MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

のんたんの冬日記④ 「存在をゆるす」ということ(2月10日)

2000年11月13日 K研究所で。(全盲難聴・のんたん 5歳)



盲ろうの子どもが、なにかを他者にわたす、という行為は、
実は、そう簡単に起こることではありません。


見えない、聞こえない子どもが、
「これをこの人に渡したい」と思うためには、
その人の存在が、彼の世界の中で、
認識されていなければならないからです。
そこに至るまでが、むずかしいのです。


姿を見たことも、声を聞いたこともない人を、
いったいどうやって認識するのか。
「他者」を自然に知る、ということが、できないのです。


だから、盲ろうで生まれた子どもの世界には、
はじめは、「他者」はひとりも存在していません。
少なくとも、長男の場合は、そうでした。
長男は、始めの頃は、
たったひとりの世界で生きているような赤ちゃんでした。
そしてそれは、何年も続きました。


長男が小さかった頃のことです。
当時、私たち家族は、
K研究所の教育相談に定期的に通い、
T先生のご指導をいただいていました。


ある日のことです。
おもちゃで遊んでいた長男が、なにを思ったか、
そのおもちゃを、ひょい、と、
横に座っていたT先生に渡したのです。


もうそのおもちゃはいらない、という気持ちだったのでしょう。
いらないのなら、そのへんに放置すればよかったのですが、
長男はなぜか、そのおもちゃをT先生にわたしたのです。
そのとき、T先生がおっしゃったことばを、
私は今も、忘れることができません。


「私の存在を、ゆるしてくれてるね。」


あのころ、見えない、聞こえない長男の世界には、
「他の人」は存在していないのと同じようなものでした。
長男は、孤独な世界で、
たったひとりで、生きているような状態だったのです。


そんな長男が、自分のおもちゃを、
他の人に「手渡した」のです。
そのとき、長男の世界には、
たしかに、T先生がいたのでした。


そのことを、T先生は、
「私がいるのを、この子はわかっているね。」
ではなく、
「私の存在を、ゆるしてくれてるね。」
と表現されたのです。
それはなんと、あたたかい、優しいことばだったでしょうか。


「存在をゆるす」というのは、
他者が自分のそばにいることをわかっていて、
その人と、かかわりを持とうとすること。
そういう意味だったのでしょう。
それは、他者に信頼を寄せることができるようになって、
初めて可能になることでした。


あのとき、長男は3歳くらいだったように思います。
「ボクの世界に、あなたがいるのを、知っているよ。」
と、自分からおしえてくれた、
はじめてのできごとだったかもしれません。


他者の存在を認め、その人に物を手渡す、
という、何気ない行為を、
長男は、長い年月をかけて、獲得していきました。


今では、大人になった長男。
わがままを言いながら、
着替えの袋を、イナガキさんに渡しています。
(子どもみたいですね。苦笑)


小さな小さな子どもだったころ、
見えない、聞こえない世界で、
たったひとりで生きていた、長男。
その長男の世界に、
今では、たくさんの人が、あたりまえに存在しています。


多くの方々に支えられて、
長男がそんなふうに育ったことを、
いつも感謝しています。


長男が、着替えのはいった袋を、
イナガキさんに持たせているようすを想像して、
申し訳なく思いながらも、
うれしい気持ちでいっぱいになりました。
小さかった頃の長男の姿が、重なりました。


(つづく)

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