MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 28 - 4人でランチ(1987年5月8日/8日め)

1987年5月8日 シュエダゴンパゴダで、フォーさんと。(ビルマ・ラングーン)


1987年5月8日(火)- 8日め


早朝、ラングーンに着いて、
駅の周りを散歩しながら、
商売までしてしまった、私たち。笑


そろそろお昼近くになったので、
駅に戻りました。
駅で、ふたりの人と
待ち合わせをしていたのです。


話は、前日の夜に戻ります。
出発時刻を過ぎても一向に来ない列車を、
線路際で、ただじっと待っていたときです。
あたりをウロウロしていた夫が戻って来て、
「日本の人がいたよ。」
と…。


「ウソ。
 なんでこんなところに、日本人がいるの?」
(↑自分もいるだろうが。🤣)
とか言いながら、夫のあとをついていくと、
そこに立っていた人は、ビルマ人。🤣


…と思いましたよ。
だって、真っ暗だから顔はほとんどわからないし、
長身の彼は、ロンジーをさらっと着こなして、
どう見てもビルマ人。


でも、口を開けば日本人でした。爆


横浜から来たという、Sさん。
私たちと同じように、7日間のビザを取り、
GWと休暇を利用してビルマに来たそうです。
ビルマに着いた日も、日本に帰る日も、
私たちと同じ。
(お互いサラリーマンだからね。^^)


「それであの…。
 荷物は? バックパックは?」
と尋ねると、
「あ、荷物、これだけです。」


そのとき彼が手に持っていたのは、
小学生の上履き入れくらいの大きさの、
巾着袋。


「はい…?
 これだけですか?😮」
「なにも持たないで旅行するのが好きなので。」


袋の中にあるのは、
シャツ、下着、歯磨き粉と歯ブラシとか、
そんなものだそうです。


「着替えのズボンは?」
「ないです。かさばるから。」


汚れたな、と思ったら、
どこかの宿に泊まった時、
夜寝る前にシャワーのついでにズボンも洗って、
干しておく。
翌朝、乾いてなくてもそれを履く…のだそうです。


「だって、暑い国なら平気だろうけど、
 そうでない国だと、困るよね?」
「ゔ~! 寒い寒い!
 とか言いながら履いてます。😄」


この人、大丈夫だろうか、と思いました。
が、話がとてもおもしろくて、
人柄がいいのはすぐにわかりました。^^


「巾着袋」ひとつで旅行する彼のスタイルには
とても驚きましたが、
あちこちで逸話が残っているそうです。


例えば、空港で。
巾着袋一つで入国しようとすると、
「ちょっと待て。荷物、受け取ってないだろ。
 あっちのターンテーブルに残ってるはずだから、
 取ってきなさい。」
と、親切に足止めされること、多数。🤣


巾着袋ひとつのSさんも驚きでしたが、
もっとすごい人を、MIYOは知っています。
その人は、なんと、
手ぶら
です。


「海外旅行なんて、
 パスポートひとつあればいい。」
と思ってるようで、
パスポートとお金しか持たない。
まあ、究極、そのとおりなんですけどね。笑


その人、Yさんは、
「『地球の歩き方』の原稿を書きませんか?」
と、大学生だったMIYOに
声をかけてくれた人でした。


「Yさん、手ぶらなんですか?
 歯ブラシも持たないの?」
と、同僚に訊くと、
「歯は磨かないんじゃない?」
なんて笑わせてくれましたが。
よく考えると、
歯ブラシなんてホテルに置いてあるから、
持っていなくてもいいのかも。


話は、タジーで会ったSさんに戻ります。
そのSさんは、そのとき、
「ビルマ旅行中に知り合った」
というKさん(日本人)を待っていました。
「彼もこの列車に乗ると言ってたから、
 たぶん来ると思うんですけど。」
と言いながら、
暗闇の中、Kさんの姿を探していました。
今と違って、携帯もメールもありません。
旅先では、
通りすがりの人と交わした口約束がすべてで、
それだけを頼りに、誰もが動いていました。


「会えるといいですね。」
と言いながら、その場はお別れしたのですが、
ラングーンに着いてホームに降りると、
SさんとKさんがいました。
無事に会えたようです。^^


ひとり旅をしている、日本人がふたりと、
夫婦旅をしている、私たちふたり。
外国人がほとんどいなかったころですから、
4人もの日本人がホームに集まるというのは、
かなり珍しいことでした。


「せっかくだから、お昼ごはんでも、
 いっしょに食べましょう。」


…ということになり、
お昼の12時に再び駅で会う約束をして
その場は別れたのです。


お昼になり、
約束していた場所に行ってみると、
ふたりはもう先に着いていました。
そのまま、駅の近くのレストランで
食事したように思うのですが、
なにを食べたのか、全然覚えていません。


ただ、4人とも、この5日間、
「村の食堂」みたいなところで
食べたり食べなかったりの生活だったので、
なにを食べても、今までと違い過ぎて、
「これは現実なのだろうか」
と思えてしまい、
戸惑いながらの食事だったような気がします。


左から、Kさん、夫、Sさん。


このあとタイに戻ってからも、
Sさんと再会し、
いっしょにバンコクの町を歩き、
水上バスにも乗ったように記憶しています。
このときのことがきっかけとなり、
Sさんとは今でも、おつきあいが続いています。


結婚式にもお招きいただいたし、
MIYO家にも、
なんども遊びに来てもらっています。
ビルマでいただいた、大切なご縁になりました。


ああ、そうそう。
このブログを書くにあたって、
Sさんに掲載の了解をいただきたく、
お電話しました。
そのときの会話です。


み「ああ、ところでSさん。
  ビルマではどこに行ったんだっけ?
  ラングーンに着いてからどうしたの?」
S「あ、パガンですよ。
  パガンがおもしろそうだと聞いたので。
  5日間ずっと、パガンにいました。」


へ? パガンだけだった? 5日間も?😮


S「パガンで毎日、
  パゴダをぶらぶら散歩して、
  そこで出会ったお姉ちゃんに、
  日本語教えて遊んでました。😄」


いい旅、してるなあ…。


「さすが、私のあこがれ、Sさん。
 やってることが違うわ。
 5日間で、ラングーンからマンダレー、
 ニャウンシュエで舟にまで乗るなんて。
 そんな計画するのは、あなただけよ!」
と言っても、夫はわっはっはと笑うだけ。


「いいんだよ。
 人それぞれ。
 オレは、ああいう旅がしたかったんだから。
 あなたも楽しかったでしょ?」


まあ、そうなんだけどね…。😓


(つづく)

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