34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 65 - タート・ルアン② 仏塔、回廊、礼拝堂(2025年3月18日/5日め)
2025年3月18日 タート・ルアンで。(ラオス・ヴィエンチャン)
3月18日(火)- 5日め
タート・ルアンに来ています。
たまたま出会った方々といっしょに、記念撮影。^^
この写真の、後ろに見えているのが、
タート・ルアン南寺院なのですが…。
アルバムを探してみたら、見つかりました。^^
34年前にも、夫が破風部分を撮っていました。(1991年9月1日)
修繕前なので、装飾がかすれ気味ですが、これはこれで、いい雰囲気を醸していると思います。
そしてタート・ルアン。その美しい姿は、ヴィエンチャンの象徴とされています。
この場所に立ってみて、
ようやく思い出しました。
「ああそうだった。私たち、たしかにここに来てるよね。」と…。
ここに来るまで思い出せなかったというのも、情けない話なのですが…。
なにしろMIYOは、
下調べというのをほとんどやらないので、
事前に写真を見たりもしないし、
たいていのスポットは、
「着いてから知る」
というのが、平常運転。
(なんの自慢にもなりません。😔)
40年前からずっと、
旅の企画はほぼすべて、夫がやっています。
夫がスケジュールを決めてから、
SIMを買ったり、ホテルを予約したり、
旅行中にGrabを呼んだりするのは
私の担当なのですが、
現地でどこをどう歩くのかについては、
ほとんど関知せず、MIYOはただ、夫の後を、
文句を言いながらついて歩くだけです。
ホテルで、朝起きてから、
「今日はどこに行くの?🙄」とか、
よく言ってましたね。笑
移動中は、車の中で爆睡することも多く、
「着いたよ。」と夫に起こされ、
車を降りてから、
「ここ、どこ?」
なんて、平気で言ったりします。
最近は、
「明日はどこに行くの?」
と言うようになったので、
以前より少しはマシになりましたが。
とはいうものの、
こんなふうに、他人まかせで旅行していると、
どこに行ったか、何をしたか、
という大事な情報が頭の中でごちゃごちゃになり、
あまり記憶に残らないんですよね…。
でも最近は、ブログで旅日記を書くようになり、
そうなったらそうなったで、
詳しく調べないと気がすまない性分。笑
おかげで、ブログに書いた旅については、
旅の情景や思い出が整理でき、
頭の中で鮮やかに再現できるようになりました。
34年前のラオスの旅も、
ほとんど霧の中状態だったのですが、
こうして書くことによって、
忘れ去っていた旅がもう一度、
自分の中に戻ってきたような気がしています。
今は、今年のラオス旅を書きながら、同時に、
34年前の旅も、再び楽しんでいます。
書いて残すって、ほんと、大事ですね…。^^
それでは、仏塔の周囲を歩いてみます。
その前に、タート・ルアンの全景をご覧ください(ほっとせなNEWS より)。ちなみに、右端に、タート・ルアン南寺院と寝釈迦が見えています。これはお祭りのときの写真なので、大勢の人で埋め尽くされていますが、中央に仏塔があり、その周囲を回廊が囲んでいることがわかります。回廊が取り囲む構造は、ワット・シーサケットと同じですね。^^
ワット・シーサケットの回廊を歩いたときの日記です。
34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 55 - ワット・シーサケット③ 回廊(2025年3月17日/4日め)
仏塔の周囲にめぐらされた回廊です。
ワット・シーサケットでは、仏像がびっしりと置かれていましたが、それに比べると、わりと殺風景な感じではあります。
この写真を撮っていたら、多動夫がめざとく銅鑼を見つけてやってきました。
鳴り物を見ると叩きたくなる性分ですが、「ここではやめなさい。写真だけね。」と、止めました。😅
ブロンズの仏像(17世紀・ラーンサーン様式)。親族同士が戦うのをやめることを願って造られたそうです。
そして、中央の仏塔へ。
仏塔は四角い塀で囲まれていて、内側に小仏塔が並んでいます。各辺にひとつずつ、礼拝堂が造られています。
礼拝堂です。この階段を上がり、仏塔のすぐ近くまで行って、祈りを捧げることができます。
ここから先は撮影禁止なので、写真がありませんが…、
代わりに、仏塔のアップを。^^ 仏塔の左側に見えているのは、堂宇です。
タート・ルアンは、あともう少し続きます。
(つづく)


















