コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 11 - 旧商家丸一本間家⑥(多目的便所と醸造蔵)(2022年6月19日/3日め)
(2022/08/06 18:20記)
2022年6月19日 旧商家丸一本間家の茶の間です。この部屋は、昭和56年公開の「駅~STATION~」の撮影に使われました。見比べてみると、長火鉢や障子は全く同じものであるのがわかります。(北海道増毛郡増毛町)
6月19日(日)
呉服蔵を出て、
お屋敷の右半分の方向に歩きました。
魔除けの天狗が飾ってありました。
台所の奥に井戸があり、さらにその奥へと土間が続いています。奥の白い壁の内側になにがあるのかと思ったら…、
トイレでした!笑 入ってすぐのところに、男子トイレと流しがあります。
流しのさらに奥にあるのが…、
女子トイレです。
お食事中の方、すみませんでした…。
2021年3月に、長野・田中本家で、
美しい便器を見せていただいてから、
古い家屋にいくたびに、
便器が気になってしまい、
ついつい、写真に撮ってしまいます。😅
田中本家の便器です。(2021年3月27日)
この土間に展示してあったステンドグラスです。大正時代に、風呂場の窓に使用されていたそうです。
丸一本間が所有していた船の模型です。通算12隻もの汽船を所有し、海運業でも大成功を収めました。
機械室・多目的便所のエリアを抜けて、さらに奥の醸造蔵に行きました。
【醸造蔵】
明治27年頃新築した酒造蔵で、後に味噌の醸造も行ったので、味噌蔵とも呼ばれました。総称して、醸造蔵と呼ばれています。間口3.7間、奥行11間、建坪40坪余りの平屋一宇2階建ての土蔵造で、屋根はトタン(亜鉛板)葺きでした。後に半分を撤去し、2階建てになっていた部分(20坪余り)が現存しています。
お酒造りは、明治35年以降、現在の國稀酒造へと作業場所が移されました。現在は、復元工事の際に撤去された扉や瓦などを展示しています。
醸造蔵の入口には、杉玉が下がっています。杉の葉でできており、酒林(さかばやし)とも呼ばれます。かつては蔵元で、新酒ができたことを知らせるために下げられたものでした。
醸造蔵の内部です。現在は、復元工事の際に撤去された扉や瓦などを保管・展示しています。
この丸くて大きな板は、酒造りのための桶だったようです。
左端にあるのは、蔵の外戸です。平成9年の復元工事の際に、取り外されました。
この扉は、明治20年代に蔵が建てられた時のものだそうです。
扉と同じころに作られた屋根瓦です。
丸一の屋号と本間家の家紋である花菱を入れた屋根瓦は、今も美しく、大切に保管されていました。
広いお屋敷を延々と見てきましたが、
いよいよ、あと一か所になりました。
次回は、本間泰輔とキミが、
結婚後に暮らしていた部屋を見学します。
(つづく)