MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 12 - 台風なら博物館⑤ 沖縄県立博物館 常設展示室(来訪神、御嶽、龕、厨子甕、墓、祝いの品々、糸満漁民)(2022年8月31日/6日め)

2022年8月31日 糸満漁民の舟「サバニ」です。北は千葉県、南は台湾まで、広大なエリアで漁を行いました。(沖縄県那覇市・沖縄県立博物館)


8月31日(水)


沖縄県立博物館 常設展示室を、
7つのカテゴリーに沿って、
順に見てきました。
次は、展示室のいちばん奥にある、
「沖縄の民族とくらし」という
民俗部門展示室を見学しました。
「民俗」とは、
世代を超えて受け継がれている生活文化
のことを言います。


下の図の、赤い丸で囲んだエリアです。

このエリアは、
 1.沖縄の民俗世界
 2.沖縄に生きる人々
 3.家のくらし
 4.変容する民俗

のカテゴリーに分かれています。
端から順に、すべてを見ましたが、
展示が多すぎて、全部を掲載しきれません。
なので、この項でも、
MIYOが特に心に残ったものを選んで、
ご紹介したいと思います。



1.沖縄の民俗世界


【訪ね来る神々】
沖縄では、海の彼方から神さまが訪れて恵みをもたらすと信じられています。その神さまは、毎年、祭りのときに仮面・仮装で登場し、人々と交流した後、再び帰っていきます。この神さまを来訪神といいます。また、お盆の日には、グソー(死後の世界)から死者の霊が訪れて、人々の歓待を受けます。
このコーナーでは、沖縄各地の来訪神、葬祭や墓について紹介しています。


石垣市登野城の「ミルク神」
豊年祭などの祭りに登場する来訪神です。八重山諸島を中心に、広く信仰されています。仏教の弥勒信仰と沖縄古来の信仰が混ざり合った、独特な風貌は、ユーモラスでもあります。その姿は、中国から伝来した布袋(ほてい)信仰の影響を受けています。

宮古島の博物館で見たパーントゥも、各家庭を訪ねる、来訪神でした。(2022年8月28日 宮古島市総合博物館)

御嶽(ウタキ)と神人(カミンチュ)
沖縄の村落には、御嶽と呼ばれる神聖な場所があります。これは、神様を祭る空間で、こんもりした杜(ムイ)になっています。御嶽の奥には、イビと呼ばれる特別な聖域があります。ここには、石(または樹木)と香炉が置かれているだけです。御嶽では、神様に祈りを捧げる女性たち(カミンチュ)によって、祭りが行われます。

龕(ガン)
葬列葬式のとき、棺を入れて運ぶ神輿(みこし)です。沖縄では、火葬が普及する以前、葬儀を終えた遺体を棺に納め、龕(ガン)に入れて、お墓まで運びました。龕(ガン)は、単に棺を運ぶ道具だったわけではなく、「集落を守護する力がある」と考えられていました。そのため、毎年旧暦8月9日に、ガンヤー(龕屋)にお供え物をし、祈りをささげていました。また、12年ごとに龕(ガン)を解体して修理を行ないますが、その際には、龕輿(ガンゴー)祭という盛大な祭りを行いました。

龕(ガン)の屋根には、金の鯱(しゃち)が向い合せになって両端に飾られています。この龕(ガン)を2本の横棒に載せ、前後4人(または8人)で担ぐようになっています。この豪華な龕(ガン)は、王家から民百姓に至るまで用いられました。沖縄では、戦後10年くらいまでは、龕(ガン)を用いて、お墓まで遺体を運んでいましたが、火葬が一般的になって、次第にその風習は見られなくなりました。

洗骨習俗と厨子甕(ずしがめ)
沖縄では、火葬が一般に広まるまで、風葬で死者を葬りました。(風葬とは、崖下や墓の中に遺体を仮置きして、自然に朽ち果てるのを待つ方法のことです。)数年後、白骨化した骨を洗い浄め、厨子甕に移します。この習俗を洗骨といい、朝鮮半島や琉球列島、中国南部に広く分布しています。納骨した厨子甕は、墓の中に安置して供養しました。

洗骨した遺骨を納めた、厨子甕です。

墓の構造
遺骨を入れた厨子甕は、墓に安置されました。下の写真は、亀甲墓の正面図です。沖縄の墓は、基本的に、屋根、墓室、墓庭の3つで構成されています。

仲宗根豊見親(なかそねとぅみゃ)の墓
これは、15世紀末から16世紀初頭にかけて、宮古島の支配者として君臨した、仲宗根豊見親(なかそねとぅみゃ)の墓です。墓には屋根、墓室、墓庭が作られていて、外観が上の構造図とまったく同じです。(2022年8月27日 沖縄県宮古島市)

そして、墓室の内部はこんなふうになっていました。

浦添ようどれ(13世紀に造られた英祖王の墓)。墓室の内部です。(2022年9月1日 沖縄県浦添市)


2.沖縄に生きる人々


沖縄で、人々の一生に登場する、
祝いの品々が展示されていました。


(写真左から)
カジマヤー祝いの風車:数え年97歳に、長寿の祝いで使う風車。沖縄では、この年齢になると子供に還ると言われることから、風車(カジマヤー)を持って集落内をオープンカー等でパレードします。
トゥシビー祝いの晴れ着:トゥシビーとは、沖縄県および奄美群島の一部で伝統的に行われてきた賀の祝いで、年中行事、人生儀礼の一つです。着物の柄には、松竹梅や亀が描かれました。
トーカチ祝いの斗掻(トガキ):数え88歳のお祝いで、本土の「米寿祝い」と同じですが、沖縄では米寿よりもトーカチ呼ぶ方が一般的です。親戚一同を招いて盛大にお祝いをしますが、その際、お祝いに来てくれた人に、トーカチ(もともとは升に盛ったお米の升切りに使っていた竹製の棒)を、お土産として配った事から由来しています。
結納料理:大きな菓子盛りが付くのが特徴です。


次は、糸満(いとまん)漁民のくらしです。


【糸満漁民】
沖縄本島の南端の糸満地区沿岸部(現・糸満市)を本拠地として、幅広い漁労活動に従事した漁民のことを言います。一般に、男は追込漁、女は漁行商に従事し、生計をたてていました。

糸満は、海人(うみんちゅ)の町として古くから漁業が盛んで、おおよそ近代まで、「サバニ」と呼ばれるくり舟に乗り、沖縄諸島や先島諸島、さらには奄美群島ほか南洋各地や日本本土にまで航海し、遠洋漁業を生業としていました。


糸満漁民が活躍した範囲。途方もない距離を航海していたことがわかります。

かつてのサバニは丸木舟で、マツやシイの一本の木をくりぬいて造りました。その後、森林保護のため、琉球王国がハギ舟を奨励しました。

ハギ舟です。厚いスギ板をつなぎ合わせて造りました。

糸満の男たちが獲った魚を売り歩くのは、女たちの仕事でした。これが、糸満の女たちのスタイルです。^^ 魚の入ったばーき(平笊)を頭上にのせ、糸満から那覇まで10キロ以上の距離を歩きました。売り歩くときの元気な掛け声は、糸満女性の代名詞となっています。

たくましい、女たち。

おばあだって、このとおり。

路上に並ぶ、魚売りの女性たち。子どもたちもお手伝い。^^

路上では、こんな風にお店を広げていました。お魚がエキゾチック~。^^

沖縄の魚は色とりどりで、見ているだけで楽しいです。^^

3日前、俺の天ぷらバルでいただいた「クロホシフエダイ(黒星笛鯛)とアボガドのカルパッチョ」も、沖縄のお魚でした。東京ではほとんど出回ることがない希少なお魚をいただけて、ラッキーでした。^^(2022年9月25日)

天ぷら大好き - 俺の天ぷらバルと俺のイタリアンをはしご酒(2022年9月25日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


次回は、「家のくらし」というテーマで、
沖縄の家屋の中を見て行きます。


(つづく)

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