MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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南ベトナム11日間 カントーを歩く 13 - ダラットの思い出とリ―タイトー第1公園(2026年4月6日/3日め)

MIYO

2026年4月6日 Thanh Buoi社のオフィスで。(ベトナム・ホーチミン)


4月6日(月)- 3日め


ホテルの前からGrabに乗り、

Thanh Buoi社のオフィスに到着しました。


こんなふうに、小さなオフィスにバスが1台だけなんてのはよくあることなので、あまり驚きませんでしたが…。

Thanh Buoi社の看板を見ると、「ダラット⇔ホーチミン⇔カントー」と書いてありました。「ダラット」という地名を久々に見て、気持ちが高ぶりました。


ダラットに行ったのは、2024年1月でした。

そのときの旅の日記です。

2024年1月 ベトナム・カンボジア12日間


この日記は、旅の前半である、

カンボジアの途中までしか書けていません。

なので、旅の後半に訪れたダラット日記は、

まったく書いていないていたらくです…。


ダラットは、かつてフランス統治時代に、

フランス人の避暑地として有名だった、

地方の高原都市です。

涼しくて、建物が美しくて、

そしてワインのおいしい街でした。


バス会社の看板を見ていたら、

ダラットを思い出しました。

次は、このバスに乗って、

ダラットまで行きたいなぁ…。


かつて、バオダイ帝の邸宅であった建物が、今も保存されています。(2024年1月23日 ベトナム・ダラット)


ダラットには、このほか、

バオダイ帝と離別後、ナムフォン皇后が

子どもたちと暮らした家など、

グエン朝ゆかりの建物が5つもあります。

ダラットに行ったら、

それらを全部訪れたいというのが

MIYOの強い希望でした。

ナムフォン皇后について書いた日記はこちらです。

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 69 - 王宮⑩ 静明楼とナムフォン皇后(2023年6月19日/6日め)


1938年に完成した、ダラット駅です。


【ダラット駅】

1932年、ベトナム鉄道ファンラン・ダラット線の中心駅として開業し、1938年に駅舎が完成しました。鉄道は、ベトナム戦争によって破壊され、一時期放棄されていましたが、1991年、チャイマット駅までの路線が修復され、観光鉄道の駅として再開しました。

駅舎は、フランスの建築家モンセット(Moncet)とレベロン(Reveron)によって設計されたもので、南フランス風のアール・デコ建築様式に、中央高地の現地住宅の要素を取り入れた独特の建築様式となっています。3つの三角型の屋根は、ランビアン山の3つの山頂を表しているそうです。2001年、文化スポーツ観光省から歴史的建造物に指定されました。


駅には、日本の「国鉄C12形蒸気機関車」が静態保存されています。


【C12形がベトナムに渡った背景】

C12形は日本国鉄の小型タンク式蒸気機関車ですが、第二次世界大戦期、一部は日本本土ではなく、当時の日本の勢力下にあった東南アジアへ送られました。日本軍は、フランス領インドシナの鉄道を軍事輸送に利用しており、そのために日本製の蒸気機関車を投入しました。C12形も、その一環としてインドシナ半島のメーターゲージ鉄道用に改造されて送り込まれたと考えられています。

戦争が終わったあとも、投入された日本製蒸機機関車の多くは返還されず、そのまま現地鉄道の車両として使われました。C12形についても、中国・タイ・ベトナムなどに送られた車両が、戦後しばらく現地鉄道会社の名義で使用されていたことが、各国の記録に残っています。

ダラットは高原避暑地として知られ、フランス統治時代から観光色の強い路線がありました。そこで使われていた車両の一部として、日本製のC12が組み込まれ、のちにディーゼル化・休止となるまで活躍し続けました。


こんなのに乗って、チャイマットまで行きました。

車内です。


すみません、また脱線しました。😓

えと、「カントー行きのバス」でしたね。笑


Thanh Buoi社のオフィスに着き、

メールで受け取っていたバウチャーを

夫が係の人に見せると、

「中で待っているように。」

と言われました。


まずは、オフィス内のカウンターで、

バウチャーを見せて、

乗車券を発行してもらいました。


日本にいるときに夫がネットで購入した、バウチャーです。料金はひとり200000ドン(約1200円)。

カウンターで発行してもらった乗車券です。MIYOは10Bで夫は11B。どんな席なのか、さっぱりわかりません。笑

出発まで、まだ1時間以上あります。

ここで夫は、

「まだ時間があるみたいだから、

 30分くらい、そのへんを歩いてくる。」

と言って、どこかに行ってしまいました。

かたときも、じっとしていられない。

ほんと、落ち着かない人です…。😔


で、MIYOは待合スペースに残って荷物番。

一方、街を歩き始めた夫は…、

すぐ近くにある、公園に行ったようです。公園の名前は、「Công viên số 1 Lý Thái Tổ(コンヴィエン・ソー・モッ・リー・タイ・トー)」。日本語に訳すと、「李太祖第1公園」という感じでしょうか。


【リ―タイトー(李太祖)第1公園】

「李太祖(リ―タイトー)」は、ベトナムの歴史上の皇帝の名前です。公園は、ホーチミン市中心部のリ―タイトー通り沿いにあり、広さは約4.3ヘクタール。緑地と市民の憩いの場として造られました。

この公園は、最近、新たに整備され、新型コロナで亡くなった人たちを追悼するための追悼スペースが造られました。スペース内には、「水滴」をモチーフにした追悼モニュメントが置かれています。


「水滴」をモチーフにした追悼モニュメントです。

公園内の花たち。

大木に寄生している植物が、黄色い花を咲かせていました。

赤い実をたわわに実らせている植物。地面にもたくさん落ちていました。

葉っぱみたいな花。

これは色違いかな。

公園を抜けて、街路樹が生い茂る通りへ。


さて、夫はここから

どこへ行くのでしょうかね…。😓


(つづく)

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