MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 11 - 旧商家丸一本間家⑥(多目的便所と醸造蔵)(2022年6月19日/3日め)

(2022/08/06 18:20記)

2022年6月19日 旧商家丸一本間家の茶の間です。この部屋は、昭和56年公開の「駅~STATION~」の撮影に使われました。見比べてみると、長火鉢や障子は全く同じものであるのがわかります。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


呉服蔵を出て、
お屋敷の右半分の方向に歩きました。


魔除けの天狗が飾ってありました。

台所の奥に井戸があり、さらにその奥へと土間が続いています。奥の白い壁の内側になにがあるのかと思ったら…、

トイレでした!笑 入ってすぐのところに、男子トイレと流しがあります。

流しのさらに奥にあるのが…、

女子トイレです。


お食事中の方、すみませんでした…。
2021年3月に、長野・田中本家で、
美しい便器を見せていただいてから、
古い家屋にいくたびに、
便器が気になってしまい、
ついつい、写真に撮ってしまいます。😅


田中本家の便器です。(2021年3月27日)

コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 20 - 田中本家博物館 水車土蔵(2021年3月27日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


この土間に展示してあったステンドグラスです。大正時代に、風呂場の窓に使用されていたそうです。

丸一本間が所有していた船の模型です。通算12隻もの汽船を所有し、海運業でも大成功を収めました。

機械室・多目的便所のエリアを抜けて、さらに奥の醸造蔵に行きました。


【醸造蔵】
明治27年頃新築した酒造蔵で、後に味噌の醸造も行ったので、味噌蔵とも呼ばれました。総称して、醸造蔵と呼ばれています。間口3.7間、奥行11間、建坪40坪余りの平屋一宇2階建ての土蔵造で、屋根はトタン(亜鉛板)葺きでした。後に半分を撤去し、2階建てになっていた部分(20坪余り)が現存しています。
お酒造りは、明治35年以降、現在の國稀酒造へと作業場所が移されました。現在は、復元工事の際に撤去された扉や瓦などを展示しています。


醸造蔵の入口には、杉玉が下がっています。杉の葉でできており、酒林(さかばやし)とも呼ばれます。かつては蔵元で、新酒ができたことを知らせるために下げられたものでした。

醸造蔵の内部です。現在は、復元工事の際に撤去された扉や瓦などを保管・展示しています。

この丸くて大きな板は、酒造りのための桶だったようです。

左端にあるのは、蔵の外戸です。平成9年の復元工事の際に、取り外されました。

この扉は、明治20年代に蔵が建てられた時のものだそうです。

扉と同じころに作られた屋根瓦です。

丸一の屋号と本間家の家紋である花菱を入れた屋根瓦は、今も美しく、大切に保管されていました。


広いお屋敷を延々と見てきましたが、
いよいよ、あと一か所になりました。
次回は、本間泰輔とキミが、
結婚後に暮らしていた部屋を見学します。


(つづく)

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