MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 79 - 王宮⑳ 閲是堂(古典舞踊トゥオン、閲是門、内務府とダークリントゥ寺院)(2023年6月19日/6日め)

2023年6月19日 フエ王宮・閉館間際の午門で。


6月19日(月)


ベトナム最古の劇場である、
閲是堂に来ています。


閲是堂内では、
・宮廷音楽の楽器
・戯曲で使う仮面
・阮朝時代の衣装や写真
・その他関連資料
などを展示しており、
公演がない時間帯は、無料で見学できます。


まずは、宮廷音楽で使われていた楽器です。

次は、戯曲(ベトナムの宮廷古典劇「トゥオン」)で使う仮面。たくさんありますね。


【トゥオン(Tuong)
ベトナムの宮廷古典劇
です。中国の京劇の影響を受け、フエの宮廷で発展しました。南部では「ハットボイ(Hat Boi)」とも呼ばれ、19世紀後半から20世紀初頭にかけて隆盛を誇りました。「見得(みえ)を切る」演技「隈取り」に似た化粧など、歌舞伎との類似点も多く見られます。宮廷で育まれたトゥオンには、宮廷内の権力闘争や戦国武将を扱った歴史ストーリーが多いのが特徴です。

その他、ベトナムの古典劇には、「チェオ(Cheo)もありますが、こちらはいわば大衆劇です。とりあげる題材も、庶民の生活に根ざしたものが多くなっています。


隈取(くまどり)が中国の京劇みたいなものもあれば、西洋のカーニバルを思わせるものもあります。

当時のベトナムの状況を考えると、中国からも西洋からも影響を受けていたのでしょう。

グエン朝のころ、閲是堂の舞台に登場していた人々です。

フランス・マルセイユ公演での写真です(1906年)。(画像をお借りしました)

そして展示は、阮朝時代の衣装や写真に移ります。

フエのトゥオン(別名ハットボーイ)で、軍閥の衣装を着た俳優たちです(1874年)。(画像をお借りしました)


フエで発展した宮廷古典劇「トゥオン」は、
現在は、ハノイの劇場でも
見ることができるそうです。
 施設名:ベトナム トゥオン劇場
     Nha Hat Tuong Trung Uong
 住所: 51 Duong Thanh, Hanoi
 営業時間:月曜・木曜 18:00-19:00 
      日曜 19:30-20:30


ベトナム トゥオン劇場です。(画像をお借りしました)


次にハノイに行くことがあったら、
ぜひ観てみたいな、と思います。😄


閲是堂の正面玄関の前にある、閲是門です。

この門をくぐって、さらに歩きます。

閲是門の外は、9番通り。この通りの向こう側にも、なにか見えたので、行ってみました。

何か、古そうな建物が見えます。右隣りにも、小さな祠のようなものがあります。

全体的にひっそりとしている雰囲気です。

職員のバイクや電気自動車が駐車していて、何かの事務棟のようにも見えます。

中に人がいるのか、なにかの物置なのか、よくわかりませんでした。

ぐるりと歩いて、裏側に行ってみました。(画像をお借りしました)

建物の反対側にまわると、そこが正面玄関でした。かつての池や噴水の残骸らしきものもあります。しかしかなり荒れ果てています。


帰宅後、この写真を知べてみて、初めて、
内務府であることがわかりました。(遅い)


【内務府(Phủ Nội Vụ)
フエ王宮内には、グエン王朝の王室様式の古代建築に加えて、西洋風の作品もあるということはあまり知られていません。この内務府もそのひとつでした。
内務府は、日本の宮内庁にあたるところで、皇帝の生活実務を司る役所です。この建物は、金、真珠、絹、貢物などの王室の宝物を製造および保管する場所として使用されました。宮殿の道具を製作するために、清の職人と首都フエの最高の職人が集まる場所でもありました。
もともとは、ミンマン帝の治世の初めである1802年に、王室の貴重な宝物を製作して保管する場所として建てたのが始まりです。当時の内宮殿は伝統的な王室建築でしたが、20 世紀初頭に、荘厳なヨーロッパ建築に基づいて再建されました。現在の建物は、1933年にバオダイ帝によって建造されたものです。このエリアには、他にも多くの建造物群がありましたが、現存しているのは、この内務府棟のみです。


今でこそ、なんだか古臭いオフィスビル
のように見えてしまうのですが、😅
当時は、西洋風の近代的な建築物として、
おそらくバオダイ帝の肝入りで
作られたものだったのでしょう。


小さな祠のように見えたのは、ダークリントゥ寺院(Đền Tối Linh Từ)でした。(斜め後ろから見たところです。)


【ダークリントゥ寺院(Tối Linh Từ)
レンガとモルタルで建てられ、伝統的なスタイルで装飾された、グエン王朝の典型的な寺院です。ドイツの後援を受けて、2012年に修復されました。装飾は、フエ建築の典型的なスタイルで、磁器モザイク、ライブカラーペインティング、エンボス加工のレリーフなどの技術を使用しています。ベトナムの伝統的な職人技を示す内外装の装飾モチーフと、ヨーロッパの寺院建築様式を組み合わせた非常にユニークな建築となっています。


右:修復される前のダークリントゥ寺院(斜め前から見たところ)
右:修復後(現在)のダークリントゥ寺院(斜め後ろから見たところ)


せっかく修復されたのですが、
高温多湿な気候のせいか、現在は再び、
劣化しつつあるように感じました。
この頃には、
夫も私もかなり疲れていたようで、
正面からの写真を撮り忘れています。😅


せっかくなので、修復して間もないころの写真を掲載しておきます。(2012年)

陶片を使ったモザイク(磁器モザイク)が美しいですね。


これでようやく、見たかったところを、
すべて歩きました。
一日中歩き続けて、
あまりにもたくさんの物を見続けて、
頭の中はぐちゃぐちゃです。😅
気がついたら、
そろそろ閉館時間になろうとしていました。


いまここ。😄


(つづく)

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