MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

はじめての補聴器(1歳8ヶ月)

(5歳ののんたん。補聴器と服を、水色のリボンでつないでいます。)


最後に補聴器を作ったのは、もう5年以上前になるかも知れません。
毎日使っている物なので、ぼろぼろになっていましたが、
なにしろ、何十万円もする、お高い物なので、
おいそれと作り替えることはできません。


けれど、さすがにこれだけ古くなると、行政から補助金をだしていただけそうです。
そこで、暮れに、夫が、のぞみを連れて、補聴器屋さんに行ってきました。
始めてのぞみの補聴器を作ったのは、1歳8ヶ月のときです。
そのときから20年。
のぞみの補聴器は、ずっと、同じお店で作り続けています。
長いおつきあいになりました。


のぞみの耳が聞こえていないと、初めて言われたときのことは、
のんたん日記1 に書いてあります。
今日、それを読み返してみました。


失明した我が子に、できるだけ話しかけて育ててきたつもりだったのに、
実は、耳も聞こえていなかった、と知ったとき、
「のんたん、私のことも、わかっていなかったんだね…」
と、つぶやくことしかできませんでした。


そんな長男が、補聴器をつけたことで、
「音の世界」を知るようになります。
やがて、私の声を聞いたときにだけ、笑顔を見せるようになりました。


何も見えず、聞こえず、
「盲ろう」の世界にたったひとりで閉じ込められていたのぞみは、
補聴器をつけたときから、
少しずつ、私たちの世界に近づいてきてくれました。


今、のぞみは21歳です。
朝起きたら、自分で補聴器を取りに行って、
勝手に耳につけてしまいます。
外出先で、補聴器の電池が切れても、平気です。
自分のウエストポーチから電池を取り出し、
電池交換も自分でやってしまいます。
補聴器は、のぞみにとって、欠かすことのできない、
大切なパートナーになりました。


のぞみと「補聴器」の軌跡は、こちらをご覧下さい。
のんたん日記   8.のんたんの補聴器 
(1999年11月26日記・のぞみ5歳)
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan01/nontan0108a.html 
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan01/nontan0108b.html
補聴器と共に世界を広げていったのんたんの、成長の記録です。


その他の記録は、
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
をご覧下さい。
MIYO'S WEBSITE(全盲難聴の、のんたんの育児記録)
http://limings.sweet.coocan.jp/
も、少しずつ更新しています。

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