MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 34 - 臨江閣② 本館1階(控の間から一の間まで)(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 臨江閣で。Nさんといっしょに、本館への渡り廊下を歩きました。(群馬県前橋市)


1月18日(水)


あこがれていた、臨江閣に来ています。
別館の玄関から入り、長い渡り廊下を歩いて、
本館に入りました。


本館の外観です。右側に見えている渡り廊下で、別館とつながっています。

本館です。庭に面して、長い廊下(縁側)がのびています。

その縁側に沿って、四つの部屋が並んでいます。


【臨江閣本館】
1884年(明治17年)9月竣工。当時の群馬県令・楫取素彦(かとりもとひこ)の提言がきっかけとなり、前橋の企業や町民有志の協力と募金により、迎賓館として建てられました。建物名の「臨江」は「利根川に臨む」という意味です。官民が力を合わせて造った迎賓施設は、全国的にみても大変希少な存在です。なにより驚くのは、工期が僅か5か月足らずであるにも関わらず、手の込んだ数寄屋風の意匠が随所に見られること。高度な職人技に加えて、作業の効率化など、当時の建築技術の高さが伺えます。

建物は、木造2階建て、入母屋造、桟瓦葺き。1階には「一の間」「次の間」「三の間」「控の間」を設け、建物西側の突出部には「奥座敷」「次の間」があります。一の間は、畳をはずせば能舞台として使用できる設えになっています。2階には、「一の間(御座所)」「次の間」「控えの間」があります。庭に茶室を併設するなど、明治前期における貴顕接待施設の様相を呈しています。1893年(明治26年)には、10月20日から21日にかけて、近衛師団小機動演習天覧のための行幸の行在所となり明治天皇が宿泊しました。
臨江閣本館及び茶室附棟札には、現在も、明治天皇が利用した貴賓室や能舞台などが残されており、1986年(昭和61年)に、群馬県の重要文化財に指定されました、また、2018年(平成30年)に、国の重要文化財に指定されています。


廊下に沿って並ぶ、4つの部屋。手前から、「控の間」、「三の間」、「次の間」、そして「一の間」です。

まずは「控の間」から「三の間」へと歩きました。

左が「三の間」で、右が「控の間」です。

そして、「次の間」から「一の間」へと続きます。

「一の間」です。さらにその奥には、「奥座敷」があります。

この「一の間」は、平成29年の竜王戦の対局室として利用されました。

庭が最も広く見渡せる、一番いい位置に、「一の間」があります。

「一の間」から見渡した眺めです。廊下に沿って、「次の間」、「三の間」「控の間」が並んでいます。ガラスの向こうに見えているのは、別館とつながっている渡り廊下です。

臨江閣本館の見取図です。縁側に沿って、4つの部屋が並び、さらにその奥に奥座敷がふたつあります。


次は、奥座敷に行きます。


(つづく)

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