリカリに揚げたオジサンは、とってもおいしかったです。^^
*沖縄から戻りました。私たちが行く直前にまん防が解除された沖縄では、たくさんの人が沖縄の海を訪れていました。


2018年6月16日(土)


2018年の写真が出てきました。
古い日記になりますが、
長男の記録として掲載しておきます。


同じ日の前半の日記は、以下に掲載しています。


この日長男は、S園での昼食後、
ボランティアさんといっしょに
高田馬場のウクレレ教室にでかけました。


S園でのお迎えから始まり、
レッスン後、S園まで送り届けるという、
全4時間のコースを介助してくださったのは、
ヨリさん。
ボランティアさんですが、同時に、
MIYOの、40年来のお友達です。^^
(長男との出会いをきっかけに、
 現在は、盲ろう者の通訳ガイドとして
 活躍しておられます。)


【ヨリさんからいただいたメールです。】
ウクレレのレッスンを終え、S園まで、順調に帰りました。
立川止まりの電車を見送り、高尾行きに乗り、17:20ごろに豊田着の予定でした。ご指示のとおりに、駅前のマックで、軽くポテトでもと思っていたのです。しかし、マックにはのんたんの足が向かわず、「ハンバーグ!!!」と何度も言うので…イオンモールに行ってみました。私自身も、はじめてイオンモールに行ったので、色々みてみましたが、結局ジョナサンに入り、ハンバーグセットを頼みました。

(希望通りにハンバーグが食べられて、満足そうな長男です。笑)

拭いても拭いても鼻水が出るので、気になるようで、半分くらい食べてご馳走様でした。
(出来たてのハンバーグセットの写メを撮り忘れ、どんぶりにのせてから写メ撮りましたm(__)m)
帰り道のりは少し寒いようだったので、フードまで被り、完全防寒で、S園に帰りました。
今日は、のんたんご機嫌でした。ありがとうございました。


ヨリさんには、あらかじめ、
「帰りに、マックでポテトでも」
とお願いしてあったのですが、
長男、「ハンバーグが食べたい」と
主張したようです。^^


言葉がうまく話せないだけに、
なんでも、周囲の言うとおりに従うのではなく、
自分の希望をはっきりと
伝えられるようになってほしいと、
長男には願っています。
なので、この日長男が、
「ポテトでなくてハンバーグが食べたい。」
と言えたことを、うれしく思いました。


長男の介助ボランティアさんは、
通常はおふたり体制でお願いしています。
が、この日はもうおひとりの方が見つからず、
ヨリさんも大丈夫と言ってくださったので、
ヨリさんおひとりで、介助していただきました。


おひとり体制でたいへんだったのに、
長男の気持ちをしっかりと受け止めて
行動してくださったことに、
とても感謝しています。
ヨリさん、どうもありがとうございました。


(おわり)


(おまけのお話)


今や世界はウクライナ一色で、
緊張の日々になってしまいました。
私たちがとりあえずできることは、
今起こっていることに関心を持ち続けること
だと思っています。


こんな中、北京ではパラリンピックが
開催されていたはずですが、
ウクライナのことばかりが気になり、
今も開催中なのかどうかすらも、
わからなくなってきました。(スミマセン)


が、この際なので、
「我が家のオリンピック 2021」
の写真をご紹介します。


2021年の東京オリンピックで、夫は、オリパラのボランティアとして参加しました。このユニフォームは、ボランティア全員に支給されたものです。

上から下まで全部、ユニフォームです。わかりにくいですが、実は靴下までユニフォームで、くるぶしのところに「TOKYO 2020」と書いてあります。笑

シャツはこんな感じ。吸水性がよく、とても軽い素材です。

ウエストにはポーチがついています。

さらに、帽子とアシックスの靴。この靴がとても履きやすいそうで、夫は現在も愛用しています。

全部着用するとこんな感じ。笑

オリンピックでは、お弁当を大量に廃棄したことが問題になりましたが、夫はお弁当ではなく、すかいらーくのお食事券を支給されたそうです。このチケットをすかいらーくの店舗に持って行くと、無料で食事ができます。全国のガスト、ジョナサン、バーミヤン、夢庵で使えるそうです。これなら、廃棄の問題はないですね。^^


せっかくいただいたお食事券ですが、
夫の場合は、ボランティア時間との関係で、
自費で食べるときがあったので、
未使用のチケットが5枚残りました。


そこで、チケット消化のため、
夫婦でバーミヤンへ。笑
ここで2枚利用し、残りは3枚。
今度は長女も動員し、ジョナサンへ。笑
3種類のメニューを選んで、
みんなでシェアしていただきました。


油淋鶏定食、ハンバーグ定食、たらこのスパゲティ。これが全部無料になりました。^^(2021年8月16日)


夫は、以前から楽しみにしていた
オリンピックボランティアを体験できて、
楽しい夏になりました。
でもおかげで、昨年の8月、
我が家はどこにも旅行できなかったんですよ。
私にとっては、いい迷惑でした…。😅


遠足の前の日の子どもみたいだなぁ。


まあね…。
ユニフォーム着て、
こんなうれしそうな顔してるんだから、
しょうがないかって感じですが。笑

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 27 - サッポロファクトリー(アウトドアカフェ ミールラウンジと札幌開拓使麦酒醸造所)/ 長女は福岡ひとり旅(2021年11月5日/3日め)

2021年11月5日 サッポロファクトリー「アウトドアカフェ ミールラウンジ」で。(北海道札幌市)


【お知らせ】
3月5日から、少しお休みをいただきます。


11月5日(土)


サッポロファクトリーに来ています。


4階まで届く、大きなツリーに圧倒されました。モミの木は、十勝から運んできたそうです。

4階分の内部空間を大きく使って、アトリウムが作られています。赤いじゅうたんの先に、レストランエリアがあります。

テナントを見て歩いたあと、このお店に決めました。「アウトドアカフェ ミールラウンジ サッポロファクトリー店」です。アウトドア気分でダッチオーブン料理を楽しめるカフェレストランだそうです。

巨大なツリーから続く、赤いじゅうたんのアプローチがすてきです。

このお店は、野外で食事している雰囲気にしてあるそうです。

この日の夕食は、ピザとダッチオーブン料理をワインでいただきます。^^

左:豪快スペアリブ~特製BBQソース
右:ピザ(マリナーラ)。専用窯で焼き上げる自家製ピザ。北海道産小麦とイタリア産小麦を独自の配合でブレンドしてあるそうです。

おいしかったです!^^


食事のあとは、さっき写真だけ撮った、
レンガ館(札幌開拓使麦酒醸造所)
へ行きました。


【札幌開拓使麦酒醸造所】
1876年(明治9年)、サッポロビールの歴史は、ここから始まりました。サッポロビール発祥の地に建ち、当時の製法にならったビール造りを続けているブルワリーです。2Fには、無料で見学できる展示施設があり、ビール醸造で実際に使われている仕込釜、ろ過槽なども見ることができる他、日本のビール造りの歩みをパネルで紹介しています。


レンガ館です。手前の階段を上がって、2階に行きました。

無料の展示施設があります。夜遅かったせいか、私たち以外には誰もいませんでした。

ビール醸造で実際に使われている仕込釜、ろ過槽などを見ることができます。

でもいちばん胸にひびくのは、やっぱりコレですよね。^^

「男は黙って」。今の若い人には、通じないでしょうね…。^^

レンガ館の1階にある「賣捌所」です。「復刻の一杯」をできたてで味わうことができます。

なんと、一杯280円ですよ。

次々とお客さんが入ってきます。たった一人でがんばっていたスタッフ。忙しいのに、ほんの少しの空き時間ができると、私たちに話しかけてくださったり。とても気持ちの良い方でした。


「賣捌所」は、とてもすてきなスポットでした。
でも、レンガ館耐震工事のため、
この後まもなく、休業に入りました。
次にオープンするのは、2023年秋~冬だそうです。
なにも知らないで行ったのですが、
ギリギリで中に入ることができ、
ラッキーでした。^^


ツタに覆われた、夜のレンガ館をながめながら歩きました。


なんかね。
毎日、すてきな夜景を見たり、
おしゃれなスポットで食事したり、
「毎日がデート状態」みたいなんですよね…。
まるで新婚旅行みたいな…。笑
でも、私たちみたいなのがやっても、
あまり意味はありませんね…。🤣🤣


こうして、3日めが終わりました。


【3日めのダイジェスト】
二条市場(ほっけ定食と海鮮丼)→中島公園→新善光寺→豊平館→札幌駅前通地下広場(チ・カ・ホ)のアイヌ刺繍→旧永山武四郎邸及→旧三菱鉱業寮→サッポロファクトリー→アウトドアカフェ ミールラウンジ→札幌開拓使麦酒醸造所・賣捌所


(つづく)


(おまけのお話)


ようやく3日めが終わりましたが、
明日から少し、お休みをいただきます。
12月に続いて、再び沖縄へ行ってきます。
理由は、
「沖縄シェラトンが格安で予約できたこと」。
一泊12000円(ふたり分)ですよ…。
そしてなにより、
「前回行けなかったところが、
 まだまだ、沖縄にはたくさんある」

ということです。
今回は、初めて、
「プラチナエリート」として宿泊するので、
どんな旅になるのか、
それも楽しみです。^^


昨日、長女は福岡に出発しました。
最近は、(なんだかよくわからないのですが)
使いきれなかった有給休暇の消化が、
法律で義務になってるんだそうです。
で、年度末なので、
その休暇を消化するということで、
福岡ひとり旅だそうです。


いきなり決めて、
ひとりで行っちゃいました。


これを見たくて、福岡まで行ったムスメ。笑(2022年3月3日)

博多ラーメン食べて、天ぷら食べて、楽しそうです。^^


がんばれ、長女。^^

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 26 - 旧三菱鉱業寮からサッポロファクトリーへ(2021年11月5日/3日め)

2021年11月5日 サッポロファクトリーで。札幌開拓使麦酒醸造所です。(北海道札幌市)


11月5日(土)


旧永山武四郎邸から
旧三菱鉱業寮へと移動しました。


ふたつの建物は、この渡り廊下でつながっています。

旧三菱鉱業寮です。永山武四郎邸の建築後、30年以上あとに建てられました。やはり、こちらの方がモダンな感じがしますね。


【旧三菱鉱業寮】
炭鉱経営、金属鉱業などを行っていた三菱鉱業株式会社によって、1937年(昭和12年)頃に建築されました。このような民間企業の倶楽部が現存する例は道内に少なく、高い産業・文化史的価値を有しています。妻破風のハーフティンバー・モチーフ、丸窓など、昭和前期のモダンな洋館デザインが見られます。
ハーフティンバー:外部と接する柱・梁(はり)・筋交(すじか)いなどのティンバー(木材)を露出させ、その間を煉瓦(れんが)や漆喰(しっくい)で埋めて外壁とするもの。イギリスをはじめ、北ヨーロッパに多い建築構造です。


廊下の突き当りの部屋は展示室になっています。ここでは、北海道の鉱山と三菱鉱業についての説明パネルが置いてあります。(画像をお借りしました)

この彫刻は、かつて三菱鉱業寮に設置されていたものだそうです。

電話室と呼ばれる小さな部屋。隔世の感がありますね。^^ さらにこの部屋の奥には、「ナガヤマレスト」というカフェがあります。

階段を上がって、2階に行ってみます。

階段を上ると、廊下の両側に4つの和室があります。

1室は、図書室として利用されており、他の3室は、有料スペースとして市民に貸出を行っています。

廊下の奥に見えているのは、「ホール」と呼ばれているところです。

すてきですね…。

こんな丸窓がありました。この部屋はもと納戸であったため、中から外を見るというよりは、採光用と建物の外観意匠のアクセントとしてデザインされたと思われるそうです。

このような丸窓は、昭和初期のモダン住宅でしばしば見られました。1930年代に流行したアール・デコ様式の影響とも考えられます。


どこを見てもすてきなデザインで、
「これが本当に社員寮なのか?」
と思ってしまいます。
私が勤務していた会社の独身寮とは大違い。笑
それともここは、社員寮なのではなく、
社交用のクラブラウンジだったのでしょうか。
いずれにしても、さすが、財閥系、
と思ってしまう建物でした…。


ふたつの見学を終え、外に出ました。
さて、ようやく晩ごはんです。


旧永山武四郎邸の隣りにある公園は、「永山記念公園」という名前でした。樹々の奥で灯りが灯っているのが、三菱鉱業寮です。

さきほどは通り過ぎたサッポロファクトリーの中に入りました。札幌開拓使麦酒醸造所と煙突が、おだやかな光を放っていました。


ここはですね…。
もう、デートにぴったりなスポットです。
私たちが来てもしょうがないのですが。爆


レンガ館の美しさに見とれ、
夫は夢中で写真を撮り始めました。
そしてふりかえると、そこは…。


巨大なアトリウムでした。ガラス窓越しに見える人の小さいことにご注目ください。このアトリウムがいかに大きいか、おわかりいただけるでしょうか。


わくわくしながら中に入ると、
さらに驚きます。


巨大なクリスマスツリーが、輝いていました…。


十勝・広尾町から運ばれてきた木が、
巨大なクリスマスツリーとなって
飾られていました。
毎年、11月から12月下旬までの
期間限定で見ることができるシーンです。


もう一回、言いますよ…。


「ずるいよ、札幌。
 こんな素敵な所を、隠してるなんて…。」


単に、私が知らなかっただけなんですが。笑



(つづく)