34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 58 - ワット・ホープラケオ③ と、タラートサオ・モール(2025年3月17日/4日め)
2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)
3月17日(月)- 4日め
ワット・ホープラケオに来ています。
ヴィエンチャン様式の、美しい本堂。これはMIYOが撮った写真です。
同じ場所から、夫が撮った写真。夫が撮ると、なぜかいつも、寺院の一部がはみ出てしまうんですよね…。😔
ラオスの寺院の屋根によく見られる「棟飾り」。聖鳥ガルーダの頭を模しており、チョーファーと呼ばれています。
このチョーファーが、ですね。
夫が撮った写真では、
たいていちょん切れてしまっていて、
写っていないんですよね…。😔
帰国してから、写真を見るたびに、
「あ~。またチョーファーが写ってない。」
と、残念な気持ちになるのですが。
なぜ、チョーファーをカットするのだろう。
もしかして、夫の目には見えていないのか?🙄
庭園内に樹がたくさんあるので、たしかに、写真を撮りにくい寺院ではありました。この写真も、樹のせいで屋根がきれいに撮れませんでした。が、階段を走る10匹の龍の美しいフォルムが撮れているので、掲載します。^^
このあとは、
本堂の手前に広がる庭園を眺めながら、
入場口まで歩きました。
庭園の中にあった、巨大な壺。ジャール平原の石壺を、ここまで運んできたようです。
【ジャール平原の石壺】
ジャール平原は、ラオス中部のシエンクワーン県、アンナン山脈の北端に位置する台地です。ここには、大量の石壺(Stone Jars)が散らばって埋められています。石壺は、シエンクワーン台地を中心に400箇所以上で確認されています。これらの石壺は、「古代モン・クメール族によって、1500から2000年前に使用された。」と考えられています。発見された石壺のほとんどは、紀元前500から西暦800年のものです。人類学者や考古学者は、「これらの石壺は、骨壷あるいは食料貯蔵のための容器として使用された。」としていますが、詳しいことは、現在もわかっていません。
「ジャール平原も、今回、
行こうかどうか、迷ったんだけど、
場所がすごく行きいくいところにあるので、
あきらめた。」
…ですと。😓
ジャール平原って、ここですよ。ルアンパバーンとヴィエンチャンの間ですが、山の中をかなり迂回していて、これはたしかに行きにくそうです。
旅の計画は、そのほとんどを夫が作り、
MIYOはついていくだけなのですが、
まかりまちがったら、
ジャール平原まで行ってたらしいです。🤣🤣
寺院内にある、たくさんのストゥーパたち。
ワット・ホープラケオの入場口を出て、
さて、これからどうしよう、
と、ふたりで相談しました。
「もうすぐ5時になるし、ホテルに戻る前に、
どこかで晩ごはんを食べたいね。
ショッピングモールにでも行ってみない?
フードコートがあるかも。」
…ということで、
グーグルマップで探してみると、
徒歩10分くらいのところに、
タラートサオというモールを発見。
再び、ラーンサーン通りを歩きながら、
今度はモールをめざしました。
歩行距離は2キロになっていますが、これ以外に、寺院の中をくまなく歩いているので、すでに4キロくらいになっているかと…。
ワット・ホープラケオのすぐ隣りに見えた、立派な建物。ラオス国家主席府だそうです。
カシコーンタイ銀行のラオス支店です。建物はコロニアル風ですてきなのですが…、
なぜ、巨大な招き猫が置いてあるのか…。🤣 高さは4m以上ありそうです。
この通りをずっと歩き続けると、凱旋門があります。めざすモールはその手前。
さらにてくてくと歩いて、どうやらそれらしいものが見えてきました。
タラートサオ・モールです。
中に入ってみました。1階は、衣料品や時計などのお店が入っています。
上の階にフードコートかレストランがあるかも…と、上がってみましたが、2階部分はシャッター街。3階は倉庫のような状態で、4階部分は真っ暗でした。
停止しているエスカレーターを階段代わりにして上がってみると、2階は貴金属のお店ばかり。
そのうえ、2階の大部分のお店は閉店していて、シャッター街となっていました。
中国経済が冷え込んだ結果、
ラオスまで買い物に来る中国人が減り、
ラオスの経済は窮地に陥っている。
…と、夫はなにかで読んだそうですで、
「まさにそのとおりなのかも。」
などと言っておりました。
それが本当かどうかはわかりませんが、
少なくともこのモール内では、
晩ごはんを食べることはできなさそうだ、
ということはわかりました。
しかたなく、ごはんを食べるところを求めて、
再び街をさまようことになりました。
いまここ。😊
(つづく)



















