MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたんの夏休み 11 - 長男とふたり暮らし① ラーメンとネギトロ山芋丼(2023年8月20日/10日め)

2023年8月20日 ハノイのシクロのTシャツを着ています。


8月20日(日)


長男の夏休み、10日めです。
今日から、MIYOと長男のふたり暮らしです。
多動夫は、朝4時に起きて、
羽田空港に行ってしまいました。


朝9時55分発のNH0211便。ANAです。

羽田空港国際線ターミナルです。朝早いせいか、人通りは少ないですね。

そしてこちらはMIYO家。長男は今日も元気です。

昨夜、寝る前に、おとうさんとはお別れしました。なので長男は、今日は家におとうさんがいないことを理解しています。

今日のTシャツです。シクロをこぐ人が描かれています。2019年にベトナムで買いました。

これがシクロです。夫と長女がハノイに来たとき、家族全員でシクロに乗り、街の中を観光しました。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 166 - あじさいとシクロ行列①(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

…ということで、今日からはシングルマザーでがんばります。😅

朝ごはんを完食したあとは、毎朝楽しみにしている、「ヒゲソリ」笑。いつもは夫と一緒にやるのですが、今日はMIYOが見守ります。^^

ヒゲソリも終わって、身支度完了。…と思ったら、なぜか、MIYOの手を握って離しません。しきりになにかを訴えています。


はじめはよくわからなかったのですが、
何度も聞いているうちに、
「おとうさん、いないね。」
と言っていました。


「おとうさんは、お仕事に行ったよ。
 これからはずっと、
 おかあさんとふたりだけだよ。」
と、長男に説明していたら、
スマホが「ぶうーん」と震えました。
羽田空港にいる夫からでした。


「これから出発します。
 よろしくお願いします。」
と…。


長男に代わって、夫の声を聞かせました。
夫と電話で話すのはあまりないことなので、
長男、興味津々で、夫の声を聞いていました。笑


「『おとうさん、行ってらっしゃーい。』
 って言おうね。」
と、長男に声をかけると、元気に、
「おとうさん、行ってらっしゃーい!」
と言ってくれました。^^


通常の生活では、長男は、
1階の自分の部屋と、2階のLDKを、
行き来しています。
1階にいるときは、夫がいっしょにいて、
見守っています。
ひとりにしておいても大丈夫なのですが、
なにかあったら、と思うと、
完全に放っておくこともできず、長男を、
常にだれかが見守るようにしています。


でも今は、夫が不在になり、私ひとりです。
2階で食事の支度をしながら、
1階の長男に目配りするのは難しいので、
緊急事態対応ということで、
長男の生活エリアを
2階に集中させることにしました。


とりあえず、リビングのドアの前にある廊下を、長男の物コーナーにしました。ボイスレコーダーに使う電池の充電器やお気に入りのCDなどを、長男の部屋からここに運び、まとめておきました。


「これからはここに置くからね。」
と、長男に触らせながら教えると、
すぐに理解してくれました。^^


日中は、お気に入りのボイスレコーダーを聞いて過ごすことが多いのですが…、

ボイスレコーダーの電池が切れると、自分でこのコーナーに行き、さっさと電池を交換していました。「わかる」ってすごいことだなあ、と、長男を見ていていつも思います。


お昼ごはんです。
長男に何食べたい?と訊いたら、
「ラーメン」と答えたので…。


お昼ごはんはカップラーメン。😄 カインズの「ノンフライ麺 鶏の旨み塩ラーメン」です。12食入りで1150円でした。(画像をお借りしました)


家では、長男に
カップラーメンを食べさせることが
あまりないので、
長男はびっくりしたかもしれません。笑


でも、お箸で上手に食べて…、^^

スープも飲み干しておりました。笑

晩ごはんは、冷凍していた「ネギトロと山芋」を解凍して、ネギトロ山芋丼。海苔のあいだに見えているのはデンブです。ひじきの煮ものを大量に作ったのですが、長男は気に入ったみたいで、たくさん食べてくれました。

たくさん食べて、今日も元気で過ごしてくれました。^^


さて。ここから、夫の話になります。
なぜ急にイギリスに行ったのかと言うと、
バーミンガムで開催される、
IBSA World Games Birmingham 2023
に参加するためです。


これは、国際視覚障害者スポーツ連盟
(International Blind Sports Association)
が主催する、国際スポーツ大会で、
オリンピック・パラリンピックと同様に、
4年に一度開催されています。
(今回が7回目だそうです。)


世界規模の視覚障害者のスポーツ大会としては、
オリンピック・パラリンピックに次ぐもので、
今大会も、70か国から、
1000名のアスリートが参加します。
日本選手団も、
国からの支援を受けて参加しています。


日本選手団のユニフォームとカバンです。


この大会に、
夫の友人であるOさん(視覚障害者)が、
パワーリフティングの日本代表として
参加するため、夫がその介助者として
同行することになりました。


夫が介助させていただく、Oさんです。


夫は、以前から、
「視覚障害者と山に登る会」
六つ星山の会・見えても見えなくても山はすばらしい!
のメンバーになっていて、
Oさんとも、その会で知り合いました。


そのOさんから直接依頼され、
国内大会(名古屋)で、
彼の介助をさせていただいたのは、
半年くらい前のことです。
その名古屋大会で、Oさんが1位になり、
日本代表になったことで、
今回の世界大会でも、Oさんの介助者として
参加することになりました。


ここまで書くと、
「すてきなご主人ですね…。」
とか思われるのかもしれませんが…。


まあね…。昔から、
「妻を質に入れてでも、飛行機に乗って、
 とにかく外国に行きたい。」

みたいな人ですから。😅
人助けはもちろんですが、どっちかというと、
「おもしろそう。ぜひ行きたい。😄」
という気持ちの方が大きいのだろうと思います。


長男の夏休み中で、私に全部おしつけるのか?
とは思いますが、まあ、人助けですから、
しかたなく送り出しました…。


もう20年以上前のことですが、
子どもたちが2歳くらいだったでしょうか。
夫は、「職場の定例会議がある」と言って、
毎月、関西に出張していて、
それは数年続きました。
(今なら、ウェブ会議ですむ話です。)


仕事だからしょうがないのですが、
(夫が仕事で家を空けることで、
 文句を言ったことはありませんが。)
残った私は、幼い子どもたちの保育所の送り迎え、
フルタイムの仕事、帰宅後の育児家事…、
などをひとりでこなし、孤軍奮闘状態でした。
今思うと、出張というのは、夫にとっては、
家事育児から逃れられて、
夜もゆっくり寝られて、
毎月の、いい息抜きだったことと思います。


そういえば、海外出張も、
けっこうありましたねえ…。
よりによって、夫が一週間、
スウェーデンに行ったときに、
長男が熱をだしてけいれんを起こしました。


ほかに頼る人もなく、
幼な子ふたりを車に乗せて、
私がひとりで、病院まで運びました。
「落ち着け。しっかりしろ。大丈夫。」
と、自分に言いきかせながら…。
夫には大喜びの海外出張でしたが、
私はぶちぎれそうでしたね。😅


今でも許せないのは、
子どもたちが生まれて、
危篤状態が何か月も続いたときのことです。
主治医から、「長男は失明するかもしれない」
と言われたのですが、その直後に、
夫は、アメリカに遊びに行きました。


当時、アメリカでなにかの国際会議があり、
夫の勤務先から、誰かひとりが
参加しなければなりませんでした。
でも、あまり意義のない会議だったらしく、
職場の誰も行きたがらなかったそうです。
「タダでアメリカに行かしてくれるんだよ。
 いい機会だから、オレが手を挙げた。」
と夫が言ったときは、ため息がでました。


子どもたちがこういう状態のときに、
「いい機会だと思って、オレが手を挙げた。」
って、なぜそういう気持ちになれるの?
と、夫に言うと、夫は、
「なんで?😮」
と…。


たぶん夫は、
「オレがいてもいなくても、
 子どもの結果が変わるわけじゃない。」
と思っていたのだと思います。


まあたしかに、夫が日本に居たら、
「子どもたちの命が助かった」とか、
「長男は失明しなかった」とか、
そんなことではないのですが。


そんなわけで夫は、
わざわざ行く必要のない出張に自分で手を挙げ、
いそいそとアメリカに行ってしまいました。
現地では、会議を適当にすませたあと、
スミソニアン博物館を訪ねて、
昔のホストファミリーにも会いに行き、
みっちりと有意義に過ごしたようです。
そして、当時人気だった野茂英雄選手の
写真入りTシャツを買ってきました。


野茂選手のTシャツは夫のお気に入りになり、
その後何年も、着続けていました。
そのシャツを洗って干すときに、必ず私は、
破って捨ててしまいたい、
と思っていましたが。😅
(野茂選手に恨みがあるわけではありません。)


あれから28年がたちました。
たしかに、夫が考えるとおり、
夫が日本にいてもいなくても、
子どもたちの病状が、
それで変わるわけではありません。


その後、子どもたちの命は助かり、
そして長男は失明しましたが、
それは、夫のアメリカ行きとは、
関係がないことです。


けれど、あの状況で、
夫がアメリカに行ってしまったことは、
私の心の中で、いつまでも消えることがない、
切ない思い出になりました。


こんな気持ちのすれ違いを繰り返しながら、
夫との距離は、その後もどんどん開いていき、
最終的に、私から、
離婚を申し渡すことになりました。😅


夫がイギリスに行ったことがきっかけとなり、
久しぶりに、いろんなことを思い出しました。
でも夫は、そんなことはすっかり忘れているし、
今頃はイギリスで、楽しく生き生きと
働いていることと思います。🙄

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