MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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新緑の鎌倉から伊豆高原へ 16 - 旧依田邸⑤ 天水桶と、道の駅 花の三聖苑伊豆松崎① 依田佐二平翁像と大沢学舎(2026年5月12日/2日め)

MIYO

2026年5月12日 旧依田邸で。(静岡県賀茂郡松崎町)


5月12日(火)- 2日め


静岡県松崎町にある、

旧依田邸でに来ています。


そろそろ帰ろうと思ったとき、主屋の裏手に置いてあったものに気がつきました。

天水桶です。「依田」と言う文字と依田家の家紋が書かれています。


【天水桶(てんすいおけ)】

江戸時代以降、屋根や軒先などに置いて、雨どいから雨水をため、防火用水としました。木や板で作った四角い箱形のものも多く、家の前や辻角などに常置されていました。旧依田邸のような江戸期の庄屋・豪商の屋敷では、主屋の外側に雨水や井戸水をためた防火用水が置かれました。棒が付いていてかついで運べる作りであっても、やはり呼び名は天水桶でした。


よく見ると、いくつかの刻印と共に、「明治十五年十月」という文字が読めます。この桶は、1882年に作られたものでした。

茨城県の弘道館に備え付けられていた、雲龍水を思い出しました。5年前のことです。

そのときの日記です。

コロナでも茨城。ネモフィラの丘と弘道館を訪ねて 6 - 学校御殿(2021年4月23日)


雲流水は、弘道館の敷地内に設けられた、

井戸・湧水施設の一つで、

ポンプの役割があったようです。

上から見ると龍が雲間をうねるような

形をしていることから、

この名で呼ばれています。


庭をぐるりと歩き、再び、出入口の広間まで戻ってきました。


元は板の間で、囲炉裏がひとつあるだけの

大広間だったのでしょうが、

ホテル開業にあたって、

イスやテーブルを置き、

宿泊客がくつろげるロビーへと

改装したのだと思われます。


広間のつきあたりです。窓からは、主屋の外側にある表門(国の登録有形文化財)が見えました。

係の方にお礼を言って、主屋の外に出ました。

訪れる人も少なく、ほとんど貸切状態でした。自分たちのペースでじっくりと見学できた、旧依田邸。


このお屋敷のことを、

もっと多くの人に知ってもらいたいなあ、

と思いました。

(なにしろ、見学は無料です。😊)


それでは出発します。

約一時間半かけて、こんなふうに歩きました。😊


時刻は11時半。

お腹が空いてきました。

ここで黙っていると、夫は夜まで、

食事を忘れて私を連れまわすので、

「ここでごはんだよね?

 とうぜんランチだよね?」

とあえて言ってみました。


お隣に温泉施設があり、

(たぶん元は依田家の施設だったと思います。)

行ってみようかと思ったのですが、

係の方に訊いてみると、

そこには食事の施設はないとのこと…。


けれど、

「少し先に、道の駅があります。

 食事もできますよ。」

と教えていただいたので、

そこまで行ってみることにしました。


道の駅 花の三聖苑伊豆松崎です。旧依田家から約500mのところにあります。


【道の駅 花の三聖苑伊豆松崎】

郷土の三聖人の業績を中心に、松崎の歴史、文化を紹介する複合施設です。三聖人とは、幕末から明治期にかけて活躍した、松崎出身の3人の偉人たちのことで、幕末の漢学者である土屋三余、明治期の実業家として名を馳せた依田佐二平、そしてその弟で北海道・十勝平野の開拓者である依田勉三です。

敷地内には、3人のたぐい稀な業績をはじめ、松崎の歴史などを紹介する「三聖会堂」が設けられており、彼等の足跡をアンティークな雰囲気で辿ることができます。「大沢学舎」は、明治6年に三聖人の一人である依田佐二平が私財を投じて開校した公立小学校で、その後歴史を経て、平成5年にこの場所に移され、開校当初の姿に復元されました。館内には郷土の資料も展示されており、いにしえの素朴なロマンに浸れます。また、お土産店・食事処として、「天城山房」も併設されています。


道の駅の敷地は広く、駐車場が2か所もありました。とりあえず車を停め、施設の広さに圧倒されながら、ふらふらと歩き始めました。笑

まずは、依田佐二平翁の像。依田家の当主だった佐二平は、弟・勉三の北海道開拓を支援すると共に、明治期の実業家としても名を馳せました。

その隣りにある、大沢学舎です。1873年(明治6年)、依田佐二平が私財を投じ、自邸内に新築・開校した公立小学校でした。

その後役場の庁舎に転用された時期もありましたが、1993年(平成5年)、現在地に移築復元されました。

館内には、郷土の資料が展示されています。

二階です。学舎内はきれいに清掃されていて、町の人々が大切に維持しておられることがうかがえました。

二階のベランダからの眺め(左側)。遠くでMIYOがあきれて見ています。

このときMIYOが撮った写真。窓から顔を出している多動夫です。

うれしそうだな…。😔

ベランダからの眺め(右側)。どこに行っても、隅々まで歩きまわる。高い所には登ってみる…。多動夫はだいたいいつも、ここまでやらないと気がすみません。😔 私はお腹が空いてるのですが。


道の駅の中に

思いがけない光景が広がっていたので、

夫は歩き回るのに夢中になっています。

たぶん、というか絶対に、

ここにごはんを食べに来たことは、

もう忘れていると思います。


夫と歩くといつもこんな感じで、

「ごはん抜きの旅」に

なってしまうんですよね…。😔


いまここ。😊


(つづく)


(おまけのお話)


旧依田邸の日記がようやく終わりました。ふぅ…。

昨日用事があって銀座に出かけたのですが、そのときに通りがかった銀座プレイス。(2026年6月19日)

「あ、なまこ壁みたいだ…。」とつぶやいた私は、かなり変わっていると思います。😅


なまこ壁の銀座プレイス。

我ながら、笑ってしまいました…。

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