MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 55 - アンコールトム⑧ バイヨン・第二層から第三層へ(2024年1月17日/6日め)

2010年7月26日 バイヨン・第二層で。(長男と長女・14歳/中3))


1月17日(日)- 6日め


アンコールトムの、
第二層(第二回廊)を歩いています。
今回の旅では立ち入り禁止になっていたので、
ここから先は、
2010年に訪れたときの写真を掲載いたします。


後ろの四面塔に、観音菩薩が見えます。


観音菩薩は、人々の音(声)を観て(聞いて)、
その苦悩から慈悲を持って救済する菩薩様です。
したがって、
「人々の悩みに応じて、千変万化の相となる」
とされています。
ここバイヨンでは、約200の観音菩薩が、
穏やかな微笑を見せていて、
それを「バイヨンの微笑」と呼ぶそうです。
そのどれをとっても、同じものはありません。
その微笑は、見る人の心に応じて、
少しずつ変わって見えるのかもしれません。


建設当時は、美しく彩られた仏塔の四面に、穏やかな微笑の観世音菩薩が浮かび上がっていたと思われます。

この観世音菩薩の顔や表情は、バイヨンを建立したジャヤバルマン7世がモデルになっていると言われています。

このときの長女は中学3年生。中学生でこんなところまで、親に連れてこられたのが影響したのか?😅、現在の長女は、「ラーマーヤナ」が大好きという、不思議なムスメになりました。

長女の隣りには、デバターと兵士の像が見えます。デバター像は、第二層に入ると、より増えてきます。

兵士(左)とデバター(右)です。

みなさん、ウエストのくびれがすごい。😄

ここにも連子窓が見えますが、これは見せかけの窓。連子の後ろは壁になっています。

遺跡を歩いても、長男には見ることができないので、親につきあわせて申し訳なかったなあ、と今も思います。

ただでさえデコボコしている石畳。そのうえ雨で濡れています。長男が転ばないよう、気を遣いました。それでも長男は、最後まできげんよく歩いてくれました。😄

第二回廊と、そこにそびえる四面塔。

観音菩薩がごろごろ並んでいます。笑 

その表情は、歩くごとに、そして見る角度によって、違って見えます。(←気のせいですが。😅)

2010年に訪れたときは、こんなに近くから、バイヨンの微笑を見ることができました。その四面塔を下で支えているのは、ガルーダでしょうか。

遠くにも近くにも、観音菩薩。バイヨンの微笑だらけです。

優し気な菩薩さまの微笑に囲まれながら、さらに歩きました。

寺院内には、200もの菩薩様が彫られているそうです。林立する「バイヨンの微笑」に囲まれて歩くのが、アンコールトムの醍醐味です。


第二層から第三層に向かって、
さらに歩きます。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 54 - アンコールトム⑦ バイヨン・第二回廊(祈る人々)(2024年1月17日/6日め)

2010年7月26日 バイヨン・第二回廊で。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


第二層(第二回廊)に入りました。
ここには16の塔があり、どの塔にも、
観音菩薩と思われる四面像が彫られています。
この回廊のレリーフには、
ヒンドゥー教色の強いデザインが見られます。


祠堂の4面に掘られている(四面像)、観音菩薩。

観音菩薩の笑顔に引き込まれるようです。

出入り口の上に並ぶ、仏像のレリーフです。

第二回廊の、屋根が残っている部分です。ここは修復中のようです。アンコールトムの修復は、日本政府(JASA)の支援事業として、現在も進行中です。

ご覧いただきたいのは、どこにいても目に入っていしまう、観音菩薩像たち。

どの顔も、慈愛に満ちていてすばらしい。^^

祠堂の下の部分です。現在も、祠になっていることが多いです。

第二回廊のアプサラたち。


さて。
今回の旅で、
私たちが訪れたアンコールトムの写真は、
ここでぷつりと終わっています。
本来なら、
第一回廊(第一層)と第二回廊(第二層)
を経て、中央祠堂がある第三層へと
向かうことができます。
しかしここでいきどまりになっていて、
先に進むことができませんでした。
修復工事のため、2020年1月から、
立ち入り禁止になっているそうです。


残念でしたが、
でも、それほど落胆はしませんでした。
なぜなら、2010年の家族旅行で、
私たちは、中央祠堂まで歩いているからです。


なので、この先の部分は、
2010年に訪れたときの写真を
掲載させていただきます。


14年前の家族旅行。アンコールトムの入口です。(2010年7月26日 長男と長女・14歳/中3)

入口を入ってすぐのところに、経蔵があります。日本政府(JASA)の支援事業により、現在は修復が完了しています。

第一回廊です。

後ろに見えているのは、第二回廊と祠堂。

雨に濡れた観音菩薩は、なにか重みを増しているような気がします。

深みのある緑。晴れた日のアンコールトムとは、雰囲気が変わりますね。

祠堂の中には、仏様が祀られていて…、

現在も、地元の方々がお参りに来られます。

この、祠堂の窓から外をのぞくと…、

観音菩薩の顔が、こんなに近くに見えます。^^

ちなみに、祠堂の中から上を見上げると、こんなふうになっています。

石柱には、やはりレリーフが残されています。

蓮の花の上で踊る、アプサラたちです。

さらに歩きます。


第二回廊(外回廊)は、
約160メートル×120メートル。
けっこうな広さです。


石畳みが雨に濡れているので、
長男が滑らないように、
手引きしながら、注意深く歩きました。
長男も、最後までいやがることなく、
MIYOといっしょに、元気に歩いてくれました。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 53 - アンコールトム⑥ バイヨン・第一回廊から第二回廊へ(2024年1月17日/6日め)

2024年1月17日 バイヨン・第一回廊で。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


アンコールトムの第一回廊を抜けて、
次は、第二回廊に入ります。


MIYOの後ろにあるのは第一回廊。第二回廊は、さらにこの奥にあります。

第一回廊の内側には、たくさんの石が積まれていました。かつて、アンコールトムの一部であったものですが、もうたくさんありすぎて、どこに戻せばいいのかわからない状態なのかな…。

第二回廊へと続く階段です。第二回廊の後ろには、さらに49塔の祠堂が控えていて、それぞれ、4面に観音菩薩が彫られています。すごい迫力です。

階段はひとつではなく、ほかにもあります。でもすぐに中に入らず、このエリアをウロウロと歩き回る、私たち。笑

このあたりは、屋根もしっかりと残っています。かつては、第一回廊にも同じように屋根があったのだと思います。

第二回廊の柱にも、アプサラが彫られていました。

あちこちに、アプサラの姿が見えます。

小さいですが、わかりますでしょうか。


ここで夫、第一回廊と第二回廊のあいだの
テラスをウロウロして、
狂ったように、写真を撮りまくっています。🤣
ここから見える祠堂がすごすぎて、
すんなりと第二回廊に入れないんですね。笑


だってこうですよ。

目の前でこんなのが見えてるのに、そのままあっさりと進めないじゃないですか。笑

49塔の祠堂に、もれなくついている、観音菩薩。

夫、ひたすら歩き、夢中で撮りまくっていました。

同じような写真が、長々続いてスミマセン。😅

歩いても、歩いても…、

菩薩さまが、こちらを見ているような気がします。(←気のせい😄)

さて。夫、ようやく気がすんだようで、中に入るそうです。^^

あわてて、MIYOも中に入ります。笑


次回は、第二回廊の内側に入ります。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 52 - アンコールトム⑤ バイヨン・第一回廊(水上戦と凱旋の祝宴)(2024年1月17日/6日め)

2024年1月17日 バイヨン・第一回廊で。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


バイヨンの第一回廊を歩いています。


クメール軍とチャンパ軍です。水上での激しい戦いが描かれています。

チャンパ兵を槍で突き殺している、クメール兵。

対峙する、チャンパ兵(左)とクメール兵(右)。

チャンパ軍との戦いに勝利し、凱旋して祝宴を揚げるクメール兵たち。

左から、生地をこねている人、鍋に材料を入れている人、子豚の丸焼きを作っている人、串にたくさんの魚を刺して焼いている人。その後ろには、お酒の入ったカップをトレーに載せて運ぶ人たちも見えます。

お酒や料理を載せたトレーが行き交い、にぎやかな祝宴が催されています。運んでいる人の胸の汗を拭っている人もいて、とてもリアルです。

戦っているのは、どちらもクメール人。これは、クメール人同士の内戦のようすを描いているそうです。

最後は、「ゾウを使った軍隊の戦い」です。

すばらしい壁画の数々でした。

第一回廊をぐるりと歩いてきましたが、

今度は、レリーフが施されている壁の反対側に目を移してみます。ナーガの頭部と胴体を模した手すりがめぐらされています。ここは、バイヨンの正面入口(東塔門)のちょうど反対側で、西塔門になります。

ナーガの頭部。

そしてめぐらされている手すりは、ナーガの胴体。

手前から、ナーガの手すりと、柱が並ぶ第一回廊。そして、その後ろで塔がそびえている部分が、中央祠堂です。

右端に少しだけ、デバター(天女)の像が写っていますが…、

これが、そのデバターです。美しい笑みです。足に着けたアンクレットも、しっかりと残っています。^^

これは14年前、同じ第一回廊で夫が撮ったレリーフ。デバター(左)と兵士(右)です。(2010年7月26日)

そして、どの柱にも、たくさんのアプサラが描かれています。

蓮の花の上で踊るアプサラたちです。


次回は、第二回廊を歩きます。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 51 - アンコールトム④ バイヨン・第一回廊(水上戦とワニに食べられる戦死者)(2024年1月17日/6日め)

2024年1月17日 バイヨン・第一回廊で。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


アンコールトムのバイヨンで、
第一回廊を歩いています。


アンコールワットからここまで、こんなふうに移動しています。


バイヨンには二重の回廊があり、
外側の第1回廊の大きさは、
東西に160m、南北に140m、
内側の第二回廊は、
東西に80m、南北に70mを誇ります。


第一回廊の壁面には、
 当時の庶民の生活と風俗、
 隣国チャンパ軍との激戦のようす
が描かれています。


前日のブログでは、
 チャンパ軍とクメール軍の行進
 中国人の宴会

を見ました。


ここからは、
 チャンパ軍とクメール軍の水上戦
 魚やワニに食べられる、戦死者たち
が描かれています。


これは、トンレサップ湖での戦いを描いています。船を漕ぎ、進軍する、クメールの兵士たち。上部で踊っているように見える人は、全員を統率し、鼓舞しているのでしょうか。

さらに左へと進むと、今度はチャンパ軍の船に乗る兵士たちが登場します。

左側がクメール軍。そして右側はチャンパ軍です。両者の船の間では、激しい戦闘が繰り広げられています。トンレサップ湖での戦いは、クメール軍とチャンパ軍との戦いの歴史の中でも激戦として知られています。この戦いに勝利したことが、チャンパを破る大きなきっかけになったそうです。

水面は、犠牲となった兵士たちで埋め尽くされています。

船の下には、たくさんの死者が漂っているのですが…、

その死骸は、魚やワニに残らず食べつくされてしまいました。


凄惨な戦いのようすが描かれているのですが、
ここでもうひとつ見逃せないのは、
壁画の下の部分で、まるでおまけのように
描かれているレリーフです。
ここには、当時の人々の生活が、
いきいきと描かれているのです。


左から、ノコギリで木を切る人。トラに襲われ、木に登って逃げている人がいますが、解説では、バラモン僧とあります。そして、家の中でくつろいでいるようすも描かれています。

牛の親子と、農作業をする人々。素焼きの壺で煮炊きをしているようすも見えます。

木から大きな実を取って、家の中に運んでいます。パンの実でしょうか。樹液を採っている人も見えます。

なにかの治療をしているところなのでしょうか。


同じ壁画の中で、
上部には激闘のシーンを描き、
下部には、庶民のなにげない日常を
レリーフで残そうとした人の思いにも、
心惹かれるものがあります。


アンコールトムに描かれている、
このようなレリーフは、
当時の人々の生活や文化を知る、
貴重な手がかりとなっているそうです。


激闘を繰り広げる人々の下で描かれ続けている、穏やかな庶民の世界。不思議な構図です。

さらに歩きます。

第一回廊の壁には、延々とレリーフが残されているのですが、ときどきこんなふうに、出入り口が設けられています。

中をのぞいてみました。すると…、

第二回廊が見えました。林立する塔は、全部で49塔。それぞれに、観音菩薩が彫られています。


このまま入っていきたいところですが、
ここは通り抜け禁止。笑


引き続き、クメールとチャンパの戦いを見ながら、回廊を進みました。


(つづく)