MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 30 - シュエダゴン・パゴダとボウタタウン・パゴダ(1987年5月8日/8日め)

1987年5月8日 シュエダゴン・パゴダで、フォーさんと。(ビルマ・ラングーン)


1987年5月8日(火)- 8日め


シュエダゴン・パゴダに来ています。
あの、携帯もメールもない時代に、
ラングーンで6日後にまた会えたというのは、
奇跡に近かったのではないか、と思います。


全国からお参りに来た人々が行きかう、シュエダゴン・パゴダ。こんなところでよく会えたものです。^^

MIYOが撮った夫の写真。

夫が撮った、MIYOの写真。夫はやっぱり、写真がヘタだと思う…。😞


夫は多動なので、シャッターを押した次の瞬間、
待っていられなくて、
カメラをしまっていたみたいです。😞
それでボケ写真が多い…と判明したのは、
スマホを持つようになってから。


いちばんひどかったのは、2019年8月の、
私の退職記念ディナーの写真。
もうひどいものでした…。😓
まるで心霊写真かと思うほど、
すべての写真がデフォルメされていて、
不気味。
せっかくの記念日の写真でしたが、
ほとんどを捨てざるを得ませんでした。
そのときにようやく、
「スマホのシャッターを押した瞬間に
 そのスマホをテーブルに置く」
という、夫の不思議な行動に気づきました。


「シャッターを押したら、
 スマホの処理が終わるまで、
 動かないでじっとしてなさい!」
と言い聞かせてから、
夫の不気味心霊写真はなくなりました。
(世話がやけます。)


せっかくのいい構成なのですが、ぼけて台無しです。😔

フォーさんと。

いたるところに、祈る人々がいました。

夫は相変わらず、龍のマネとかアホなことをやってます。😔


み「また! そんなアホなことやって!」
夫「アホなことしかしません!」
これが、最近の通常の会話になってきたなあ…。



3人でシュエダゴン・パゴダを
ひと通り歩いた後、
フォーさんの案内で次のスポットに
行くことになりました。


再び、ピックアップトラックに揺られて、
向かったのは、
ここから9キロ余りのところにある、
ボウタタウン・パゴダでした。


ボウタタウン・パゴダです。横に停まっている車がすばらしい。^^


【ボウタタウン・パゴダ(Pagoda Botahtaung)】
ヤンゴンのダウンタウン、ヤンゴン川の近くにある有名な寺院で、ボウタタウンとは、「1000人の将校」という意味です。建設されたのは2500年以上前で、シュエダゴン・パゴダと同じ頃に、モン族によって建立されました。パゴダの内部には、仏陀の毛髪が置かれているとされています。第二次世界大戦のときに破壊されましたが、戦後、再建されました。


その後のボウタタウン・パゴダです。(以下3枚、画像をお借りしました)

現在のボウタタウン・パゴダ。でかいコブラは取り払われ、すっきりしました。

パゴダを反対側から見たところです。


フォーさんといっしょのラングーン市内観光は、
もう少し続きます。


(つづく)

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