MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 180 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館①(2019年10月27日/57日め)

2019年10月27日 ハンザ市場で。バッチャン焼きのお店です。手描きなので、ひとつひとつの絵柄が微妙に異なっていて、見ているだけで楽しい。^^


10月27日


前日の、トンキンショーを見た余韻が
まだ残っていました。
翌日は日曜日。
ベトナムで過ごす、
最後の日曜日です。


トンキンショーでもらった記念品。手札サイズのポーチと…、

メモ帳。左は、ゴールド席のチケットです。


最後の日曜日にはどこへ行こう…
と、数日考えたのですが、
結局、「ベトナム軍事歴史博物館」に
行くことにしました。


この博物館には、
初めてベトナムに来たとき(1989年)に、
一度訪れています。
でも、もう30年も前のことです。
なにが展示されていたのか、
たったひとつのものを除いて、
まったく覚えていません。


当時、私が打ちのめされた、
そのたったひとつのものを、
また見に行きたい、と思いました。


初めてベトナムに来たときの写真が、当時の年賀状になっています。日付は、1989年7月28日。笑 遠くに見えているのは、ハノイから車で数時間のところにあった、少数民族の村。少数民族フェチの夫のせいで、当時も、こんなところばかり歩いていました(苦笑)。


【ベトナム軍事歴史博物館】Bao Tang Lich Su Quan Su Viet Nam
ベトナム戦争当時、北ベトナム軍やアメリカ軍に使われた小火器や爆弾、戦闘機などが展示されています。なかでも、1975年4月30日のサイゴン陥落の際、大統領官邸(現、統一会堂)に突入したT54B型843号戦車と、博物館入口左側に展示されているミグ21型5121号戦闘機は、ベトナムの歴史を語るうえで貴重な遺物で、2012年に国宝に認定されました。さらに2015年には、博物館入口左側に展示されているミグ21型4324号戦闘機と「ホーチミン決心戦役地図」が、新たに国宝に認定されました。


いつもなら、自宅から旧市街まで、
一時間かけて、バスに乗って行くのですが、
あいにく、この博物館の近くを通るバスは、
自宅近くにはありませんでした。
バスを乗り継いで行くことはできましたが、
なにより、時間がもったいない。
そこで、タムさんにお願いして、
タクシーを呼んでもらいました。


博物館まで、一時間走っても、
タクシー代は700円くらい。笑
いつものバス代35円に比べれば、
大きな出費ではあります。
でも、帰国を前にして、
使いきれなかったベトナムドンが
あまっていたので、ここは奮発しました。^^


ベトナム軍事歴史博物館に到着しました。

門の内側では、警察が銃を持って控えています。

チケット売り場です。入場料は、40000ドン(約200円)でした。

入り口を入ってすぐ、左手に見える、ミグ21型4324号戦闘機。2015年に、国宝に認定されました。戦闘機が、「国宝」になってしまう国、なんですね…。


コメントで、
「旧ソ連製ですね。
 ベトナム戦争中多数の米軍機を撃墜したとされる、
 いわばベトナム空軍にとって、
 シンボル的機体なのですね。
 後進の教育の参考資料ともなるでしょう。」
と、教えていただきました。
topganさん、ありがとうございました。


そして、ひとつめの展示館(第一資料館)に入ります。大型の観光バスが、次々にやってきます。

「軍事歴史博物館」ですから、だいたい、こういうものばかりが展示されています。

爆弾を持って、戦車に突撃する兵士の像。

この女性は、ベトナムの英雄のようで、いくつもの博物館でお写真を見ました。戦火をくぐり抜けて闘い、2016年に、86歳で亡くなられたそうです。

ホーチミンルートを走る、自転車の軍団。


そして…。
ありました。
私が、「また見たい」と思っていた物。



物資を積んで、ホーチミンルートを走り続けた、自転車です。

一台の自転車で、200キロの物資を運んだそうです。

200キロですよ…。

あまりにも大量の物資を積んだため、ハンドルを操るスペースがなくなってしまいました。そのため、ハンドル部分に木の棒をしばりつけ、その棒を動かすことで、ハンドルを操作したそうです。


そう、この棒なんです。
30年前に、私を打ちのめしたものは…。


こんなものまで使って、
こうまでして、ただひたすらに、
サイゴンへと物資を運び続けた人々。


こうやって、アメリカと戦い、
そして勝ったのだ、という驚きを、
今も鮮明に覚えています。


あの時と同じ自転車が、
今、目の前にありました。


2か月前、ハノイに来たばかりの頃に、
初めてひとりで訪れた場所が、
「ホーチミンルート博物館」でした。


そして今、
そのホーチミンルートを走り続けた自転車と、
30年ぶりに再会を果たしました。


ホーチミンルート博物館で始まった、
私のハノイ生活は、
そのホーチミンルートを走った自転車と共に、
今、終わろうとしていました。


「30年ぶりだね。
 また、会いに来たよ…。」


心の中で、自転車に話しかけていました。


展示館のベランダから。すぐ近くに、フラッグタワーが見えました。


(つづく)

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