MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 63 - トゥクトゥクに乗って、タート・ルアンへ / 懐かしのパトゥーサイ(2025年3月18日/5日め)

2025年3月18日 トゥクトゥクに乗って、タート・ルアンへ。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月18日(火)- 5日め


充実の朝ごはんをいただいたあとは、

荷物をまとめて、

ホテルをチェックアウトしました。


ラオスの旅5日めですが、

この日も一日、ヴィエンチャンを歩き、

夜の国際寝台列車で、

ラオスからタイへと国境を越えます。

駅に行くのは夕方になってからなので、

それまで、日中はヴィエンチャンを

気ままに歩く予定でした。


いったんホテルを出発したら、

チェックアウト時間の12時までに

たぶん戻れないので、

朝のうちにチェックアウトして、

荷物はフロントで預かってもらいました。


この日の目的地は、タート・ルアン

ラオスを代表する仏塔のひとつです。


ホテルの前からトゥクトゥクに乗って行こう、

と思っていたのですが、あいにく、

トゥクトゥクが停まっていません。

仕方なく、付近を散策しながら、

トゥクトゥクを探すことにしました。


ホテルのあるエリアは街の中心部で、

フランス統治時代の古い建物が

多数残っているので、

歩いているだけでも楽しめます。^^


Kualao Restaurant。ラオス料理のお店です。フランス統治時代の建物を利用しており、すてきな店構えでした。

このレストランは、中庭も凝った造りでした。夫はいつものように、花を撮りながらのんきに歩いていました。

MIYOは、道端のお店で売っているものの方が気になります。焼きとうもろこしと焼きバナナ。これがいくらで、一日にどれくらいの収入になるのか…などと、つい考えてしまいます。余計なお世話なのですが。😓

優雅な建物は、バンコク銀行でした。

ネットで調べたら、「ラオス大統領官邸」と出てきました。

少し歩いたあと、ようやくトゥクトゥクを見つけて、出発。^^

少し走ったら、前方にパトゥーサイ(凱旋門)が見えてきました。


【パトゥーサイ(Patouxay)】

パトゥーサイは、ラオス語で「勝利の門」という意味です。1960年代、内戦時の戦没兵士の慰霊塔として建てられたもので、パリの凱旋門を模したとも言われています。門の中に入って天井を見上げると、インド叙事詩「ラーマーヤナ」の見事なモザイク画が描かれています。さらに階段を上がって屋上に出ると、ヴィエンチャンの街並が一望できます。


どんどん近づいて行ったのですが、ここでトゥクトゥクは右へ曲がります。

このときに、夫ががんばって撮ったパトゥーサイ。


パトゥーサイでは、屋上に上がることができます。

でも私たちは34年前に訪れているので、

今回は通り過ぎただけで、中に入りませんでした。

当時、夫が撮った写真を掲載しておきます。


真下から見上げたパトゥーサイ。上部に3つの塔があるのですが、これは向かって左端のものです。(1991年9月1日)

門の中に入りました。天井を見上げると、インド叙事詩「ラーマーヤナ」のモザイク画が描かれていました。一番下のおサルさんは、ラーマーヤナの英雄、ハヌマーンでしょうか。(1991年9月1日)

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カンボジア・シェムリアップのアンコールワットで出会ったハヌマーンです。

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 31 - アンコールワット④ 第一回廊(ラーマーヤナ)(2024年1月17日/6日め)

パトゥーサイの上部に上がると、ヴィエンチャンの市内が一望できます。目の前に、まっすぐに伸びる道路がありましたが、これは、前日さんざん歩いた、ラーンサーン通りです。そのつきあたりにある白いものは、ラオス国家主席府。その左に見えているのが、ワット・ホープラケオということになります。ワット・ホープラケオの少し手前に、現在は、タラート・サオというショッピングモールがあるのですが…。(1991年9月1日)

反対側から見た、現在のラーンサーン通りです。中央に、パトゥーサイが見えます。緑の樹木が多いのは同じですが、道路の両側には、オフィスビルがびっしりと立ち並んでいます。(2025年3月17日 ラオス・ヴィエンチャン)

この写真の中央あたりに、今回私たちが宿泊したホテルもあるはずですが、34年前は、まるで森林のようです。笑(1991年9月1日)


驚くのは、「なにもない」ということです。

大通りの両川に見えているのは、

ほぼ、緑のエリア。

現在の同じ場所には、

建物がびっしりと建てられているのですが、

このころに見えるのは、樹々ばかり。

これが、首都ヴィエンチャンの姿でした。


本当に、なにもなかったんだな…。

そして今は、こんなにも発展したんだな…。


34年前の写真を見て、

その変貌ぶりを実感しました。


パトゥーサイの左端の塔から見えた、中央の塔の尖塔部分です。背景をよく見ると、遠くの方にメコン川が見えています。ここからメコン川までは、約2キロ。意外と近くにあります。(1991年9月1日)

34年前のメコン川です。(1991年9月1日)

メコン川に沿って夫と散歩したことは、おぼろげに覚えていました。でもそれが、ヴィエンチャンでの唯一の記憶です。このときに、パトゥーサイ、ワット・シーサケット、ワット・シームアン、タート・ルアンに行っているはずなのですが、情けないことに、すべて忘れ去っていました。(1991年9月1日)

川のほとりのテラスで休憩。このときに話しかけてきた方といっしょに。この流れのはるか上流に、ルアンパバーンがあります。(1991年9月1日)


さて。

現在のヴィエンチャンに戻ります。^^


パトゥーサイの手前で右折しました。揺れる車内から撮ったので、ちょっと傾いてますが…。^^

パトゥーサイのすぐ隣りにあった立派な建物。首相官邸です。

パトゥーサイを過ぎて、さらに進みます。

さらに少し走ったところで、遠くの方になにか見えてきました。

上の写真を拡大しました。タート・ルアンです。^^

敷地の門が見えてきました。

トゥクトゥクは敷地の中に入り、広々とした駐車場に停まりました。目の前に見えているのは、タート・ルアン南寺院。屋根のドクソーファーには、尖塔が15本。タート・ルアンの手前に控える寺ですが、ルアンパバーンのワット・シェントーン(17本)の方が格式は上のようです。


ヴィエンチャン市内にも、

りっぱな寺院が多いのですが、

ドクソ-ファーを見ると、

尖塔の数は意外と少ないんですよね…。

ルアンパバーンでは、

「古都ルアンパバーンにある」っていうだけで、

寺の格式が2割増しになるのかな…。

なんて、アホなことを考えてました。😓


いまここ。😊


(つづく)

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