MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 15 - モンモンさんの家と、シュエズィーゴン・パゴダ(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 シュエズィーゴン・パゴダで。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


ティーローミィンロー寺院を出て、
モンモンさんが次に向かったのは、
思いがけない場所でした。


なんと、モンモンさんのご自宅です。堂々たる佇まいです。

4人の子どもたちが、わらわらと出てきました。モンモンさん、こんなに若いのに、4児の父です。

お祭りの時の帽子をかぶって見せてくれました。


この子どもたちも、今は40歳くらいですね。^^
どんな大人になっているかなあ…。


どうして突然ここに来たのか、というと、
私たちにも、よくわかりません。笑
ただ、あの頃のオールドパガンには、
売店などはいっさいなく、
ペットボトルなんかもない時代なので、
飲み物を持ち歩くことができず、
水分補給ができなかったのです。
そのため、モンモンさんの家でお茶でも、
と考えてくださったのかもしれません、


じゃあ、お昼ごはんはどうしたのか?
ということなのですが、
これがですね。
いくら考えても、思い出せないのです…。🤣


夫の旅のスタイルは、
「夜討ち朝駆け、ごはん抜き」ですから、
このパガンでも、ごはんそっちのけで、
とにかくあちこち歩き回ったのかも。
でも、パガンの遺跡を見て歩くのは、
ほんとうに楽しかったので、ごはん抜きでも、
MIYOも怒らなかったようです。😄


じゃあ、モンモンさんのごはんはどうしたのか?
という、新たな疑問も出てくるのですが、
全然、記憶にありません。(スミマセン)
(私たちがパゴダの中を歩き回ってる間に、
 お弁当とかを食べていたのかもしれませんが。)


なにはともあれ、
モンモンさんの家でお茶をいただき、
少し休憩しました。
あの若さで、馬車ドライバーとして働き、
家族を養い、
立派な一戸建てに住んでいることに、
ただただ、感心するばかりでした。


さて。
モンモンさんのお宅でひと休みしたあと、
次に向かったのは、
シュエズィーゴン・パゴダでした。


ここで馬車を降りて、パゴダまで歩きました。中央に小さく写っているのが、私たちが乗ってきた馬車です。


【シュエズィーゴン・パゴダ(Shwezigon Pagoda/ရွှေစည်းခုံဘုရား)】
アーナンダ寺院と並んで、パガンを代表するスポットで、パガン近郊のニャウンウーにあります。パガン王朝を代表する宗教建築物です。11世紀に、タトォン国を征服し、バガン王朝を築いた初代国王アノーヤターと、3代目の国王チャンスィッターによって建立されたもので、後に建立されたビルマ式パゴダ(仏塔)の原形となりました。「シュエ」(ရွှေ)はビルマ語で「金」、ズィーゴンは「砂の河岸」、もしくはパーリ語で「祝福された土地」を意味します。絢爛豪華なパゴダは、3層の方形基壇と、その上にそびえる円筒型の仏塔で構成されていますが、全体が金箔で覆われています。高さは40m。日差しを受けて、神々しく輝く姿は、圧倒的な美しさです。
建設に着手したのは初代アノーヤター王でしたが、規模が大きすぎたためか、在位中は完成に至らず、息子のチャンスィッター王の時代に、ようやく完成しました。内部は見学できませんが、境内には、台座や境内のお堂にはジャータカ物語のレリーフや装飾があり、繊細な木彫装飾やナッ神を祀る祠など、見どころ満載です。


中央に見えている巨大な像は、ビルマの神話上の動物、チンネ(羽根のあるライオン)です。

当時夫が買った絵葉書。写真ではなく、「絵」です。

長々と通路を歩いて、ようやくパゴダが大きく見えてきました。

パゴダの前まで来ると、今度は大きすぎて、写真におさまりません。夫は分割して撮っていました。笑(下の2枚です。)

上の祠堂の中には、神像が並んでいます。

上の、分割して撮った2枚をつなぎ合わせるとこうなります。

現在の同じ場所です。😮(画像をお借りしました)

37年前。隔世の感があります。

現在のシュエズィーゴン・パゴダです。(画像をお借りしました)

パゴダの周囲にある仏塔たちも…、

現在はすべて金です。😄(画像をお借りしました)

よくぞここまでやってくれました。😅(画像をお借りしました)

お堂の壁や柱に施されていた、細かい装飾。ここに描かれているのは、ジャータカ物語。


【ジャータカ物語】
ジャータカとは、釈尊が前世に菩薩として修行していたとき、生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語です。親しみやすい物語形式の中で、ブッダの教えが説かれています。歴史的には、「イソップ物語」や「アラビアン・ナイト」にも影響を与え、日本にも「本生話」「本生譚」としてその一部が伝えられました。仏教の教えを親しみやすく説いたジャータカは、テーラワーダ仏教の諸国で広く語り継がれています。


この装飾は、現在も変わりなく残されています。(以下2枚、画像をお借りしました)

お堂の中で、小さな赤ちゃんを抱いた女性と。カワイイ。^^


パガン最大の見どころと言ってもいい、
シュエズィーゴン・パゴダですが、
このときの写真をいくら見ても、
私たち以外に、観光客が見つかりません。
ほんとうに、私たちだけだったんだなあ…。😮
前日は一日じゅう、「パガン貸し切り」でしたが、
ここでもやはり、同じでした。


お参りに来ていた地元の女性に、
生まれたばかりの赤ちゃんを見せてもらったのを、
なつかしく思い出します。


観光客が誰もいない、ひっそりとした境内で、
私も夫も立ちつくし、ただ黙々と、
シュエズィーゴン・パゴダを眺めていました。


(つづく)

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