MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 13 - 千石蔵①(2022年6月19日/3日め)

(2022/08/08 13:50記)

2022年6月19日 千石蔵で、鰊船といっしょに。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


旧商家丸一本間家を出て、
海に向かって歩いていきました。
このエリアには、
いくつもの倉庫が見られます。


國稀酒造の隣りに建っていたものです。最近になって建てられたものだそうですが、千石蔵とテイストが似ています。

丸一の屋号が入っています。

そしてこれが、めざす千石蔵です。


【千石蔵】
國稀酒造が所有する蔵です。現在の位置は、旧商家丸一本間家のすぐ近くです。かつては増毛港にあり、漁具保管蔵として使われていましたが、道路拡幅工事に伴って現在地に移転しました。大正以降は、ニシン粕保管倉庫として使われてきたそうです。

現在は、漁具などの保管、写真展示やイベントに活用されており、ニシン船やニシンに関する資料を見学することができます。


入口横のベンチでは、家族連れがお昼ごはんを食べていました。^^

中に入ると、いきなり「鰊船」の看板が…。

ありました! 実際に使われていた、鰊船です。これが、これが、これが、これが見たかったのです!

柵の内側に横たわる鰊船。すぐそばに近づいて見ることもできます。^^

最盛期、本間家に莫大な富をもたらしたニシン漁。その鰊船が、一隻まるごと、ここに展示してありました。こちらは船首である舳(へさき)です。

そして船尾である艫(とも)。船べりに描かれた絵の色が、今も残っています。これは左側。

そして右側。もう、うれしくって、船の周りをぐるぐる歩きまわりました。🤣🤣

船の隣りには、当時のニシン漁の様子を説明するジオラマがありました。こんな風に、2艘の船で大きく網を広げて、鰊群をすくうようにして獲ったんですね。

次は、ジオラマ横の階段を上がって2階に行きました。2階部分はデッキになっていて、そこから船を見下ろすことができます。

このデッキに沿って、壁にたくさんの写真が展示してありました。

昭和20年4月の増毛港に碇泊していた漁船群。すごい数です。100隻以上はあると思われます。

鰊船で働く人々。

岸からニシンを運ぶために使ったもっこです。

ニシンを満載したもっこは、20キロ近い重さがあったそうです。それを背負って運ぶのは女性の仕事でした。

昭和10年代には、大がかりな起重機(クレーン)が設置されました。台場にはトロッコが待っており、釣り上げられた鰊がそこへ落とされました。


【鰊潰し(にしんつぶし)】
鰊は、水揚げされてから4~5日間、廊下(船倉)や納坪(仕切られたスペース)に置き、数の子が固まるのを待ちました。その後、鰊をさばいて各部位に分ける作業を始めます。これを「鰊潰し(にしんつぶし)」といいます。数の子は、取り出された後、さらに海水に2~3日入れて固め、水を切った後、天日で乾燥させました。


鰊の選別をしているところです。大きさごとに分けたり、折れたものを選別したりしました。

積み上げられた鰊粕の俵です。一俵の多さは26貫(97.5㎏)。これを担ぎ上げることができるのは、相当の力自慢の者でした。通常は、ふたりがかりで反動をつけて持ち上げ、担ぎ手の肩へ載せました。かなりの重労働でした。

陸揚げしたニシンだらけの岸壁で食事する若者です。食事は、ごはんまたはおにぎりと漬物でした。バケツの中には、味噌汁が入っています。重労働なので、一日に4~5回は食事をしたそうです。一升瓶の中に入れた飲料水も必需品でした。


さすが、増毛です。
ここでしか見られないような、
貴重な写真がたくさんありました。


写っている人々の生き生きとした表情や、
臨場感あふれる作業場のようすに、
時間を忘れて見入ってしまいました。


今から250年以上も昔、
宝暦年間に漁場が開かれて以来、
ニシンの町として栄華を極めた、増毛。


明治から大正、そして昭和初期へと、
それぞれの歴史を映し出しながら、
往時の賑わいの名残りを、
町は今も、伝え続けていました。


(つづく)

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