34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 63 - トゥクトゥクに乗って、タート・ルアンへ / 懐かしのパトゥーサイ(2025年3月18日/5日め)
2025年3月18日 トゥクトゥクに乗って、タート・ルアンへ。(ラオス・ヴィエンチャン)
3月18日(火)- 5日め
充実の朝ごはんをいただいたあとは、
荷物をまとめて、
ホテルをチェックアウトしました。
ラオスの旅5日めですが、
この日も一日、ヴィエンチャンを歩き、
夜の国際寝台列車で、
ラオスからタイへと国境を越えます。
駅に行くのは夕方になってからなので、
それまで、日中はヴィエンチャンを
気ままに歩く予定でした。
いったんホテルを出発したら、
チェックアウト時間の12時までに
たぶん戻れないので、
朝のうちにチェックアウトして、
荷物はフロントで預かってもらいました。
この日の目的地は、タート・ルアン。
ラオスを代表する仏塔のひとつです。
ホテルの前からトゥクトゥクに乗って行こう、
と思っていたのですが、あいにく、
トゥクトゥクが停まっていません。
仕方なく、付近を散策しながら、
トゥクトゥクを探すことにしました。
ホテルのあるエリアは街の中心部で、
フランス統治時代の古い建物が
多数残っているので、
歩いているだけでも楽しめます。^^
Kualao Restaurant。ラオス料理のお店です。フランス統治時代の建物を利用しており、すてきな店構えでした。
このレストランは、中庭も凝った造りでした。夫はいつものように、花を撮りながらのんきに歩いていました。
MIYOは、道端のお店で売っているものの方が気になります。焼きとうもろこしと焼きバナナ。これがいくらで、一日にどれくらいの収入になるのか…などと、つい考えてしまいます。余計なお世話なのですが。😓
優雅な建物は、バンコク銀行でした。
ネットで調べたら、「ラオス大統領官邸」と出てきました。
少し歩いたあと、ようやくトゥクトゥクを見つけて、出発。^^
少し走ったら、前方にパトゥーサイ(凱旋門)が見えてきました。
【パトゥーサイ(Patouxay)】
パトゥーサイは、ラオス語で「勝利の門」という意味です。1960年代、内戦時の戦没兵士の慰霊塔として建てられたもので、パリの凱旋門を模したとも言われています。門の中に入って天井を見上げると、インド叙事詩「ラーマーヤナ」の見事なモザイク画が描かれています。さらに階段を上がって屋上に出ると、ヴィエンチャンの街並が一望できます。
どんどん近づいて行ったのですが、ここでトゥクトゥクは右へ曲がります。
このときに、夫ががんばって撮ったパトゥーサイ。
パトゥーサイでは、屋上に上がることができます。
でも私たちは34年前に訪れているので、
今回は通り過ぎただけで、中に入りませんでした。
当時、夫が撮った写真を掲載しておきます。
真下から見上げたパトゥーサイ。上部に3つの塔があるのですが、これは向かって左端のものです。(1991年9月1日)
門の中に入りました。天井を見上げると、インド叙事詩「ラーマーヤナ」のモザイク画が描かれていました。一番下のおサルさんは、ラーマーヤナの英雄、ハヌマーンでしょうか。(1991年9月1日)
インドネシア・バリ島のウルワツ寺院で出会ったハヌマーンです。
タイ・バンコクの王室御座船博物館で出会ったハヌマーンです。
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パトゥーサイの上部に上がると、ヴィエンチャンの市内が一望できます。目の前に、まっすぐに伸びる道路がありましたが、これは、前日さんざん歩いた、ラーンサーン通りです。そのつきあたりにある白いものは、ラオス国家主席府。その左に見えているのが、ワット・ホープラケオということになります。ワット・ホープラケオの少し手前に、現在は、タラート・サオというショッピングモールがあるのですが…。(1991年9月1日)
反対側から見た、現在のラーンサーン通りです。中央に、パトゥーサイが見えます。緑の樹木が多いのは同じですが、道路の両側には、オフィスビルがびっしりと立ち並んでいます。(2025年3月17日 ラオス・ヴィエンチャン)
この写真の中央あたりに、今回私たちが宿泊したホテルもあるはずですが、34年前は、まるで森林のようです。笑(1991年9月1日)
驚くのは、「なにもない」ということです。
大通りの両川に見えているのは、
ほぼ、緑のエリア。
現在の同じ場所には、
建物がびっしりと建てられているのですが、
このころに見えるのは、樹々ばかり。
これが、首都ヴィエンチャンの姿でした。
本当に、なにもなかったんだな…。
そして今は、こんなにも発展したんだな…。
34年前の写真を見て、
その変貌ぶりを実感しました。
パトゥーサイの左端の塔から見えた、中央の塔の尖塔部分です。背景をよく見ると、遠くの方にメコン川が見えています。ここからメコン川までは、約2キロ。意外と近くにあります。(1991年9月1日)
34年前のメコン川です。(1991年9月1日)
メコン川に沿って夫と散歩したことは、おぼろげに覚えていました。でもそれが、ヴィエンチャンでの唯一の記憶です。このときに、パトゥーサイ、ワット・シーサケット、ワット・シームアン、タート・ルアンに行っているはずなのですが、情けないことに、すべて忘れ去っていました。(1991年9月1日)
川のほとりのテラスで休憩。このときに話しかけてきた方といっしょに。この流れのはるか上流に、ルアンパバーンがあります。(1991年9月1日)
さて。
現在のヴィエンチャンに戻ります。^^
パトゥーサイの手前で右折しました。揺れる車内から撮ったので、ちょっと傾いてますが…。^^
パトゥーサイのすぐ隣りにあった立派な建物。首相官邸です。
パトゥーサイを過ぎて、さらに進みます。
さらに少し走ったところで、遠くの方になにか見えてきました。
上の写真を拡大しました。タート・ルアンです。^^
敷地の門が見えてきました。
トゥクトゥクは敷地の中に入り、広々とした駐車場に停まりました。目の前に見えているのは、タート・ルアン南寺院。屋根のドクソーファーには、尖塔が15本。タート・ルアンの手前に控える寺ですが、ルアンパバーンのワット・シェントーン(17本)の方が格式は上のようです。
ヴィエンチャン市内にも、
りっぱな寺院が多いのですが、
ドクソ-ファーを見ると、
尖塔の数は意外と少ないんですよね…。
ルアンパバーンでは、
「古都ルアンパバーンにある」っていうだけで、
寺の格式が2割増しになるのかな…。
なんて、アホなことを考えてました。😓
いまここ。😊
(つづく)


























