MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 38 - 臨江閣⑥ 別館2階と、るなぱあく(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 るなぱあくで。(群馬県前橋市)


1月18日(水)


臨江閣別館・2階に来ています。



うれしくて、180畳の大広間を、うろうろと歩き回るMIYO。他に訪れる人はなく、貸し切り状態でした。笑

板の間の部分は、一部がガラス張りになっており、内部の構造を見ることができます。

大広間の両側には、長い縁側が設けられています。

窓ガラス越しに、茶室の屋根が見えました。

手すりの、美しい細工にもご注目ください。^^

縁側は、大広間を囲むように、2階全体にぐるりと設けられています。その縁側を歩いて、2階部分を一周してみました。

窓の外には、広大な庭が見えます。

その左側にあるのは、群馬県庁本庁舎(地上33階建て)。

夫が、窓ガラスにへばりついて撮った写真です。🤣🤣


ほんの2日前には、
この県庁ビルの展望ホールから、しょんぼりと、
臨江閣を見つめていたんですけどね…。笑
今はその県庁ビルを、黄金色の夕陽と共に、
笑顔で眺めています。^^


臨江閣本館も見えました。まっすぐに延びた渡り廊下の先に見える、本館。夕陽に照らされて、ほんの少し色づいていました。


2階部分をぐるぐると歩いているうちに、
閉館時間になってしまいました。
まだまだ名残惜しいのですが、
私たちも、そろそろ帰路につく時間です。


1階へとつづく階段を降りました。

階段は折れ曲がっているため、いくつかの親柱(主柱)が設置されていました。親柱の上部には、擬宝珠(ぎぼうしゅ)という飾りを設けてあるのですが、そのどれもが、木目を活かした美しい文様を描いていました。

こちらは、にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)の離れで見た、たも材の階段と親柱です。たも材の木目で仕上げてあるものとして、これほど見事な作品は、現在では他に類を見ず、にしん御殿(旧青山別邸)の美しさを象徴する作品のひとつとなっています。(国指定登録有形文化財)(2021年6月28日 北海道小樽市)

親柱をよく見ると、やはり、木目模様がきれいに配置されているのがわかります。

このときの日記です。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


どの建造物にも、それぞれの持ち味があり、
階段ひとつを見るだけでも、
同じものがありません。
興味はつきません。^^


最後にもう一度、夕陽に照らされる臨江閣別館を眺め、お別れしました。


前橋市が誇る、美しい迎賓館・臨江閣。
明治17年、時の県令・楫取素彦が、
前橋市に迎賓館がないことを憂い、
市内有志らの協力と寄付により、
建築したと言われています。
建設にあたっては、多くの市民有志からも、
計6000円が集められました。
このとき楫取県令は、茶室部分を寄付しています。
また、建設した後も、臨江閣の一切の経費は、
市の有志による寄付金で賄われました。
このようにして、
前橋町民の力で作り上げたのが、
臨江閣でした。


その臨江閣を訪ねるということは、
かつて前橋に生きた人々の思いに触れ、
群馬県の歴史の一端を知るということでした。
臨江閣だけでなく、その周辺におよぶ、
前橋城跡の広大なエリアについても、
受け継いだものを
より良く利用して行こうとする
人々の気概を感じました。


臨江閣は、前橋市の宝。
群馬県の宝。
そして、日本の宝です。


全国にある、日本の宝。
それをひとつひとつ見て歩く旅は、
本当に楽しく、そして深いと
つくづく思います。


さて。
ここでNさんにお別れし、
東京に戻るつもりでした。
ところがNさん、
「もうひとつ、
 見て欲しいところがあるんだよ。」
と言うや、歩き始めました。^^


私たちも、わけがわからないままに、
Nさんの後をついて歩きました。笑
向かったのは、臨江閣のお向かいにある、
小さな遊園地です。^^


「え? 遊園地?」と、戸惑うMIYO。笑

ここは、「るなばあく」と言います。


【るなばあく】
前橋市立の遊園地で、正式名称は「前橋市中央児童遊園」。2004年(平成16年)4月、市民公募によって「前橋るなぱあく」の愛称が付けられました。コンセプトは「にっぽんいちなつかしいゆうえんち」
開園は、1954年(昭和29年)11月。面積はサッカー場2面ほどで、飛行塔、豆汽車、ミニヘリコプター、豆自動車、メリーゴーラウンド、くじらの波乗り、ウェーブスターライド、くるくるサーキットの8種の大型遊具、木馬5台、小型遊具11台という、小さな遊園地です。
入園料は無料。大型遊具は一人10円、木馬と小型遊具は1回10円で、日本一安い遊園地と言われています。3歳以下の子供に付き添う大人は無料です。これは、「低年齢児の安全確保のために、付添者の添乗を義務付ける代わりに、料金を取らない」という、安全を優先した考えによるものです。
遊具の中には、全国的に貴重なものが多数あります。まず、もくば館とそこに設置されている5台の電動木馬は、1954年(昭和29年)製で、2007年(平成19年)に、国の登録有形文化財に指定されました。稼働中の遊具で登録文化財となっている、希少な例です。また、自走式ジェットコースターであるウェーブスターライドは、8人乗りという極めて小さなものです。
2017年(平成29年)度の延べ利用者数は約171万人で、1954年(昭和29年)の開園以来、最多を記録しました。

るなぱあくのキャッチコピーは「日本一なつかしい遊園地」で、「ゆっくり大きくなる子どもたちのために」をモットーに運営を行っており、市民の大きな支持を得ています。


ちょうど営業が終わったところで、遊具にはカバーがかかっていました。残念。笑

るなぱあくについて、熱く語るNさん。笑


Nさんに教えていただかなかったら、
るなぱあくの存在すら知りませんでした。
「登録有形文化財の遊園地」なんて、
なかなか見ることはできません。
貴重なスポットを案内してくださり、
ありがとうございました。^^(→Nさん)


そして今、このブログを書いているときに、
「登録有形文化財の遊園地」を、
以前にも訪れたことがあるのを
思い出しました。


北海道函館市にある、函館公園「こどものくに」です。(2022年4月19日 北海道函館市)
(このときの日記は、まだ書けていません。😅)

レトロ感満載ですね。^^


【函館公園「こどものくに」】
1956年に開園しました。以来、地域に根ざし、70年近くにわたって愛され続けている遊園地です。管理運営しているのは、北海興業株式会社という家族経営の民間企業で、開園当初から代々「こどものくに」を守っています。
「日本最古の観覧車(1950年製)」は、2019年(令和元年)に国の登録有形文化財に指定されました。また、開園当初からある飛行機や、日本では珍しい吊り下げ式のメリーゴーランドなど、レトロな遊具がたくさん残っています。
入園料は無料。乗り物は、ひとり一回300円です。


目玉は、「日本最古の観覧車」。二本の支柱間に直径8メートルのホイールを取り付け、その外周に8台のゴンドラを吊り下げています。1950年(昭和25年)、函館近郊の七飯村(当時)の大沼湖畔に造られ、1965年(昭和40年)に、現在地に移されました。現存する、国内最古の観覧車として、たいへん貴重なものです。

見ちゃったからには、乗らずにいられない、私たち。函館での、思いがけない思い出になりました。笑

日本最古の、観覧車です。笑


次に前橋に行ったときには、
ぜひ、焼きまんじゅうを食べて、
るなぱあくで、
1954年製の電動木馬に乗りたいと思います。😄😄


(つづく)

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