MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 107 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所② 会津藩士団のリンゴと、お客様待合室(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。
気になる方もいらっしゃるかと思うので、
ここで少し情報を書いておきます。


「無料ガイドツアー」は、毎日開催されていて、
所用時間は約70分(工場見学+無料試飲)。
完全予約制で、
ニッカウヰスキー余市蒸溜所のサイトから、
ネット予約することになっています。
注意点は、
・電話などによる予約はできないこと。
・申し込み人数は、1名から9名まで。
 (10名以上での予約はできません。)
です。


案内図です。見学コースでは、図のいちばん下にある正門から点線に沿って歩きます。


【ニッカウヰスキー余市蒸溜所】
ニッカウヰスキーの創業地で、北海道余市郡余市町にあります。現在は、アサヒグループホールディングスの機能子会社であるニッカウヰスキーの工場(蒸溜所)となっています。正式名称は、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所ウイスキーづくりの理想の地を求めていた竹鶴政孝が、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市に蒸溜所を建設したのが始まりです。
1934年(昭和9年)、寿屋(現在のサントリー)を退社した竹鶴政孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていました。竹鶴政孝が目指したのはスコッチ・ウイスキー。ハイランドの蒸溜所と同じように、力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくろうとしていました。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていました。なかでも余市は、三方を山に囲まれ、北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていました。さらに、果汁の原料となるリンゴの産地であることが、工場建設の決め手になりました。
蒸溜所では、現在は世界で唯一とされる昔ながらの「石炭直火蒸溜」を行い、「品質第一主義」を貫いています。日本国内では初めて、ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になりました。
「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として、北海道遺産に選定されているほか、蒸溜所内の建造物9棟が国の登録有形文化財に登録されています。また、「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー(株)北海道工場)」として、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。北海道の観光地としても人気があり、トリップアドバイザーからエクセレンス認証を授与しました。
2021年(令和3年)、「旧事務所」(余市町指定有形文化財)、「事務所棟」、「貯蔵棟」「リキュール工場」、「第一乾燥塔」、「第二乾燥塔」、「研究所・居室(現リタハウス)」(以上国の登録有形文化財)、「第二貯蔵庫」の10棟が、国の重要文化財に指定されました。


覚えておいででしょうか。
よいち水産博物館で見た、
「会津藩士団」のお話を…。
北海道への移住を命じられた会津藩士たちが、
苦難の末に成功させたリンゴ栽培。
それが、北海道における果樹栽培の礎となります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 105 - よいち水産博物館④ 北海道鰊大漁概況之図、奥寺家の神棚、そして会津藩士団(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


彼らの尽力で、
余市はリンゴの一大生産地となりました。
それが、竹鶴政孝にとって、
蒸留所を建設する際に余市を選んだ
決め手になったのだそうです。
*ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようという構想でした。


会津藩士団の存在がなければ、
余市にリンゴはなく、そして、
余市蒸留所もなかったのかもしれません。
歴史が、さまざまなところで、
深くつながっていることに、感動しました…。


それでは、見学を始めます。


前回は、正面入口で受付をすませ、塔のアーチを抜けたところまででした。

アーチを抜けると、目の前にはこんな景色が広がっています。これは第一乾燥棟です(国の登録有形文化財)。

同じく、第一乾燥塔。

第一乾燥塔(右)と第二乾燥塔(左)(共に、国の登録有形文化財)。

そして次は、左側に見える建物です。(奥に見えているのは、今くぐってきた正門です。)

壁面の、独特の質感をご覧ください。レンガではなく、札幌軟石(北海道札幌市南区で産出する凝灰岩の石材)で造られています。施設内のかなりの建造物が、札幌軟石でできているそうです。


札幌軟石は、開拓時代に、
主要建造物の資材として広く使われました。
現在の札幌市内では、
札幌軟石を使った建物が約300棟確認されており、
北海道らしい景観を呈しています。


札幌軟石については、代表的な建造物の写真と共に、過去のブログで書きましたので、興味のある方はご参照ください。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 73 - 札幌市資料館① 軟石の街に残る古城(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


まずはこの建物の待合室で待機するように、と案内されました。

「お客様待合室」と書いてあります。

これまでの「灰色の世界」から一転して、鮮やかな赤いパネルが出迎えてくれました。

札幌・すすきの交差点にある、「キング・オブ・ブレンダーズ」のネオン看板は、あまりにも有名ですね。^^(画像をお借りしました)


このネオン看板は、1969年に設置されました。
「キング・オブ・ブレンダーズ
 (ヒゲのおじさん)」は、
右手にグラスを持ち、
左手に大麦の穂を持っています。


待合室の内部では、「ウイスキーができるまで」を説明したパネルが展示されていました。

ニッカの拠点は、こんなにあるんですね。^^

いただいた入場券です。MIYOの入場券はアルコール試飲付きなのですが、夫は運転するので、ソフトドリンクとなっていました。ちょっとカワイソウ。😅


ふと気づくと、多動夫がいません。
いったんは待合室に入ったものの、
「こんなところでじっとしていられるか~」
とばかりに、外に飛び出したようです。
写真をがんがん撮っていました。🤣🤣
(ここまでに掲載した写真の大半は、
 このときに夫が撮りまくったものです。)


MIYOは、
「どうせこのあと、
 見学コースの中で見るのだから、
 そんなにあせって写真撮らなくても…」
と思うのですが、夫はもう、
とにかくじっとしていられない。🤣🤣
しょうがないので、MIYOも外に出ました。笑


多動夫がひたすら撮った、写真の数々。😔

札幌軟石が、得も言われぬ雰囲気を醸し出しています。


前置きが長いですね…。
なかなか見学が始まらなくて、スミマセン。😅


(つづく)

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