MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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ガンになるまでの日々 1 - 病院を決める(2008年12月)

2008年10月4日 ひたち海浜公園(のんたんとあみちゃん・13歳/中一)


2008年12月


今でこそ、旅行に食べ歩きに、と、
毎日ノーテンキに暮らしているのですが、
実は私はガンだったわけで、
その最後の手術から、
もうすぐ4年になります。


全6回の抗がん剤の治療が
終了した直後から、
このブログを書き始めました。
なので、がん治療終了後の年月は、
ほぼ、このブログを書き続けた期間、
ということになります。


「がんになるまで」についてを
書こうとすると、
ことの始まりは、2008年12月
ということになります。


そんなに前からになるの?
と思われることでしょう。
あまりにも前のことすぎて、
私自身も、すぐに思い出せず、
今、紙に書いて、年月を
計算してみたくらいです。笑


けれど、一連のことを考えると、
やはり、すべての始まりは、
ここになってしまうのです。


当時、一か月くらい前から、
体調が悪く、
近所の産婦人科クリニックに
行ってみました。


そのクリニックで血液検査をした結果、
「腫瘍マーカーの値が、
 普通の人の10倍くらいある。
 ガンかもしれないので、
 対応できる病院を紹介します。」
と言われました。


そのときに、医師から、
「通常は、地元の中核病院である、
 **病院を紹介しています。」
と言われたのですが、
一週間後、私はそれを断り、
G研病院への紹介をお願いしました。


G研病院はガンの専門病院です。
私は、もしもガンになったら、
 聖路加国際病院
 国立がんセンター
 G研病院
のどれかに行く、と、
以前から決めていました。


ガンは、どの病院で治療するかで、
生存率が変わってくる、と
聞いたことがありました。
そこで、自分なりに勝手に考えて、
ガンを治療するなら、この3病院で、
と思い込んでいたわけです。


聖路加国際病院は、入院すると、
一日10万円くらいかかるらしいので、
まずは一番に候補から外れました。


国立がんセンターに行かなかったのは、
これがふざけているのですが、
「公立だから、きっと、
 ごはんがまずいだろう。」
と考えたからです。


以前、出産のときに、
都立病院でお世話になったのですが、
そのときの食事が
あまりよろしくなかったので、
なんとなく、公立はやめたい、と。
(まあ、1995年の話です。
 今なら、きっと
 おいしくなっているのでは、
 と思います。^^)


食事で病院を決めるなんて、
と笑われるかもしれません。
でも、入院したら、毎食、
その病院の食事を食べるしかないわけです。
だったら、食事はおいしいところがいい。
おそらく、私立病院の方が、
食事が良いのではないか?
と、たいした根拠もなく、考えました。
(いかにも、私らしいですね。笑)


そんなわけで、結局、
残る選択肢の、G研病院に
紹介状を書いていただきました。


医師からは、
「G研に、知り合いのドクターでも
 いるのですか?
 どうしてそこに行きたいのですか?」
と訊かれました。


まさか、
「食事で決めました。」
とも言えず、爆
「親族会議で話し合い、
 親戚から、『ここに行きなさい』
 と言われましたので。」
と答えたところ、
「ああ、そうですか。」
と言われ、あっさりと、
紹介状を書いてくださいました。


「どうやったら、
 G研で診てもらえるの?」
と、よく質問されるのですが、
別に、難しい条件はありません。
医師の紹介状があれば、
誰でも予約することができます。


そこで、電話をかけて、
予約を申し込んだところ、
「一番早くて10日後になります。」
とのこと。
しかたないので、
10日後の診察ということで、
予約を入れていただきました。


そのころ私は、
38度の熱が続いていたのですが、
自分では、「風邪をひいた」と
思い込んでいました。


たかが風邪で会社を休みたくなかったので、
毎朝、バッファリンを飲み、
むりやり熱を下げて出勤していました。


実はお腹も痛かったのですが、
日中もバッファリンを飲んで、
痛みを和らげ、
なんとか仕事をしていました。


時間がたって、薬の効果がなくなり、
痛みがひどくなると、
またバッファリンです。
一日に何度もバッファリンを飲んで、
熱と腹痛をやり過ごすということが、
一週間くらい続いたわけで、
今思うとばかだったなあ、と。(苦笑)


結局、バッファリンを飲んでも
ほとんど効果がないくらい、
痛みはひどくなっていきました。


最後の記憶はもっとふざけています。
金曜日だったのですが、
ちょうど、会社で、
大きなプロジェクトが終わったときで、
関わった数十人で打ち上げがありました。


もう、痛みで、
あまり飲食ができなかったのですが、
ちょっとわけがあって、
私は、その夜の宴会に参加しています。


その日の昼食時、なぜか気分が悪くなり、
食べたものをすべて、
トイレで吐いてしまったので、
状態は相当悪かったのだと思います。
でも、その自覚がなく、
「すべて、風邪のせい」
と、軽く考えていました。


宴会のあと、
「痛いなあ…」
と思いながら、
ひとりで夜道を歩き、
帰宅した記憶があります。


結局、会社に行ったのは、
それが最後でした。
帰宅後、痛みはどんどんひどくなり、
翌日の土曜、日曜には、
起きあがることすら
できなくなっていました。


(つづく)


ひたち海浜公園で。「カイトフライヤー」に乗りました。長男、うれしそうです。

長男に「カイトフライヤーをやって」と言うと、再現してくれました。

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