MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 17 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり② パールファクトリー(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 パールファクトリーのテラスで。奥に見える山影がハロン湾です。


6月16日(金)


ハロン湾1泊2日のツアーバスに乗って、
パールファクトリーにやってきました。


屋外に展示してある、大シャコガイの殻。 二枚貝の中では世界最大と言われています。

そして中に入ると、アコヤ貝が展示してありました。


【ベトナムの真珠養殖】
ベトナムにおける真珠の養殖は、1893年、御木本真珠店(現・ミキモト)の創業者である、御木本幸吉によって始められました。そしてその100年後、日本とベトナムの合弁会社が、ハロン湾で真珠の養殖を始めたそうです。現在、真珠のアクセサリーは、ハロン湾の代表的なお土産品となっています。


館内には、KOKICHI MIKIMOTO の写真もありました。

パールのネックレスを作っているようすを、間近で見ることができます。

その隣りに飾ってあった仏様。タムさんちの仏様と同じくらいきれい。^^

さらに進むと、お約束のお土産品コーナーがあります。ショーケースの内側には、パールのアクセサリーがずらりと並べてあります。

見てください。この大盛況ぶり。😄

真珠よりも、賑わいを見ている方がおもしろい、MIYO。

これいいな、と思うのはありましたが…、

値段を聞いたら、10万円以上(←そりゃあそうです)。(我が家にとっては)旅先でさらっと買える値段ではないので、すぐにあきらめました。🤣🤣

それに6年前、この近所にある、軍が経営しているお土産物屋さんで、ハロン湾のパールで作ったピアス(30000円)を買っています。このときは、「誕生日になにもあげてなかったから」と言って、長女がプレゼントしてくれました。(2017年12月25日)
そのときの日記です。
のんたんの冬休み 11 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 7 - ハロン湾へ(パールのピアス)(2017年12月25日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


このときに長女に買ってもらったピアス、
以来ずっと着けていますが、
とてもしっかりした造りで、
6年間、外れることもなく…。
なので、失くすこともありません。
よい買い物でした。^^


みなさん、ばんばんお買い上げになっていましたが、私たちは早々に退散し、奥のお土産物コーナーに行きました。笑

カメリア(椿)の蕾のお茶です。瓶入りで、360000ドン(約1800円)。

こんなふうに、大袋に入っているものもありました。

これはカメリアの葉のお茶。これとよく似た葉っぱを、ハノイの街で女性がザルに盛り、天秤棒で担いで売っていましたが、あれは椿の葉っぱだったんですね。^^

多動夫が撮るのは、やっぱりお酒です。😅

お土産物屋さんを出て、カフェの方に行ってみましたが、ここもすごい人でした。

バインミーです。日本では1個800円くらいで売っていますが、ここでは30000ドン(約150円)。これでも観光地価格ですね。

ちなみにこれは、ハノイ市内のバインミー屋さんの店頭の表示です。バインミー1個が15000ドン(75円)から25000ドン(125円)。これが庶民向け値段です。^^(2023年6月15日)

テラスに出ました。ここからは、遠くの方にハロン湾が見えます。ここで初めて日本の方に会い、写真を撮っていただきました。

テラスではたくさんの花が咲いていて、夫が夢中で写真を撮っていました。^^

集合時間になったので、再び駐車場に戻りました。


バスがあまりにも多すぎて、
自分たちのバスを見つけるのに、ひと苦労。
「迷子札」のナンバーを頼りに歩きまわり、
どうにかバスを探し当てました。笑


これだけ多くのバスがハロン湾へと走り、
乗客がお金を落としていくということです。
なのにコロナ禍のあいだ、数年にわたって、
バスも人も、すべて消えてしまったわけです。


観光立国ベトナムにとって、
そして人々の暮らしにとって、
コロナが大きな打撃となったであろうことは、
想像に難くありません。


「たいへんだったよ…。」
と、真顔でつぶやいた、
チョンさんのことを思い出しました。


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する