コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 12 - 旧商家丸一本間家⑦(付属家)から千石蔵へ(2022年6月19日/3日め)
(2022/08/07 18:15記)
2022年6月19日 旧商家丸一本間家の呉服店舗です。(北海道増毛郡増毛町)
6月19日(日)
旧商家丸一本間家の中を歩いてきましたが、
いよいよ、最後のスポットになりました。
お屋敷の右半分になる、付属家エリアの
2階・3階の部分です。
付属家1階の井戸のあるところからは、2階・3階に上がれます。階段はかなり急勾配なのですが、これは、狭いスペースをコンパクトに活用するための昔の人の知恵でした。
【付属家2階】
付属家は、明治27年の建設と考えられています。もともと、1階は酒揚場として、酒通リなおを行っていました。しかし、明治35年に本間家の全容が完成し、酒造りが酒造場(現在の国稀酒造)に移ると、1階部分は居宅の付属家へと改築されました。
2階部分には、2間続きの和室(奥の間と次の間)があります。1階と同じ年代に建設されたもので、当初は本間家の家族の居宅や補助的な客室として使用されました。明治43年に本間泰輔とキミが結婚すると、2人の居宅として使用されます。
3階へ向かう階段の右側には、引違いの戸で仕切られた通路があり、その奥には女中頭の寝室がありました。
1階の土間部分で靴を脱ぎ、階段を上がって2階に行くと、2間続きの和室(奥の間と次の間)があります。右が奥の間(10畳)で、左が次の間(7.5畳)です。ここで、新婚の本間泰輔・キミ夫婦が暮らしました。
奥の間です。
部屋は和風ですが、窓の手すりにはモダンな細工がありました。
窓の外には、さきほど見学した呉服蔵が見えます。
次の間からは、呉服蔵の全体が見えました。
新婚夫婦が暮らした部屋の奥に、さらにもうひと部屋あります。ここは、女中頭の部屋でした。
女中頭であるからこそ与えられた個室でした。が、この部屋には天井がなく、梁もむき出しで、簡素な造りになっています。
階段を上がって、3階に行きました。
3階部分は、
主に客室として使用されました。
【付属家3階】
3階部分も、2階部分と同時期に造られたようです。
窓は、それぞれ南側、北側に配置しており、北側は出窓式で洋風の手すりが設けられています。本間家が完成したころは、現在のような高い建築物が周囲になかったため、3階からは、増毛町の眺望が楽しめました。北側には日本海の海岸線、そして南側には、暑寒別岳の山並みが続きました。
明治35年、社屋増築の上棟に合わせて書家の巌谷一六が来町し、この部屋を使用したと伝えられています。
旧商家丸一本間家④でご紹介した、居宅(客間)の襖に今も残っている巌谷一六の作品は、この部屋で揮毫されたものと考えられます。
かつてはこの窓から、暑寒別岳の山並みを臨むことができました。反対側の窓からは、沖を行き来する本間家の船を眺めていたのかもしれません。
さて。
これでようやく、旧商家丸一本間家の
すべての部屋の見学を終えました。
ふう…。
本当に広かった、本間家。
その敷地に沿って、増毛歴史通りから海のある方向へと歩きました。
増毛町の歴史は古く、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並んでいるのですが、なんでもない普通の個人のお宅でも、歴史を感じさせるものをいくつも見かけました。
すごく雰囲気がありますよね。^^
さらに歩いて、次のスポットに到着しました。
千石蔵です。
【千石蔵】
日本最北の酒蔵として知られる國稀酒造が所有する蔵で、現在は、ニシン船やニシンに関する資料の展示室になっています。國稀酒造が無料で一般開放しており、ビアパーティやコンサートも開催される、増毛町の文化施設でもあります。入場料は無料です。
ニシンの枠船や道具、ニシン漁全盛時の写真等を通して、当時の増毛港がたいへんなスケールの港であったことを肌で感じることができる、貴重な資料館です。
次回は、千石蔵の中を歩きます。
(つづく)