MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 2 - ゼージョーマーケット(1987年5月3日/3日め)

1987年5月3日 マンダレー駅で。(ビルマ・マンダレー)


1987年5月3日(土)- 3日め


ラングーンから夜行列車に乗り、
一夜が明けました。


窓の外の景色。うわぁ、牛が畑を耕しています。^^

高床式の家が並ぶ、小さな村が見えました。

こんな小さな村にも、パゴダが並んでいました。

マンダレー駅が近づいてきたようです。

これまで見てきたよりも立派な家が続くようになったな、と思ったら…、

マンダレー駅に到着。ホームにはたくさんの人がいて、全員、ロンジー姿です。

マンダレー駅の前で。こんな感じで、ビルマの中を歩きました。


【マンダレー】
ミャンマー第二の都市で、大河エーヤワディー川の畔に広がる、(現在は)大都会です。ミャンマー中部に位置しており、東西南北をつなぐ交通網の要衝であり、郊外の国際空港がによって、国内各地とも結ばれています。
ミャンマーが英国植民地になる1886年までは、最後の王朝コンバウン朝の首都でした。しかし、ミャンマー最後の国王・ティーボーが、英国によってインドに追放されたことによって、この町は王都としての役目を終えました。

第二次大戦中には、この町を巡って、日本軍と英国軍の激しい戦闘が行われました。近現代におけるミャンマーの、激動の歴史を刻んできた町であると言えます。


とりあえず、駅に荷物を預けて、
シクロ(サイカー)に乗りました。
まだ朝早い時間だったので、
とりあえず市場に行ってみることに。


ビルマのサイカーは、二人乗りの荷台の横に
自転車を取り付けたタイプ。
自転車と反対向きに取り付けてあるので、
走行中、私たちはずっと、
後ろ向きで進むことになります。笑


ドライバーのココさんと。

道端でアイスクリームを買っていたら、ココさんの弟のウィンさんが、自転車で通りがかりました。


その勢いで、ウィンさんもいっしょに、
市場に行くことになりました。


どうやら着いたようです。

マンダレー最大の市場、ゼージョーマーケット(Zeygyo Market)です。

お店がたくさん並んでいて、にぎわっていました。

このあと、ココさんは市場の前で待ち、(なぜか)弟のウィンさんが、マーケットの中を案内してくれました。

男の人も女の人も、みーーーんなロンジー。パンツやスカートは皆無です。

お母さんといっしょに、手作り料理を売る女の子。

お水屋さんです。お金を払うと、バケツの中の水をコップに注いでくれます。ペットボトルもコンビニもない時代。お水を飲みたければ、こういうのを買うしかありませんでした。

秀逸だったのは、この「お水販売器」。バケツの上に、布の茶こしを取り付けてあります。お金を払うと、まずは、コップ一杯の水をこの茶こしに注ぎます。布で濾過された水をコップに受けて、それをもらって飲むシステム。


「布で濾すとか、
 いったいどんな水だったんだ。🤣」
「あのコップは洗っていたのだろうか。」
とか、今なら思いますが、
あの頃はこれしかなかったので、
もうふつうに飲んでいました。😅
そして、この「売り水」で、
お腹をこわしたことはありませんでした。


ザルに刃物を並べて売っている、シャン族のおばあさんと。夫が大好きな一枚。

素焼きの壺をたくさん並べたお店。

小さな食料品店。

乾物屋さん。

布地屋さん。夫にわざと立っていてもらったのですが、実は撮りたかったのは、この女性の方。藤色のロンジーがあまりにすてきだったので。髪飾りも同じ色で合わせておられました。^^

このあとは、食堂エリアになりました。中華鍋で油条を揚げては、ザルに並べています。

油条です。中国・タイ・ベトナム・台湾・シンガポールの伝統的な麩料理で、細長い揚げパンのようになっています。最近は、日本でもわりと簡単に食べられるようになりました。(画像をお借りしました)

食堂エリアなのですが…。どこまでが厨房で、どこからがお店なのか、よくわからない状態。🤣


ここまでずっと、
ウィンさんといっしょに歩きました。


前日、ラングーンで会ったフォーさん、
そしてマンダレーで会ったこのご兄弟。
みなさん、なぜか、
いきなり出会った私たちに、
おごってくれたり、案内してくれたり。
だからといって、
お金を要求するわけでもありません。


こういうことは、他の国では、
(たまにはありますが)
なかなか起こらないことでした。
でも、ビルマではこれが普通なのだと、
旅を続けるうちに、次第にわかってきました。


今思い出しても、
「あのころのビルマは、
 天国にいちばん近い国だった。」
という気持ちに、変わりありません。
ビルマ国内の、行く先々で出会った人々との、
さまざまなふれあい。
それは、他の国では、
なかなか得られない体験だったと思います。


楽しかった、ゼージョーマーケット。

ちなみにこれは、現在のゼージョーマーケット。もはや、タイとかベトナムの市場と変わりませんね…。(画像をお借りしました)


ゼージョーマーケットの、
あのなつかしい風景は、
今はもう、どこにもありません。
旅というのは、そんなものですね…。
今、この瞬間を見ておかないと、
もう二度と、見ることはできないかも。
「いつか行こう」と思っていても、
その場所は待っていてくれず、
やがてなくなってしまうかもしれません。


行きたいところには、
行けるときに行かなければ。
やりたいことは、
できるときにやらなければ。
会いたい人には、
会えるときに会わなければ。


旅だけじゃなく、
人生もまた、同じことかもしれません。


このあとも、マンダレーを歩きます。


(つづく)

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