MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間。 5 - ハノイ駅。3つの歴史をくぐり抜けて。(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 ハノイ駅で。


6月15日(木)


深夜、ハノイに到着して、
一夜明けた朝です。


朝食のあとは、Mango Hotel の裏にある、ハノイ駅のホームを歩きました。

ホームの端には、Mango Hotel が運営しているらしいカフェがありました。MANGO Restrant & Wine と書いてあります。Mango Hotel を駅が経営しているのかどうかは謎ですが、まるで駅の一部になっているかのようなホテルでした。

こんな風に撮ると、ちょっとオサレな感じ?笑

さらにホームを歩くと、VIP ROOM がありました。特別な列車に乗る人だけが入ることができるラウンジです。

4年前は、ヴィクトリア・エクスプレスというお金持ち寝台列車(笑)に乗って、夫、長女といっしょにサパまで行ったので、出発するまでの時間を、この VIP ROOM ですごしました。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 125 - ヴィクトリア・エクスプレスでサパへ(2019年10月18日/48日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

ハノイ駅舎です。線路部分の上部には、青い屋根のついた通路が設けられており、この通路を通って、それぞれのホームに行くことができます。

その通路に上がり、どんどん歩いて行ってしまう多動夫。この人、いったいどこまで行くんでしょうね。「ホームをちょっと見てみたい。」と言っただけだったはずなのに…。

通路上から下を見ると、こんな感じです。

奥に見えている8階建てのビルが、私たちが泊まっている Mango Hotel のようです。その手前に続いているのが駅舎。ほんと、駅舎の隣りで、ホームに接して建っているホテルです。笑

そのまま、どんどん歩いていると…、


あっ


サパ行きの夜行列車です。毎日、夜10時に出発します。

4年前、これに乗って、サパまで行ったんですよね…。

コンパートメントの中には二段ベッドがふたつ。こんなふうになっていました。(画像をお借りしました)

駅の出口です。4年前にサパから戻った時は、ここから駅を出ました。

これが一応、駅前広場です。もう、「なつかしい」ということばしかありません。


多動夫は、すっかり我を忘れていて、
このまま街に歩きだしそうな気配です。


「いいかげんにしなさいよ。
 ちょっとホームを歩くだけ、
 のはずだったでしょ?😟」
とMIYOに怒られて、我に帰りました。
(アホ)
ホテルの部屋に戻って、いったん休憩。


MIYOは、昨夜ATMから引き出したお金をベッドの上に並べて、あらためて計算しました。右下のお札2枚とコインは、4年前に使い残したものです。20円分くらいですね。笑


全部で600万ドン。約36000円です。
円安のため、4年前よりも
少しレートが悪くなりました。
現在のレートは、
1.00000 VND = 0.00611 JPY
のようです。


…と言われても、
にわかに計算できませんよね。😅
なので、この旅行中は、
4年前にMIYOがやっていた計算方法を
そのまま踏襲することにしました。


それは、
「0を2個取って2で割る」
というものです。


たとえば、1000000ドンと言われたら、
「0を2個取って2で割って、5000円」
と理解します。
これだと、頭の中で瞬時に換算できます。
かなり乱暴なやり方ですが、
お金の計算にいちいち電卓を叩きたくないので、
今回も、旅行中はそれで押し通しました。


実際は、もう少しだけレートが悪いのですが、
もともと、日本に比べて物価が安いので、
まあ、「誤差」ってことで。笑


このブログでも、価格については、
この方法で書いていきたいと思います。
あくまでも、「誤差」を含んでいるということで
お読みいただければと思います。


さて、ここから、実質的な旅が始まるのですが、
実はこの日には、
たいした予定は入れていませんでした。


「18日も旅行するんだから、
 せかせかと歩きまわるのはやめようよ。
 私は、ベトナムの時間を楽しみたい。
 なにもせず、ただぼんやりと、
 街を歩いている人をながめて過ごしたい。」


それが、ベトナムでMIYOがやりたいことでした。
そして、4年前にベトナムに2か月いたときは、
本当にそんな過ごし方をしていました。
自分のペースで、時間がゆったりと流れていく
というのは、ほんとうに楽しかった。


今回は、多動夫がいっしょなので、
まあ、そうもいかないんですけどね…。😅
「せめて初日くらいは、のんびりさせてよ。」
というのが、MIYOの希望で、
多動夫も、それには同意していました。
(18日もありますからね。笑)


ああでも、この日の夜には、
ビッグイベントがあったんです。


4年前、2か月間ものあいだお世話になった、
チョンさん、タムさんご一家に、
会いに行きます。
ベトナムに行くことが決まってすぐに、
チョンさんから、
「15日は、夕方5時に、家に来てください。」
と、メールをいただいていました。
(以前のブログでは「ローさん」と仮名で書いていましたが、本当のお名前は「チョンさん」です。)


4年前、空港まで迎えに来てくれた、チョンさんとタムさん。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 3 - ハノイに到着(2019年9月1日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


今回、ベトナムに行くにあたって、
「到着が深夜になるので、
 夜中でもフロント対応してくれるホテルを
 おしえてもらえませんか。」
とメールしたところ、チョンさんから、
「空港からホテルまで、
 弊社のタクシーを手配します。」
と返事がきました。


代金はいらない、と言われて、びっくり。
さすがにそれは申し訳なさすぎるので、
丁寧にご辞退し、自分たちで、
KKdayで送迎車を手配しましたが…。


ということで、ベトナムに着いて早々ですが、
15日の夜は、チョンさん、タムさんの家に、
遊びに行くことになっていました。
なので、昼間はわざと予定を入れず、
気ままにゆっくりと過ごすつもりでした。


ホテルのロビーにはカフェもあるので、ここでまったりしててもいいし…。


だけど多動夫は、
街を歩きたくてしょうがないんですよね…。


しかたないので、
日本から大量に持って来たお土産を
リュックにぎゅうぎゅうにつめ、
どうしても街を歩きたい多動夫が、
それを背負って歩くことになりました。笑


ということで、11時半に、ホテルを出発。フロントのおねいちゃんは、制服のアオザイを着たままで、スマホで遊んでます。まあ、この国ではだいたいこんな感じですね。笑

これは、ホテルの玄関の光景です。🤣🤣


玄関前の、木陰になったところで、
3人の男性がお茶をしていました。
座っているようすが自然で、
みなさん、顔見知りのようです。
この国では、あたりまえに見かける光景です。


小さなイスがあり、
瓶にお菓子が入っていること。
お茶は魔法瓶に入れられていて、
使い捨てのコップがたくさん置いてあること。
…などを考えると、
もしかしたら、中央の男性が開いている、
小さな路上カフェなのかもしれません。


男性には、左手がありませんでした。
年齢から考えて、もしかしたら、
ベトナム戦争で失ったのかも…。
小さな路上カフェを開き、
近隣の人々がそのお茶を飲むことで、
老人の生活を支えているのかな。
…などと考えました。


まあそんなことは、
MIYOの勝手な想像なのですが。


ホテルを出て、隣りのハノイ駅の前を通りました。手前がVIP ROOMで、奥が正面玄関です。


【ハノイ駅】
1902年のフランス植民地時代に設立された、ルネッサンス様式の駅でした。1972年に、ベトナム戦争による爆撃を受け、中央部が破壊されました。その後、破壊された中央部は、ソビエト様式で再建されました。そのため、爆撃を免れた駅両側の部分と中央部分とのテイストが異なってしまいました。そのちぐはぐな組み合わせに、ベトナムの歴史がしのばれます。現在は、根幹路線である南北線を始めとする4支線の列車が発着する、ハノイのターミナル駅となっています。


フランス人の写真家・Pierre Dieulefils (1862-1937) が撮った、建設当初のハノイ駅です。フランス人によって建てられた美しい駅は、アメリカ人によって破壊され、ソビエト人によってデフォルメされました。その歴史をすべて飲み込み、飄々と使用するのが、ベトナム人。

VIP ROOMのある部分は、フランス植民地時代のテイストを今も残しています。

そしてこちらは、ソビエトによって再建された部分。まあ、フランス人のテイストを、ソビエト人が踏襲するわけはないですけどね…。😅

ハノイ駅の前を歩く、長女とMIYOです。(2019年10月18日)


4年前は、そんな歴史を背負った駅だとは
夢にも思わず、
ただあたりまえに、旅を楽しんでいました。


ベトナムの歴史には、
抱えているものがあまりにも多く、
ちょっと掘り下げてみただけで、
思いがけないような事実が出てきます。


今回で、ベトナムに来るのは6回め。
でも何度来ても、
まだまだ、知らないことばかりです。


さて。
ようやく、スタート地点に立ちました。
ここから、
大好きなベトナムに出会う旅が
始まります。


(つづく)

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