MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 49 - 北海道開拓の村㉑(旧秋山家漁家住宅、旧龍雲寺、旧北海中学校)/ ひたち海浜公園はネモフィラが満開(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・出入口となっている、札幌停車場の内部です。ゴールデンカムイの杉本青年、アシリパちゃんといっしょに。(北海道札幌市)


11月6日(土)


漁村群エリアの最後のスポット、
旧秋山家漁家住宅
に来ました。



【旧秋山家漁家住宅】
1920年(大正9年)、苫前郡羽幌町(焼尻島)に建てられました。明治末期に秋田県男鹿半島から移住した秋山嘉七が、ニシン漁で繁栄していた時期に建てた住宅です。この家では、1978年(昭和53年)まで、秋山家の人々が三代にわたり、ニシン刺網漁や磯廻り漁などを続けながら住んでいました。建物は、洋風の棟飾りをもつ、ヨツヤと呼ばれる寄棟造りです。


玄関を入ります。

ひとつめの部屋は、ストーブのある居間になっています。この右側に台所があり…、

左側には、和室が4つ(8畳間がふたつと6畳間がふたつ)。かなり大きい家でした。


【ニシン漁でにぎわった秋山家】
焼尻島の漁民にとって最も重要な漁業はニシン漁でした。秋山家では刺網を使い、ニシンが海岸近くまで押し寄せるといっせいに投網しました。開拓の村では、本格的な漁期に入る前の3月下旬ごろを想定し、漁労の準備に忙しいようすを展示しています。
大正末期、秋山家は2世代10数名の家族でしたが、漁期になれば、郷里の秋田から2、3名の漁夫も出稼ぎに来ていました。この広い家も、大勢の人々でにぎやかだったことでしょう。


物置になっていた土間です。洗濯板といっしょに、ニシンを運ぶもっこが置いてありました。

これで、漁村群エリアのすべてのスポットを見学しました。


山村群エリアにつづいて、
漁村群エリアも制覇です。笑
残り時間は、1時間を切りました。
ここから、市街地群エリアにもどり、
左端の道路添いの建築物を回って行きます。
残る見学スポットは、全部で7つ。
時間との戦いになってきました。😂😂


最後に、もう一度振り返りました。夕陽を浴びた、旧青山家漁家住宅。もっと居たかったなあ…。

夫は、私よりもさらに往生際が悪く、再び青山家漁家住宅に戻って、裏側の写真まで撮っていました。笑 つきあいきれないので、私は夫を置いて歩きます。

そして市街地群エリアに戻ると、いちばん初めに見えるのがコレ。お寺の鐘楼です。

旧龍雲寺です。


【旧龍雲寺】
篠路山龍雲寺は、1886年(明治19年)頃、村民の努力によって、札幌市に創建された浄土宗の寺です。この建物は、1893年(明治26年)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよくあらわしています。正面入り口の向拝(こうはい)部分は、大正年間に増築されました。


つづいて、となりにある、
旧北海中学校に行きました。
開拓の村には、寄宿舎だけでなく、
学校も移築されているのです。


夕闇がせまりつつありますね…。


【旧北海中学校】
1908年(明治41年)から翌年にわたって札幌市に建築された、校舎の本館部分です。北海中学校の創立は1905年(明治38年)で、その前身は、私立北海英語学校。札幌農学校第三期生らが中心となって、1885年(明治18年)に設立されました。外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。


夕暮れが近づいてきていて、あせります。笑

玄関です。

玄関を入ると、左に校長室、右に事務室があります。

突き当りの廊下を左に曲がると、長い廊下が続きます。

右に曲がっても、やはり廊下が続いています。

校長室です。MIYOは、部屋の全体像をなるべく一枚で撮ろうとします。

夫が撮るとこうなります。笑 被写体により近く、物を具体的に撮ろうとするんですね。^^

教室です。私が通った小学校でも、小学校2年生までは、こんな木の机と椅子でした。もっとボロボロで、使いこまれていて、落書きだらけでしたけどね。笑

当時の生徒たちの服装です。


このまま、
通りを直進しながら見学して行けば、
出入り口まで戻ることができます。
帰り道を利用しながら、
閉館時間ぎりぎりまで見学を続ける、
という目論見です。



残り時間は45分。
あと5つです。
がんばります。


(つづく)


(おまけのお話)


今朝のニュースで、
「ひたち海浜公園のネモフィラが満開です。」
と言うのを聞き、
昨年のことをなつかしく思い出しました。



今週の週末は、
すばらしい光景が見られるかと思います。
お近くの方、おススメですよ。^^


昨年のブログに掲載しきれなかった写真です。ネモフィラの向こうに、少しだけ海が見えるのがおわかりでしょうか。空と海とネモフィラが一体となり、一面が青の世界でした。(2021年4月23日 ひたち海浜公園)

愛らしい、ネモフィラの花です。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 48 - 北海道開拓の村⑳(旧青山家漁家住宅③網倉、海産干場、外便所、廊下、旧土谷家はねだし)/ とんでんで、よい夫婦の日(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧青山家漁家住宅から「廊下」へ。時間がないので、走って移動しています。笑(北海道札幌市)


11月6日(土)


旧青山家漁家住宅に来ています。
一群の建造物を見て歩き、
6軒めは網倉です。


2階建ての網倉。その奥に少しだけ見えている柵のようなものは、海産干場です。


【網倉】
出張漁場があった祝津の豊井地区から移築したものです。網を補完する倉で、1階と2階に分かれています。1階には、漁期が終わった後の網漁具を、解体、修理、乾燥した後に格納しました。2階には、未使用の網地やロープ、縄類などを収納していました。
網倉は、漁場では最も火気に注意した建物でした。そして、火事の際の類焼を避けるために、通常は、他の建物から離して建てられました。また、高床式の構造は、通風を良くして湿気を避けるほか、ネズミの害を予防する目的がありました。


中に入ります。だいぶ、陽が傾いてきましたね。

網倉の隣りにある、海産干場です。

海岸に見立てた庭には、作業場も再現されていました。中央に見えているのはかまどで、ここに大釜を載せ、鰊を茹でました。さいころ型のものは、鰊粕や鰊油製造に使われた圧搾機です。てこを利用した構造で油を搾り、搾りかすは乾燥させて鰊粕にしました。

そして、7つめの建物は、外便所です。


これで、旧青山家漁家住宅の、
7つの建造物を、すべて見終わりました。
次は、旧青山家漁家住宅の隣りにある、
「廊下」というところに行きます。


ほんとうに広かった、旧青山家漁家住宅。

その隣りの、この建物が廊下です。


【廊下】
陸揚げした鰊を、一時的に収蔵するための施設です。漁期後は、船・櫓(ろ)・櫂(かい)などの大型の漁労具や加工用具を収納する倉として利用されました。壁の落し板構造は、魚の搬入や建物の周囲で行われた「鰊つぶし」という加工作業に便利なように工夫されたものです。


廊下の内部です。枠船が格納されていました。


【枠船】
ニシン建網漁では、大量に漁獲した魚を、枠船に吊り下げた枠網によって、海岸近くまで運搬しました。この漁法は、安政年間(1854年~1860年)に積丹半島の東岸で考案され、以後、本道沿岸でのニシン漁が終わる昭和30年頃まで続けられてきました。「枠船」「枠網」の名称は、当初、船の代わりに木枠を利用したことによります。


手前の船は、明治44年、奥の船は大正13年に建造された枠船で、高島郡祝津村(現在の小樽市祝津)沿岸で使用されたものです。

旧青山家漁家住宅、廊下と歩き、次は海にみたてた池にせり出して立っている、土谷家はねだしに行きました。

左側が土谷家はねだしです。海岸にせりだすように建てられています。右に見えているのは、さきほど見学してきた旧青山家漁家住宅です。海岸線に垂直に建てる、という独特の形状だったので、海からは一軒の家のように見えます。


【旧土谷家はねだし】
1887年(明治20年)に、爾志郡熊石町(現・二海群八雲町)で、ニシン漁家土谷家の倉庫として建てられました。漁具、漁穫物、魚粕・身欠鰊・数の子などの加工品を収納するために使用されました。
「はねだし」とは、鰊漁家の付属施設として建てられた倉のことをいいます。海岸の地形に合わせて、海側へ跳ね出す形で建てられたので、この名がついています。床には開口部が設けられており、そこから直接荷物の出し入れを行うこともできました。


床下に舟がつないでありました。

反対側から見るとこんな感じです。


先週、函館に行ってきましたが、
その際、江差まで足を伸ばしました。
そこで、たくさんの古民家が、
海岸にせりだして建てられているのを見ました。
まさしく、この「はねだし」と同じ家屋が
並んでいる光景は、感動的でした。
その江差から、旧土谷家はねだしがあった
二海群八雲町までは、
車でわずか一時間半の距離です。



かつて、北海道がニシン漁でにぎわっていた頃、
「はねだし」の家屋は、八雲町から江差町まで、
このあたり一帯に広がっていたのかもしれません。
その光景を想像すると、
なんだかわくわくしてきました。


明治10年ごろの江差市街。海岸沿いにはねだし建築が連なっています。(2022年4月16日 江差で展示写真を撮影)

ニシンを大量に獲った船が着くと、はねだしの前は、漁民で沸き返りました。到着したニシンは、そのまま、はねだし部分から家屋内に運ばれました。(2022年4月16日 江差で展示写真を撮影)

江差で代表的なはねだし家屋である、旧中村家住宅です。今でも往時の佇まいを残しています。床下がはねだしになっているのをご覧ください。当時、このあたりは海岸だったはずですが、現在はすっかり埋め立てられて、閑静な住宅街になっていました。(2022年4月16日 北海道檜山郡江差町)


【旧中村家住宅】
1889年ごろ、近江商人の大橋宇兵衛が建て、大正初期に中村米吉が譲り受けたものです。1971年(昭和46年)に国の重要文化財に指定されました。


100年以上の時を経て、
開拓の村はもちろん、北海道の各地で、
貴重な遺産がたいせつに残されています。
地元の方々の尽力に、頭が下がる思いです。


(つづく)


(おまけのお話)


北海道が好きな私たちは、
ファミレス「とんでん」がお気に入りです。
北海道の食材をふんだんに使っていて、
おいしいし、サービス企画が多いので、
1,2か月に一回はでかけています。


4月22日~24日は、「よい夫婦の日」というキャンペーンが開催されました。


「22日は、おいしいものを食べて、
 夫婦で語らってください。」
ということで、
「かたらい」という二人分のセットが4122円。
ちなみに、夫婦でなくても、
友人同士でもOKだったみたいです。笑
ということで、私たちも、
(よい夫婦ではありませんが)行ってきました。


どーーーん、とお膳がふたつ並んで、度肝を抜かれました。🤣(2022年4月23日)

左側は、お蕎麦、天ぷら、握り寿司、味噌汁、茶碗蒸し。数の子昆布がおいしかったです!^^

右側は、お刺身、だし巻き卵、サーモンのマリネ、いくらおろし、油淋鶏ザンギ、白玉あずき。

ソフトドリンクも付いています。そして、お土産に、とんでんオリジナルの「とうもろこしノンオイルドレッシング200ml(500円)」もいただきました。


全部で4122円でしたが、
スタンプカードがたまっていたので、
300円引き。
さらに、ぐるなびポイント200Pも利用して、
3622円になりました。
ドリンクとドレッシングもいただいたので、
実質3000円以下になったと思います。
おいしくて、オトクなセットでした。^^


毎月第3水曜日は、とんでんのサービスデーで、
当日限定のメニューがオトクにいただけます。
そして22日は、「夫婦の日」で、
やはり限定メニューがあります。
もしもお近くにあれば、おススメです。
事前にぐるなびで予約して行けば、
ぐるなびポイントがもらえてさらにオトクです。^^

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 47 - 北海道開拓の村⑲(旧青山家漁家住宅②文庫倉、石倉、板倉、米倉)/ Coke Onペイと今月のネイル(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・漁村群エリアで。7棟の建物が並ぶ旧青山家漁家住宅は、とにかくでかかった。笑(北海道札幌市)


11月6日(土)


旧青山家漁家住宅の母屋(番屋)は、
2014年のNHK連続テレビ小説「マッサン」で、
ロケ地となりました。


母屋(番屋)です。「マッサン」では、漁師の網元・森野熊虎(風間杜夫)が建てた鰊御殿として登場します。

その母屋の左に、4つの蔵が続いています。これを、一つずつ見て行きます。

母屋のすぐ隣にある、文庫倉です。


【文庫倉】
上等な家具、調度、日常使用しない衣類、予備の寝具、祭礼用具、書籍、その他、漁場経営の記録資料など、漁家にとって重要な家財を収納していた建物です。
この建物は「土蔵」とも呼ばれ、外壁や入り口の扉は土塗りで、漆喰仕上げとなっています。解体時、屋根構造の部分に焦げ跡が認められましたが、これは、1919年(大正8年)に母屋が消失したときのものと考えられています。


2階建てになっています。

天井まで、お宝がびっしりと積まれています。これはMIYOが撮りました。

こちらは、夫が撮った写真。やはり、MIYOよりも被写体に近いですね。笑

文庫倉の隣りにある、石倉です。


【石倉】
大正時代、酒倉のほか文庫倉の一部として使用していましたが、後に、船具や漁具なども収納しました。
漁場では、網おろしや漁場切揚げに使用され、さらには、「廊下洗い」と称してにしん加工作業が一段落した際に、漁夫に酒がふるまわれる場となりました。そのため、この倉は、漁場全体の酒倉となり、最盛期には20~30の酒樽が収納されていたそうです。
倉の内部は左右に分かれており、現在、右側の一番倉には、親方の日常生活用具、左側の二番倉には、酒樽や食生活用具を展示しています。


右側の一番倉。親方の日常生活用具を展示しています。

左側の二番倉。酒樽や食生活用具を展示しています。

右奥の母屋から、文庫倉、石倉と並んでいます。下の写真でいちばん手前に写っているのが、板倉です。

板倉です。


【板倉】
「雑倉」とも呼ばれ、内部は右側から、味噌倉、漬物倉、雑倉の3つに仕切られていました。
味噌は、大正時代には数俵の大豆を大釜で煮たのち臼でつき、3年間ほど熟成させてから使用しました。漬物には、水漬け、糠漬け、すし鰊などがあり、元場のほか出張(でばり)漁場も含めた数百人の漁夫の分もここで準備していました。雑倉には、鰊釜や錨など大型の漁具や製造加工具のほか、薪なども収納されていました。


たくさんのもっこが並んでいます。この中ににしんを満載し、背負って運びました。

この四角い器具はシメ胴と言い、ニシンの油を搾るための装置でした。この中にニシンを入れて、シメ具にかけて搾りました。

そしていちばん左端にある、米倉です。(画像をお借りしました)


【米倉】
大正時代の青山家は、小樽や雄冬沿岸に18か統の建網を経営していました。建網1か統の漁夫は25~30名で、1日に消費する米は約3斗(約45キロ)でした。これらの漁場で働く漁夫の食糧を調達するため、青山家では旭川近郊の比布村に129町歩(約128ヘクタール)の小作農場を持ち、そこから上がる年1200俵(約72トン)ほどの小作米を、この米倉に収納していました。


毎日、600人の漁夫に食べさせるための米を貯蔵していたと…。そのための農場まで所有していたとは、驚くばかりです。


これで、母屋から横に立ち並ぶ、
5棟の見学が終わりました。
あとふたつです。


(つづく)


(おまけのお話)


Coke On の、オトクなキャンペーンのお話です。


ふだん、自販機で購入することは
ほとんどないのですが、
この北海道旅行の間に、
自販機しかない場所に行ってしまいました。
しかたなく、自販機から購入したのですが、
そのときに、
「自販機の飲料がスマホで買える。
 今ならキャンペーン中で100円戻ります。」
と書いてあるのを発見。
オトクなことは、見過ごせません。笑
ヒマだったので、試してみました。


まずは、Coke On というアプリをインストール。
コカ・コーラの自販機でドリンクを選び、
ラインペイで支払いました。
すると、キャンペーン中ということで、
100円(100ラインポイント)が戻ってきました。


Coke Onアプリが使える自販機には、こんなのが付いています。


東京に戻ってからは、
アプリのことはすっかり忘れていたのですが、
現在、新たなキャンペーン中です。
「100円以上のコカ・コーラ製品を購入すると、
 毎週一回、100円相当が戻ってくる。」
のだそうです。
詳細はこちらです。
https://c.cocacola.co.jp/app/pay/2022_payfes_spring/
そこで、買ってみました。


「やかんの麦茶600ml 120円」を、ペイペイで購入。スマホをかざすだけでドリンクが出てくるって、すごい時代ですね。笑(2022年4月14日)

購入した瞬間に、ペイペイから100ポイントが戻ってきました。笑

一週間後、ネイルサロンの帰りに、今度はCOSTA COFFEEをd払いで。後日、100ポイント(dポイント)が付与されるそうです。あっ ネイルの色が、COSTA COFFEEと同じでした。笑(2022年4月20日)


COSTA COFFEEは、270mlで170円。
以前から飲んでみたかったのですが、
ちょっとお高いので、躊躇していました。
でも、100円戻ってくるし、
いい機会だと思って、買ってみました。笑
期待を裏切らず、おいしかったです!^^


キャンペーンは5月1日までです。
私は、来週も買います!笑


今月のネイルです。COSTA COFFEEの色ですよね。笑(2022年4月20日 新大久保・Blancで)

マグネットネイルというものだそうで、見る角度によって、光沢や色が変化します。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 46 - 北海道開拓の村⑱(旧青山家漁家住宅①母屋)/ 山口かほるさんの個展(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・漁村群エリアです。(北海道札幌市)


11月6日(土)


漁村群エリアに到着しました。
このエリアには、
海辺をイメージした池がつくられていて、
漁家の住宅が再現されています。


海にみたてた池がある、漁村群エリアです。


ここは、私たちが、
最も見たいと思っていたエリアでした。
まずは、旧青山家漁家住宅に行きます。


小樽の祝津にしん漁の三大網元と言われた、
青山家、白鳥家、茨木家のひとつである、
青山家の家屋が移設されたものです。


旧青山家漁家住宅です。家屋の外観が、これまでに見たどの家屋とも違っています。


【旧青山家漁家住宅とその配置】
青山家は山形県出身で、小樽沿岸でニシン建網を経営した漁家でした。建網とは、塀のように海の中に定置網を建て、囲われた網の中へ魚を追い込んで獲る漁法です。青山家元場(本拠地)には、10数棟の建物が存在しましたが、ここには、そのうちの7棟(母屋、文庫倉、石倉、板倉、米倉、網倉、外便所)が移築されています。このほかには、水揚げした鰊を収納した廊下、粕蔵、船倉などがありました。建物の前には、作業場や干し場とするための、広い庭が設けられています。鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つとなっています。

一群の建造物のうち、網倉を除いた各棟の配置は創建当時のままであり、日本海沿岸に一般的に見られた鰊漁場の景観に比べると特異なものとなっています。
海を模した池の浜から少し上がった平地に、海岸線に対して垂直方向に一直線に並べて建てられているのは、創建当時の配置を再現しているからです。これは、狭い土地を一定の間数で地割りした、江戸時代末期以来の土地の利用形態によるものです。


まずは母屋を見学します。1919年(大正8年)年に建てられました。

大きな寄棟屋根の建物で、てっぺんに望楼のようなものが載っています。窓の上から軒裏までは漆喰で塗り込めてあります。

入口が二つ並んでいます。左側は、むくりのついた切妻型の入口ひさしで、ヤン衆(漁夫)たちが出入りする番屋の入口でした。右側は、反った千鳥破風の入母屋型の入口ひさしで、親方の住まいの玄関です。

左側の玄関から入ります。「青山留吉」「衛生組合 組長 青山政吉」とあります。


【青山留吉】
1836年(天保7年)、山形県の貧しい家で、第6子として生まれました。1859年(安政6年)、24歳の時に、北海道の漁場に1人で渡りました。

はじめは、後志国高島郡祝津村(小樽市祝津)で雇漁夫として働きましたが、約1年後に、小規模ながら同地にて漁場を開きます。そして明治期の積丹半島を中心に、漁場を次々と拡大しました。やがて青山家は、漁場15ヶ統余り、漁船130隻、使用人300人余を擁する道内有数の漁業家に成長します。
財を成した留吉は、故郷の山形県に、青山本邸を建設しました。後には田地250町余りを所有する大地主となり、一時は村税の8割を納めていたといいます。
漁業一筋48年の後、1908年(明治41年)、留吉は、北海道の漁場を養子の政吉に譲り、山形県に隠居しました。当時73歳でした。晩年は山形県で過ごしましたが、1916年(大正5年)、山形と北海道の両青山家の隆盛を見守りながら、81歳で、波乱万丈の生涯を閉じました。


この、「青山」という名前に、
聞き覚えがありました。
小樽で訪ねた、
「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」
です。


にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 39 - 小樽市総合博物館本館から「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)①」へ(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 41 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)③/テレカ寄付のお礼とお願い(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


帰宅後に調べてみたところ、
やはり、主は同じ人物「青山留吉」でした。
青山留吉が、にしん漁で財を成し、
故郷の山形に「青山本邸」を建てて
隠居します。


2代目留吉(青山政吉)の娘・政恵は、
山形の祖父(初代留吉)の家に遊びに行き、
青山本邸の見事さに魅了されました。
「あんな家を建てて住みたい。」という
政恵の願いを聞き入れて、
父である2代目留吉が建てたのが、
小樽の「青山別邸」だったのです。


 ああ、そうか。
 だから、小樽のあの豪華なお邸は、
 「別邸」という名前だったのだ…。


と、初めてわかりました。
青山家につながるお屋敷は3軒ある、
ということになります。
 ①青山家漁家住宅(初代留吉が小樽に建築。
  その後、開拓の村に移築。)
 ②青山本邸(初代留吉が山形に建築。)
 ③青山別邸(2代目留吉が小樽に建築。)
ですね。
(こうなったら、山形の「青山本邸」にも、
 ぜひ、行ってみたいところです。^^)


つまり、今、私たちの目の前にあるのが、
①の青山家漁家住宅なのです。
初代青山留吉が、人生で最も活躍し、
ニシン漁で莫大な財産を築いていたころに、
漁家の生業(なりわい)を行いながら、
住まいとしていたところです。


玄関を入ると、広い板の間が広がっていました。小さな武道場のような広さです。

ここで、ヤン衆(漁夫)たちが生活していました。

壁際には、漁夫が寝泊まりするための「ネダイ」が巡らされています。ここは畳敷きになっていて、夜はここに布団を敷いて寝ました。ここでもやはり、ひとり分のスペースは一畳くらいのようです。

反対側の棚には、食器や台所用具を収納しています。

階段を上がったところは、物置のようです。今で言うロフトのような造りですね。

台所です。

続いて、この母屋の右半分のエリア(親方の住まい)です。障子の奥に見えているのは、母屋の左半分で、上の写真でご紹介した、ヤン衆(漁夫)たちの生活スペースです。

帳場です。

仏壇の横に飾ってあるのは、青山政吉(2代目留吉)の写真です。

神棚の隣りには、初代・青山留吉の写真がありました。

ここは、家族の生活スペースだったようです。


さて。
青山家の話が長くなりましたが…。笑


あと一時間半しかないというのに、
旧青山家漁家住宅、7棟もあるんだそうです。
つまり、見学スポットが、
7つもあるってことですね…。
はぁ…。


「一番初めに、まずはここから、
 見学を始めればよかったんだよな…。」
などと、夫も嘆いていますが、
いまさら、手遅れです。


ずっと見たいと思っていた、
旧青山家漁家住宅
本当は、
ヤン衆(漁夫)たちが寝起きしていた場所に、
30分くらい、ただ座って過ごしたい。
そんな気持ちでしたが、時間がありません。
やむを得ず、先を急ぎます。


(つづく)


(お知らせ)


山口かほるさんから、個展の案内状をいただきました。
コート・ギャラリー国立で、5月26日から31日です(無料)。

【山口 かほる】
1950年5月生まれ。
生後3ヶ月で脳性マヒと診断される。
10歳の時に兄嫁から絵を習い、口で描くことを始めた。
14歳で入所した施設では、4時に起き、両手が使えないから、時間をかけて朝食を自分で食べ、学校へ行った。やがて宗教に出会い、心の救いと友人を得、忍耐を学んだ。
絵画は、16年間研究所に通い、学習を重ねた。初めは口で描いたが、長年酷使した体のためにとの助言に沿い、現在は足で描いている。個展の開催多数。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 45 - 北海道開拓の村⑰(旧廣瀬写真館、旧札幌拓殖倉庫)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧廣瀬写真館の待合室です。(北海道札幌市)


函館から戻りました。またよろしくお願いいたします。
坂の多い函館の街を歩き回り、毎日、海鮮丼をいただきました。笑

今回は、かねてから行きたかった、江刺、松前まで足を伸ばしました。
北海道南端の地では、強風に吹き飛ばされそうになり、荒波の激しさに驚きました。笑
帰ってきたばかりですが、早くも次の訪問を心待ちにしています。😅


11月6日(土)


山村群エリア内で、全スポットの見学を終え、
ふたたび、市街地群エリアに戻ってきました。


違い地群エリアを走る3本の道路で、右端の道路を歩きながら、見学を続けます。

旧廣瀬写真館です。

ゴールデンカムイ第124話では、こんなふうに描かれています。そっくりですね。^^(画像をお借りしました)


【旧広瀬写真館】
大正末期(1920年代)から1958年(昭和33年)まで、岩見沢市街で営業した写真館を再現しました。外観は洋風ですが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物です。撮影には自然光を用いたため、写場を2階に設けました。北側の屋根は斜めのガラス張りになっており、これはシングルスラントと呼ばれました。磨りガラスが下見張りのように重ねて葺かれており、拡散光が写場全体に行き渡ります。白と黒の天幕(多段カーテン)は、傾斜したガラス窓に沿って開閉できるようになっており、これをスライドさせることによって光量を調整しました。このほかにも、光量の調節のために、反射板や調光器を用いていたようです。


左側面から見ると、こんな感じです。屋根のソーラーシステムのように見える部分が、シングルスラントです。

玄関を入ってすぐの部屋は、受付になっていました。

続いて、家族の居間や台所があります。

さらに、8畳の部屋がふたつ。

いちばん奥がトイレです。白い花と果実が描かれています。当時のトイレでは、形や柄が、訪れる家ごとに違っているので、つい撮ってしまいます。😅

2階に上がります。

写場です。

北側は、斜めの屋根がガラス張りになっています。これが、シングルスラントです。


【シングルスラント】
ななめに取り付けられたガラス屋根のことです。磨りガラスが下見張りのように重ねられて葺かれています。これにより、拡散光が写場全体に行き渡りました。傾斜したガラス窓に沿って、白と黒の天幕(多段カーテン)がついています。この天幕をスライドさせて、光量を調整しました。


ゴールデンカムイ第124話には、この写場で撮影しているシーンがでてきます。左上に、シングルスラントの一部が描かれていますね。^^(画像をお借りしました)

フィルムはガラス乾板で、だるま型三脚台座式アンソニーカメラを用いて撮影しました。

2階には、このほかに暗室と待合室がありました。

旧廣瀬写真館を出て、さらに通りを進みます。右奥に見えているのは、第36話でご紹介した、旧武岡商店です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 36 - 北海道開拓の村⑧(旧近藤医院、旧武岡商店)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

旧札幌拓殖倉庫が見えてきました。

旧札幌拓殖倉庫は、第32話でも写真をご紹介しています。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 32 - 北海道開拓の村④(体験学習棟、旧札幌拓殖倉庫、旧山本消防組番屋、旧若狭家たたみ蔵、開拓の村食堂)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


このときは前を通っただけでしたが、
今回は、内部を歩いてみました。


「拓殖」とは、未開の荒れ地を切り開いてそこに住みつくという意味だそうです。


【旧札幌拓殖倉庫】
札幌軟石を使用した倉庫です。1907年(明治40年)に札幌駅の北側に建てられ、5年後、五十嵐倉庫合名会社から札幌拓殖倉庫株式会社に引きつがれました。この建物は、札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。梁間5間、桁行27間、面積135坪の木骨石造でした。開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献しました。昭和56年、その敷地が鉄道高架用地として買収されることとなり、開拓の村に移築復元されました。


細長い通路沿いに、倉庫が並んでいます。

中には、北海道で使用された農機具が展示されていました。

北海道の農業開拓が組織的・計画的に行われるようになるのは、明治後期からですが、当初は鍬・鋤のような在来農具によって開墾、耕作が行われました。一方、開拓使は、欧米の畑作品種や家畜、畜力農機具を導入した欧米農法の定着に取り組みました。これにより、ブラウ、ハローなどのさまざまな農機具が輸入されました。

正面上部には、開拓使の旗印である「北辰旗」の「五陵星」が」刻まれていました。


これで、右端の通り沿いの見学を終えました。
このまま一気に走り、
いよいよ、手つかずだった漁村群エリア
突入します。


あと一時間半。
とにかく、行けるとこまで行きます。


(つづく)


(おまけのお話)


「ゴールデンカムイ」をネットで見ています。


4月28日まで、全313話を、無料で読むことができます。


読んでいると、あちこちの場面で、
北海道開拓の村の風景が
使われているのがわかり、
2倍楽しめます。^^


山本理髪店、島歌郵便局
登場しているのを見つけたので、
画像をお借りし、以下の日記に加筆しました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 39 - 北海道開拓の村⑪(旧山本理髪店、旧島歌郵便局、旧札幌警察署南一条巡査派出所) / 銀座「ももてなし家」で、再びキャンペーン中。(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


当時の情景を忠実に再現している、
ゴールデンカムイ。
ストーリーも、とてもおもしろいです。
写真とアニメを見比べながら、
楽しんで頂けたらうれしいです。


(つづく)