MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 49 - タンロン王城遺跡④ 敬天殿の龍の階段とドラゴンハウス(2023年6月18日/5日め)

2023年6月18日 タンロン城・南門(端門)で。


6月18日(日)


タンロン城址に来ています。
かつて、800年にもわたって、
都であり続けたこの地には、
いくつもの王朝の王宮が作られました。
近年になってからは、それぞれの王朝の遺跡が
発掘されるようになったため、
タンロン遺跡と呼ばれることが多くなりました。


地図を見ながら、4番目のスポットになる、
敬天殿へと歩きました。


大きな鐘が吊り下げられています。この鐘の向こう側に行くと…、

煉瓦が敷きつめられた広場がありました。

広場のつきあたりにある、大きな太鼓と亀。この亀は、ブルーサファイヤでできているそうです。

太鼓の右手、奥にあるのが、ドラゴンハウスです。ここにはかつて、タンロン城の中で最も重要な建物とされていた、「キンティエン宮殿」がありました。

在りし日のキンティエン宮殿です。漢字で書くと、敬天宮。つまり4つめのスポットである、「敬天殿」が、かつてこの場所に建っていました。これは1886年、阮王朝時代に撮影された写真です。基礎部分の上に塀がめぐらされていますが、この塀はおそらくフランス軍が築いたものだろうと推測します。(画像をお借りしました)


【キンティエン宮殿(敬天殿)】
ハノイの古代城塞の主要な遺物であり、紫禁城の中心に位置しています。ここは、風水学的に最も重要な場所になっています。キンティエン宮殿の正面南入口には、10段の大きな階段があります。その階段は3等分されており、中央の階段は皇帝専用、両側の階段は王室専用でした。階段には、石造りの大きな龍の像がふたつあり、これが「龍の階段」と呼ばれています。このふたつの龍は、14世紀のレー王朝時代に造られたもので、レー王朝初期の彫刻芸術を代表する、ベトナムの建築および芸術遺産の傑作と言われています。17世紀初頭には、同様の龍の像の別のセットが宮殿の裏側に追加されました。


キンティエン宮殿は、その後、
フランス軍によって取り壊され、
その場所に、フランス軍の
砲兵司令部が建設されました。
その建物は「ドラゴンハウス」という名で、
今もタンロン城址に残されています。
現在では、ここに敬天殿があった名残りは、
古い基礎と、手前にある階段だけです。


中央の階段は皇帝専用、両側の階段は王室専用でした。

階段には、石造りの龍の像がふたつあります。そのため、「龍の階段」と呼ばれています。このふたつの龍は、14世紀のレー王朝時代に彫られました。

この龍は、レー王朝初期の彫刻芸術を代表する、ベトナムの建築および芸術遺産の傑作と言われています。

現在、龍の後ろには、仮設の玉座のようなものが作られていて、フランス軍が建てた「ドラゴンハウス」をすべて覆い隠しています。

こんな感じです。

4年前に撮った写真です。「龍の階段」と、奥に見えているのが「ドラゴンハウス」です。女性のアオザイがすばらしく、思わず撮った写真でした。^^(2019年10月11日)

MIYOが滞在中に、ハノイに遊びに来た兄夫婦と。(背景にドラゴンハウスが見えます。が、現在はここに、宮殿風のテントを設営してあり、後ろのドラゴンハウスは見えないようになっています。やはり、龍の階段の後ろにフランス軍の建築物があるというのは、ベトナムの人々にとってはいまいましいものだったのだろうと思います。)
このときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 101 - ハノイ市内観光① タンロン城址(2019年10月11日/41日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

これは、フランス軍が1886年に撮った「龍の階段」です。10段あるはずの階段の上半分は煉瓦塀で遮断され、5段しか見えません。また、両側の階段は行き止まりで、通り抜けることができません。そして龍のしっぽは、無残にも、煉瓦塀の中に埋め込まれています。(画像をお借りしました)


他国を侵略し、その国の王宮まで破壊するとは、
フランスもひどいことをしたものだ、
…と思うのですが。
(日本も、過去になにもしていないとは言えません。)


そのフランスが作った、美しいハノイ駅は、ベトナム戦争時、米軍の爆撃で、中央部を破壊されました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間。 5 - ハノイ駅。3つの歴史をくぐり抜けて。(2023年6月15日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


他国から侵略され続け、
100年近くにわたって戦争を続けた、
ベトナムという国。
フランスと戦い続けたあとも、
けっしてあきらめることなく、
最後には、アメリカに勝ってしまった、
ベトナムという国。
その後中国が攻めてきても、
一歩も引かず、中国軍を追い返した、
ベトナムという国。


かつて日本にはできなかったことを、
彼らは彼らなりの方法で、
やり抜いてきました。
すごい国だな、と思います。


けれど、その長い歴史の中で、他国によって、
大切な物を破壊され続けた悲しみは、
この国に来て、注意深く目をこらしてみれば、
今も、街のあちこちで見ることができます。


それにしても暑い。かなりばててきたところに、タイミングよくカフェが見えてきました。MIYOの後ろにある、白っぽい建物です。

Imperial Book Cafe とあります。もう一時間以上、炎天下を歩き続けているので、ここでちょっと休憩することにしました。

アイスベトナムコーヒー(コンデンスミルク入り)を、ふたつ注文しました。店内はエアコンが効いていて、生き返りました。^^

ふたつで80000ドン(約400円)。ここでようやく、500000万ドン札を一枚使用することができました。あとまだ2枚も残っています。😅

このお店でも、ポケベルを渡されました。ポケベルが鳴ったら、カウンターまで自分で取りに行くシステムです。


氷の入ったアイスコーヒーは、
天の救けのようでした。笑
あまりにおいしくて、夢中で飲んでしまい、
コーヒーの写真は撮っておりません。笑


古い門の前で写真を撮る女の子たち。これもレンタル衣装です。いったいどの時代の衣装なのか、もはやわかりません。😅


コーヒーを飲んで元気が出たところで、
ふたたび歩き始めました。


これまでに歩いたところです。


(つづく)

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