MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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3人で横浜中華街① - 朝陽門から善隣門へ(2019年6月1日)

2019年6月1日 横浜中華街・崎陽軒のシウマイBARで。


6月1日


東京都障害者スポーツ大会で、
長男の雄姿を見た後、
長男とお別れして、
次の場所へと向かいました。


銀メダルだよ!


夫、長女と3人で向かったのは、
横浜中華街。
子どもたちが小さいころに
家族ででかけた記憶があるので、
中華街に来るのは、
20年ぶりくらいかもしれません。


とある中華レストランで、
夕食を予約してあったのですが、
予約時間までに一時間ほどあったので、
少し歩いてみることにしました。


朝陽門から入りました。
横浜中華街の東門にあたるのが、朝陽門(ちょうようもん)です。横浜中華街には現在、大小10基の牌楼(ぱいろう=門)がありますが、そのひとつが朝陽門です。東西南北には「春夏秋冬」、「朝昼暮夜」という陰陽五行に基づく色である「青赤白黒」が当てられ、朝陽門は青色の門柱、屋根が付いています。

MIYOは、痛む左手を右手で支えています。実は、ここに来る前にまたもや転倒し、左手をひねりました。結局、このあと約一か月、左手を三角巾で吊って過ごすことに(苦笑)。この半年前にも、転んで右足を骨折したばかり。転んでばかりで、情けない…。


20年もたつと、
中華街も様変わりしていて、
派手なお店が並んでいるので、
びっくりしました。^^
昔よりもずっとにぎやかで、
おもしろい街になっていました。


ずうっと、中国語のお店が続いています。楽し~い。^^ すごい人ですが、これは一年前。コロナ禍の今、中華街の人出は、どうなっていることでしょうか。

崎陽軒の「シウマイBAR」がありました。

通りの反対側には、北京ダックのお店。一巻250円。さらにその隣りは、ベトナム・エッグコーヒーのお店です。

歩いても歩いても、中華のお店。笑

食べたいけど、このあと夕食を予約してあるので、ぐっと我慢しました。^^

お土産物屋さんもたくさんあります。

黄金ふかひれスープマンの人形。お顔は小籠包です。笑

横浜博覧館。巨大なお土産物センターです。

朝陽門から入って、通りをまっすぐ歩き続けると、最後に、善隣門に行きあたります。
中華街大通り入口にある牌楼(ぱいろう)の善隣門(ぜんりんもん)は、横浜中華街のシンボルです。初代の善隣門が建てられたのは昭和30年2月で、それまで中華街は「南京町」と呼ばれていました。この善隣門、表側に「中華街」と記されたことにより、中華街の呼び名が定着しました。

善隣門は、建設当初は「牌楼門」と呼ばれていました。が、昭和64年に現在の姿にリニューアルされ、平和を願い隣国や隣人と仲良くするという意味の「親仁善隣」という言葉が掲げられました。以来、善隣門と呼ばれています。この言葉は、中国・春秋時代の歴史書『春秋左氏伝』の一節「親仁善鄰、國之寶也」(「仁に親しみ隣に善(よ)くするは、国の宝なり」)に由来しています。
「親仁善隣」は、今では、「横浜中華街の大陸(中国)系と台湾系の華僑同士の対立から協調へ」、さらには、「新華僑と老舗店舗との対立から連携へ」という歴史を背景に、中華街の合言葉のようにもなっているそうです。


朝陽門から善隣門までを、
急ぎ足で歩いてみました。
でも、遊びすぎて、
夕食の予約時間に遅れそうです。
あわてて、レストランへと向かいました。


(つづく)

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