MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 6 - 北海道博物館①「歴史の中のアイヌ工芸」(2021年11月3日/1日め)

2021年11月7日 民族共生象徴空間「ウポポイ」で。(北海道白老郡白老町)


11月3日(水)


北海道博物館に来ています。


林に囲まれ、広々とした敷地に建つ、北海道博物館。東京では考えられないような、ぜいたくな立地環境です。


【北海道博物館】
北海道博物館(愛称:森のちゃれんが)は、北海道の自然・歴史・文化を紹介する北海道立の総合博物館です。既存の道立施設であった「北海道開拓記念館(1971年開館)」と「道立アイヌ民族文化研究センター(1994年開所)」を統合して、2015年に開設されました。
自然環境と人とのかかわりや、アイヌ民族の文化、本州から渡ってきた移住者のくらしなどを調査・研究し、北海道民の貴重な宝である資料を収集・保存しているほか、展示や教育、イベント・事業などを行っています。


このときは、企画テーマ展「アイヌのくらし」を開催中でした。

正面玄関に向かって歩きます。

入場料(600円)を支払おうとしたのですが、「企画展だけを見学する場合は、無料です。」と言われ、びっくりしました。


総合展示スペースには、マンモスなどのような、
はるか古代に関連する展示もあるそうです。
でも、私たちが見たかったのは、
「アイヌのくらし」展です。
もう午後も遅い時間になっていて、
全部を見学できるだけの時間も
ありませんでした。
なので、
「企画展だけにします。」と。^^


ということで、こんなりっぱな博物館で、
企画展を無料で見学させていただきました。
北海道、すごいです。^^


「アイヌのくらし-時代・地域・さまざまな姿」企画展入り口のパネルです。この企画展は、「アイヌ民族が暮らしてきた広大な土地における、地理的広がりをめぐりながら、それぞれの地域で暮らした人々の、文化と歴史を紹介すると共に、あわせて『今』を生きる人々の声も伝えるもの」として企画されました。


展示は、
「第一章 歴史の中のアイヌ工芸」
から始まりました。


企画展の冒頭に展示してあった、イラクサ繊維製衣服です(国立民族学博物館蔵)。「ていねいに織り上げられた布にみなぎる清冽な美しさが、その上を伸びやかに広がる刺繍文様の鮮やかさを、いっそう際立ったものにしている。」と書いてありました。まさに、その言葉につきると思います。

こちらは、ネット上で紹介されている写真です。この写真の方がわかりやすいですね。息をのむような美しさです。この衣服は、1938年に、当時は日本統治下にあったサハリン島の広地村において、和人研究者に売却されたものです。広地村は、当時の樺太で最大規模のアイヌ集落で、312人のアイヌ民族が暮らしていました。

その3年前、1935年に、同じ村で撮影された写真です。左端の男性が、まさにこの衣服を着用しているという、貴重な写真です。でも、残念なことに、お顔にモザイクがかかっていて、なにか違和感がありました。これまでのアイヌの方々がたどってきた苦難の歴史が関係しているのだと思います。

これまで、世界の様々な少数民族を訪ねてきましたが、民族衣装を着ている写真で、顔にモザイクをかけたものを、見たことがありません。私にとって民族衣装とは、「魅せるもの」「魅せられるもの」であり、お顔を隠して見せるようなものではないのですが…。
ベトナムのサパを訪ねたときの、民族衣装のお話です。(2019年10月20日)


当時の、北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌの民族分布図です。こんなに広いエリアに、アイヌ民族が暮らしていたんですね…。


【展示の流れ】(解説文より)
これらの地域は、豊富な水産資源に恵まれていたため、19世紀前半から多くの和人が流入し、アイヌ民族は圧倒的な少数者となりました。過酷な労働環境や持ち込まれた伝染病の流行が深刻な打撃となり、近世のうちに、人口の大半が消滅し、資料がほとんど残されていない地域も少なくありません。この展示では、海岸線を南から北へと進みながら、アイヌの人々の歩みをたどっていきます。


1913年(大正2年)、余市大乗寺前で、町長らを囲んで整列する人々。前列の2人はちゃんちゃんこのようなものを着ていますが、これは陣羽織であることが、あとでわかりました。長老が着用するものだったそうです。

木綿製衣服(1872年積丹町)と前掛け
木綿衣とは、本州との交易などで手に入れた木綿の古布などで作った衣服のことです。もともと、アイヌ民族の衣装は、植物の繊維や魚の皮で作られていたそうです。

木綿製衣服と刀帯

捧酒箸(パスィ)、矢筒など。

首飾り

鉢巻と矢筒

オヒョウ繊維製衣服と前掛け(共に1887年北見)

木綿製衣服と前掛け(共に1887年北見)

広いスペースに、驚くほどたくさんの衣服や生活用品が展示されていました。けれど残念ながら、コロナ禍で、訪れる人はあまりいないようでした。


こんなにもたくさんのアイヌの衣装を、
一度に見たのは、初めてのことでした。
この企画展の規模の大きさと、
展示が充実していることに、
ただただ驚きました。
うれしくて、夫も私も、
夢中で写真を撮りました。


さすが、北海道。
すごいです。^^


(つづく)

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