MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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ちょこっと中国、のんびりベトナム 8日間 13 - マジェスティック・サイゴン④ エムバーの夜 / 日本ホテル(2025年8月20日/2日め)

MIYO

2025年8月20日 サイゴン川を行く、ディナークルーズ船。(ベトナム・ホーチミン)


8月20日(水)- 2日め


ホーチミンの伝説のホテルとなっている、

ホテル・マジェスティック・サイゴン

に来ています。


ホテル内自主見学ツアーを終えた夫に誘われて、

渋々重い腰を上げ、

夜7時前に、ホテルの8階にある、

エムバーに向かいました。


エムバーは、サイゴンのルーフトップバーでは

トップ10のひとつに数えられており、

「サイゴン川の比類のない景色を

 眺めることができるバー」

として知られています。


エムバーです。エレベーターを降りると、屋内で飲食できるエリアがあり、ガラス戸の向こうにテラスがあります。

テラスです。この奥には、サイゴン川が流れています。

エムバーは、2方向に向かって開放された空間になっています。

私たちの席は、写真左側奥。サイゴン川に向かって横方向に並んでいる、カウンター席でした。


特に予約をしていたわけではなかったのですが、

いちばん奥にある、

サイゴン川に面した席に

案内していただきました。^^


この席に座ると、目の前はサイゴン川。ふたり並んで夜景を眺めることができる、最高の席でした。^^ 夫はビール、そしてMIYOはスイカジュースをいただきました。

バーの右側に見える景色です。大通りを、たくさんのバイクが埋め尽くしています。

私たちの目の前に広がっている景色です。

そしてさらに、左側へ目を移すと、バーソン橋の向こうに、たくさんの高層ビルが並んでいるのが見えました。


【バーソン橋(旧第二トゥーティエム橋)】

サイゴン川に架かる大橋です。7年の歳月をかけて、2022年に開通しました。全長1465m。


その高層ビル群の中でも、ひときわ高いタワーが、赤く彩られて光っていました。ベトナムで最も高い、ランドマーク81です。(461m)


このランドマーク81の高層部は

ホテルになっています。

実は、この4日後、旅の最後の日には、

このホテルに泊まることになっていました。

「あそこに泊まるんだね…。」

とふたりで話しながら、タワーを眺めました。


このエムバーには、夫に言われて渋々来ました。

でも来てみたら、目の前には、

サイゴン川の最高の夜景が広がっているし、

テラスは風が吹いて気持ちいいしで、

なんだか元気が出てきました。^^


この日は午後の遅い時間に機内食をいただいたので、あまりお腹が空いていませんでした。なので、食事は軽めに、と話し合い、クラブサンドイッチをひとり分だけ注文し、ふたりでシェアすることに。でもポテトが付いていたし、サンドイッチも具がたっぷりで、けっこうなボリュームでした。笑

夜景を眺めながら、はんぶんこ。


こんなに食べられるかな、と思ったのですが

クラブサンドはとてもおいしくて、

夫も私も、完食。笑


そのとき、川の左手から、船がやってくるのが見えました。

ディナークルーズ船です。

子どもたちが中2の時に、家族旅行で初めてホーチミンに来たのですが、そのときに、あんなディナークルーズ船に乗った記憶があります。

3階建ての船は、明るい光で満たされた灯篭のようでした。見とれている私たちの前を、船は静かに通り過ぎて行きました。

さて。テラスの中には、小さなステージがあり…、

ライブ演奏も楽しめます。^^

夜も更けたころになって雨が降ってきました。それもけっこうな勢いだったので、テラスの内側にあるテーブル席に移動しました。夫の後ろ、雨で煙ってます。^^


この日は、広州のホテルの朝食から始まって、

空港ラウンジのお料理、そして機内食と、

3回も食事していたので、

あまり食欲はありませんでした。

でも、思いがけず、エムバーの夜景も、

クラブサンドイッチもすばらしくて、

楽しいお夜食になりました。^^


ちなみにお会計ですが、

こんなに楽しく過ごせて、

4045円でした。

(クレカで決裁した額です。)


空港からのタクシー代(500円)を含めて、

今日一日で使ったのは、4500円。

今日も楽しい一日でした。


こうして、旅の2日めが終わりました。


(つづく)


(おまけのお話)


エレベーターからエムバーに続く通路の壁に、

古い写真が飾ってありました。


1925年の、ホテル・マジェスティック・サイゴン。創業間もない頃です。

同じ年の、ホテル・マジェスティック・サイゴン。これは絵はがきだったようです。

1930年の、ホテル・マジェスティック・サイゴン。美しい外観は、市内でも際立った存在だったことでしょう。手前のサイゴン川には、船が並んでいるのが見えます。

そしてこちらは、1階のロビーに飾ってあった、記念の品々。5つ星を獲得したときの盾もありますね。しかし見ていただきたいのは、左下の写真です。

プレートには1940年とありますが、正しくは、おそらく1941年ではないかと思われます。

この写真で、正面玄関の上の方を見ると、なんと、「日本ホテル」と書いてあるのがわかります。


現在のマジェスティック・サイゴンは、かつて、

「日本ホテル」

と呼ばれていた時代がありました。

今回は、このお話を書きたいと思います。


【ホテル・マジェスティック・サイゴン】

開業は1925年(大正14年)。フランス植民地時代、近代ヨーロッパ式ホテルとして建てられました。長い歴史の中で、各国の王室や各界著名人が宿泊してきたこのホテルは、現在6階建て175室の客室を有しています。


ここまでの説明は、以前にも書きました。

フランス人の社交場だったこのホテルに、

「日本」が登場するのは、

第二次世界大戦が始まってからのことです。


日本軍は、北部仏印に進駐した1年後、

1941年7月に、南部仏印に進駐します。

当時の状況下で、

植民地政策を継続するために、フランスは、

日本軍を受け入れざるをえませんでした。

こうして、ベトナム北部・南部ともに、

日仏共同統治の時代が始まります。


その結果、マジェスティックホテルは、

日本政府に貸し出され、「日本ホテル」と改名。

進駐した日本軍や政府関係者の宿舎となりました。

(*終戦後、ホテル名はもとに戻されました。)


有名なヘリテージホテルで、

「第二次世界大戦時に日本軍が使用していた」

というようなホテルは、

実は各国に、今も残っています。


たとえば、ビルマのストランドホテル。

ストランドホテルで食事したときの日記です。

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 35 - ストランドホテルの晩ごはんと軍票。そしてフォーさん、チーレィさんの思い出。(1987年5月8日-10日/8日め-10日め)


そして、インドネシア・ジャワ島にある、

ホテル・マジャパヒト。


実は、5月のインドネシア旅行では、

やはり夫の希望で、

このホテル・マジャパヒトに泊まっています。^^

このときのお話も、いつか書きたいな、

と思っているところです。

書きたいことはいっぱいあるのですが、

なにしろ、時間が足りません。😓

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