MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたんのGW日記 2 - パセラ池袋西口店で家族カラオケ(2022年4月30日/2日め)

2022年4月30日 パセラ池袋西口店で。(のんたんとあみちゃん 26歳)


4月30日(土)


長男が帰宅した翌日です。
早速、家族全員でおでかけしました。
行き先はもちろん、「パセラ」。笑


もうね。昨日から、私に会うなり、
「パセラ!」
って、長男、これしかないんですよ。😅
しょうがないので、行ってきました。
(たぶん、帰宅しているあいだに、
 もう一回は行くことになると思いますが。笑)


今回でかけたのは、パセラ池袋西口店。
パセラにはよく行くのですが、
いつも利用するのは上野のパセラで、
ここは、初めて行くお店です。
池袋まででかけた理由は、
このお店のモニターに当選したからです。
(利用後、モニターレポートを提出すると、
 謝礼がもらえます。)


ということで、パセラ池袋西口店です。池袋に行くのは、3年ぶりです。コロナが始まってから、一度も行っていなかったので。

長男、早速歌っています。このうれしそうな顔。笑

始めは夫の隣りに座らせたのですが、自分で移動して、結局MIYOの隣りに来てしまいました。やっぱり、私の隣りがいいらしいです。笑

この不思議な歌は、長女が歌っています。笑

全部で4人ですが、10人用の広いお部屋だったので、ゆったり座れました。

長男、とってもうれしそう。最近、沖縄の島歌にかぶれているMIYOといっしょに、この日は「童神」を何度も歌ってくれました。^^

この日のお料理です。「シーズンセレクションコース」にしました。まずは、前菜4種盛り合わせです。
 ・つぶ貝とオリーブのマリネ
 ・サワラのカルパッチョ
 ・マカロン ~クリームチーズとハーブ~
 ・鶏レバーと豚肉のテリーヌ

三元豚の冷しゃぶ生春巻き カツオだしのソース。まわりのピンクの粉は、梅風味のお塩でした。

ミニバーガー ~白子のフリットとトリュフ香る4種チーズ~。パセラ名物のミニバーガーです。小さいのがわかるよう、手をいっしょに撮りました。4個並ぶと、かわいらしいんですよ。中はサクサクのフリットで、トリュフもはいっていてびっくりしました。

メイン料理2種盛り合わせ
 ・メカジキのソテー きのこクリームソース
 ・国産牛サーロインのロースト 赤ワインソース

メカジキがふんわりしていて、とてもおいしかったです。

〆のお料理は、6種類から、1人1品ずつ選べます。
 ・ショートパスタを使ったトマトパスタ
 ・ミニガパオ丼2個
 ・プチハニトー チョコバナナ
にしました。どれもミニサイズでかわいらしいです。

ミニガパオ丼。小ぶりのお茶碗ですが、中にぎっしりとつまっていて、けっこうボリュームがありました。

トマトパスタ。オレキエッテが出てくるのはめずらしいですね。

プチハニトー。通常はパン一斤ですが、その1/4くらいのサイズで食べやすかったです。

最後はデザートです。ケーキの盛り合わせかシャーベットを選べます。

ケーキの盛り合わせは、ブルーベリーのショートケーキ、マドレーヌ、ホワイトチョコといちごでした。

そしてシャーベットは、なんと、金粉がかかっていました。笑


以上、コース料理+ソフトドリンクフリーで、
3時間のコースでした。
ひとり4500円で、4人で18000円ですが、
モニターの謝礼を8000円いただけるので、
実質10000円になります。
ひとり2500円で、こんな豪華なお食事を
いただいてしまいました。^^


お部屋は広いし、お料理はおいしいし、
パセラはいつ行ってもはずれがないので、
我が家のお気に入りです。^^


4人で歌いまくった3時間。今日も楽しかったです。^^


お料理があまりにもたくさんあったので、
食べきれず、ステーキは持ち帰りました。
(パセラに行くときは、いつも、
 タッパー持参です。笑)
明日のお昼ごはんは、ステーキです!^^

全盲難聴・のんたんのGW日記 1 - 帰ってきました。/ カナンの充実スペシャルランチ(2022年4月29日/1日め)

2022年4月29日 長男とおうちへ帰ります。雨降りだけど、楽しいね。^^(全盲難聴・のんたん 26歳)


4月29日(金)


ゴールデンウィークです。
日頃、S園で生活している長男も、
この日から帰宅します。


GWは、毎年帰宅して来るのですが、
昨年はなにをしたんだっけ? と思って、
ブログの昨年の部分をチェックしたら、
記録がなにもありません。
どうやら、コロナ状況が悪化し、
帰宅が中止になっていたようです。
わずか一年前のことですが、
そのへん、記憶がすっかり抜けています。😅
ほんと、物忘れがひどくなってきました。


それを思うと、
ブログに書き残しておくというのは、
ほんとうに貴重なことだなあ、と、
つくづく思います。


ということで、昨日(4月29日)は、
S園まで、夫が長男を迎えに行ってきました。
その後は、
Kitchen & Cafe Canaan 
で、待ち合わせて、MIYOもいっしょに、
お昼ごはんをいただきました。


Kitchen & Cafe Canaan (カナン)は、
S園のちかくにある、
カフェレストランです。



このレストランは、障害者の作業所です。
S園と同じ社会福祉法人の就労ホームが
運営しているのですが、
明るくてオシャレな雰囲気のお店です。


長男がS園に入所した年にオープンしたので、もう8年めになります。

手づくりのメニューがたくさんあります。午後1時からは、アフタヌーンティーも。カナン手作りのお菓子やケーキのアソートで、900円。安い!笑

中はこんな感じ。かつて、某企業の保養所だった建物をS園が購入し、1階をレストラン(障害者の作業所)にしました。ちなみに、2階も福祉作業所で、紙すきなどを行っています。(画像をお借りしました。)

入口で食券を購入するシステムです。できあがると、このカウンターまで、各自が受け取りに行きます。

レストランの玄関ホールでは、作業所で作ったものを販売しています。ハガキ、カレンダー、メモ帳など、紙製品が多いですね。

何年か前に、MIYOが、「のし袋を作ってはいかがでしょうか。のし袋なら、有効活用してもらえるし、リピートして買ってもらえます。」と提案したのですが、それが実現していました。うれしい。^^ 合わせて、ポチ袋も販売されていました。

お土産用に、クッキーやメレンゲ、パウンドケーキも販売しています。


私の方が先にお店に着いたので、
ウッドデッキのそばのテーブルで
待っていると、
夫が長男といっしょにやってきました。


長男、元気にやってきて、ジュースを一気飲み。笑

いっしょにドリンクバーコーナーに行って、お代わりを注いでいるところです。


私たちがジュースをとってくれば、
簡単にすむことなのですが、
できるだけ、いっしょにバーに行き、
飲みたいものを選んで、
長男に自分でボタンを押してもらっています。
ちょっと時間がかかるけれど、
そんなひとつひとつのことを、
長男にも楽しんで欲しいと思うからです。


お昼ごはんは、長男の大好きな天丼。どのセットにも、フルーツかケーキのデザートが付いています。ドリンクバー付きで、890円でした。

小さめの器に取り分けて、自分で食べてもらいます。

夫は、「おろしとんかつセット」だったのですが、写真を撮り忘れました。とんかつがサクサクで、おいしかったです。

がんばって食べてます。S園では、いつも自分で食べているので、まあ、過保護なんですけど、小さい器に取り分けたほうが食べやすいので、ついやってしまいます。

デザートのオレンジのタネを、口の中から取り出しました。「果物には種があるので、それは食べずに口から出してね。」ということを、長男が理解してくれたのは、10歳ごろのことでした。今でも、長男が種を出すところを見るたびにそれを思い出し、うれしくなってしまう母です。^^

食後に甘いものを、ということで、わらび餅とアイスクリームのセットを追加で注文しました。


食事しているうちに雨が降ってきたので、
駅までバスで行くことにしました。


いっしょにバスに乗るのもひさしぶりです。外は雨だったけど、なんだか楽しくて、長男もうれしそうでした。


(つづく)


(おまけのお話)


この日は完売で食べられなかったのですが、
実は、カナンでとても楽しみなのが、
日替わりのスペシャルランチです。
小さなデザートとドリンクバー付きで、780円。
おいしそうですよね。^^
過去のメニューをご紹介します。


たとえば、4月18日のランチは、「豚肉のエノキ巻き&筍とふきの煮物」でした。

4月14日は、「新じゃがとベーコンの春野菜蒸し&豆アボカドサラダ」。

こちらは3月31日のランチでした。シンガポール風チキンライス&桜パウンドケーキ。カオマンガイのセットですよ。海南鶏飯ともいいますね。

3月28日は、鶏のチーズパン粉焼き&ごぼうサラダ&桜ロールケーキ。桜色のケーキがかわいらしいですね。

3月24日は和風ですね。治部煮&炊き込みご飯&ホウレン草柚子和え&桜練り切りのセット。

3月16日は、だし茶漬けのセットです。鶏飯&ゴーヤチャンプル&カットマンゴー。


ときどき、カナンのサイトで
メニューをチェックしては、
うらやましがっています。
こういうの、毎日食べられたらなあ…。


家が遠くて残念。
もしも近所に住んでいたら、
もう、ごはんなんて作らないで、
毎日ここに食べに行くんだけどなあ…。笑

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 52 - 北海道開拓の村㉔(旧信濃神社)/ 「七福神」で祝杯(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧ソーケシュオマベツ駅逓所で。引馬のオウラです。(北海道札幌市)


11月6日(土)


閉館時間の7分前になって、
旧信濃神社に行きそびれたことに気がつき、
ぼうぜんと立ち尽くしすMIYOでした。


「さ、じゃあこれで帰るか。」
と言って、
夫は出入り口に向かって歩き始めました。
迷っているヒマはありません。
夫の顔を見ることなく、
その背中に向かって、こう言いました。


「私、やっぱり今から行ってくる。
 無理に来なくていいよ。
 出入り口で待ってて。
 私一人で行ってくるから!」


言うと同時に駆け出していました。
夫は、反対するに決まっています。
そのやりとりをする時間が惜しかったのです。
このときの夫の顔はと言えば、
(見てませんが)たぶん、あきれかえって、
😵こんな感じだったと思います。爆


あたまの中はまっしろでした。
あとひとつだけ残して帰るなんて、
ありえない。
まだ7分ある。
それだけでした。🤣🤣


とにかく走りました。
閉館時間まで、あと6分。
ソーケシュオマベツ駅逓所まで続く
メインストリートを、全力で走りました。


まずはここ(ソーケシュオマベツ駅逓所)をめざして、一気に走ります。走って、走って…、

ソーケシュオマベツ駅逓所に着いたら、右に曲がって、走って、走って…、

丘の斜面を駆け下りながら、さらに走って、走って…。私、なにやってるんだろ、と笑いがこみあげてきました。なんだか楽しい。笑


走って、走って、走って、走って…。


52番目のスポット、旧信濃神社に到着。


はあはあはあはあはあ…。
すぐに石段を上がることができず、
息を整えながら、写真を撮りました。


「結局、来ちゃったね…。」


え?
ふりかえると、そこに、夫がいました。爆
なんだ、結局、私の後をついて、
ここまで走ってきたんだ。
「オレはもういい」とか言っておいて…。
だったら反対しないで、はじめから、
いっしょに来ればよかったのに。🤣🤣


その上、ちゃっかりと、お参りまでしてました。🤣🤣🤣


【旧信濃神社】
明治30年ごろに建てられました。農村群の一隅にあります。木立が茂る森の中に、静かに佇んでいる神社です。社殿は鳥居の奥深くに鎮座して、道路から見ることができません。この神社の所在地は、長野県諏訪地方の出身者が多かったため、信濃開墾地と呼ばれたところでした。神社を建設するにあたっては、郷里の諏訪大明神のご分霊を頂いたので、信濃神社と命名しました。


これで、ようやく気がすみました。笑
出入り口まで戻ります。
斜面を上がりきったところで、
夫が言いました。


「あのさ。
 『来ちゃったからには、トコトン』
 っていうのは、オレじゃなくて、
 あなたのことだと思うよ…。」
『来ちゃったからには、トコトン』っていうのは、以前、Bonneさんが私たちに命名してくださいました。それ以来、我が家のお気に入りフレーズになっています。笑)


いや、ついてきたあなたも同類です。
(きっぱり)


ということで…。
北海道開拓の村、
全52スポットを、制覇しました。

こんなすごい博物館、いったい誰が考えたんだ…と思ったら、泣けてきました。

ソーケシュオマベツ駅逓所まで戻ると、引馬のオウラがいました。

夕陽を浴びて、街路樹が燃えるように赤くなっています。

車掌さんがやってきました。最終便が出発します。


このまま、馬車鉄道に乗って行けば、
すんなりと帰れるのですが、
あえて乗りませんでした。
最後に、オウラが走って行くところを、
写真に撮りたかったから…。^^


「それ!」。出発です。オウラ、ありがとう。^^


オウラの後を追いかけるように、
私たちも、出入り口まで走りました。笑


開拓使札幌本庁舎の前まで戻りました。北海道開拓の村。これが最後の一枚です。仕事を終えたオウラ。おつかれさまでした。


「あら、おふたりは、もしかして…。」
と、声をかけられました。
今日一日、馬車鉄道に乗務した、車掌さんです。
不思議そうな顔をしています。


「もしかして、今日の朝いちばんに
 乗っておられませんでしたか…?」
「はい。そうです。
 あれからずっと、閉館時間まで、
 一日中、村の中を歩いていました。
 おかげさまで、全部のスポットを
 見学できました。^^」


車掌さん、驚きのあまり、ことばがでないようです。
こんなに長いこと居続ける人って、
あんまりいないんでしょうね。😅


そして、深々と頭をさげて、
「ありがとうございました。」
と言ってくださいました。
「とんでもありません。
 私たちこそ、ありがとうございました。
 すばらしい博物館でした。」


ほんとうに、ありがとうございました…。
最高に楽しい一日でした。
閉館時間に数分遅れましたが、
ようやく、開拓の村を後にし、
帰路につきました。


この日の晩ごはんは、
すすきのの居酒屋さん、「焼肉 七福神」へ。


前日、歩いていて見つけたお店です。ホテルからすぐ近くのところにあります。

まずは、焼き鳥盛り合せ。

北海道だから、やっぱり焼きアスパラ。めちゃくちゃおいしい。^^

秋刀魚刺身。とろけました。

鮭と帆立のタルタルグラタン。

白老和牛炙り肉寿司は、テーブルで炙ってもらいます。

おいしくないわけがないです。笑


ほかにもいろいろ食べて、お酒もいっぱい飲んで、
9431円でした。
ホテルの宿泊費(ふたりぶん)よりも、
飲み代の方が高くなるという、私たちです。笑
最高に楽しい一日で、全スポット制覇できたし、
言うことなし、の祝杯になりました。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 51 - 北海道開拓の村㉓(旧福士家住宅、旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)、旧手宮駅長官舎)/ Suicaで1000円もうかった話(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村で。青い空に木立ちが映えるさまは美しく、見ているだけで清々しい気持ちになりました。(北海道札幌市)


11月6日(土)


残すところ、あと3か所になりました。
閉館時間(16時半)までには、
なんとか間に合いそうです。^^


旧福士家住宅です。とうとう、門灯が灯ってしまいました。あせります。😅


【旧福士家住宅】
明治前期に建てられた洋風建築と、明治後期に建てられた和風住宅が接続する、和洋折衷の特異な建物です。福士成豊が、明治半ばから大正11年まで居住した建物です。
正面は洋風木造、平屋建てですが、その後ろに、和風木造、平屋宛て(一部小屋裏中2階)の住宅分を接続してあります。西洋下見板張り、上げ下げガラス窓付きの家屋は、明治前期の洋風建築の特色をよく残しており、札幌病院の診察室であったとも言われています。和風住宅部分には、増改築の跡が見られます。
洋風部分では、福士成豊の業績を紹介しており、和風部分には、明治から大正期の生活を展示しています。


洋風建築の部分です。30畳くらいの広い洋室で、福士成豊の業績に関する資料が展示されています。


【福士成豊(1838年~1922年)
船大工、通訳、測量技師、気象観測者で、日本の近代化に尽くした人物のひとりでした。同志社大学の創立者・新島襄のアメリカ密航を手伝い、日本人で初めて気象観測を行った人物です。幼名「卯之吉」・「宇之吉」、通称「五郎」。ポーター商会時代には「富士屋卯之吉」とも名乗りました。幕末から明治期にかけて、造船・通訳・測量・気象観測などの広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献しました。
1875年(明治8年)から1922年(大正11年)の死去までを、札幌で暮らしました。仕事面や公的な生活においては、早くから欧米文化を見につけていました。しかし、私的生活においては、この家屋に見られるように、和風を基調とし、それに欧米の生活文化の一部を加えていくという生活をしています。当時の札幌などの都市部で定着しつつあった、和洋折衷型生活様式の典型的な例となっています。


洋室の奥にある生活エリアは、和風の設えです。8畳の和室がふたつ続き、その奥に台所と居間がありました。

ゴールデンカムイ第8巻では、こんなふうに描かれています。間取だけでなく、火鉢やテーブル、茶器の形状までがぴったり一致しています。

居間です。ここは板の間になっていて、奥に台所も見えます。台所の右にあるのは裏玄関で、さらにその隣りは風呂場でした。

台所です。


【札幌の台所と食生活】(説明パネルより)
明治中期までの札幌の一般的な食事は、飯、味噌汁、漬物に魚や野菜の煮付けといったもので、台所用具も鉄鍋、釜、水がめ、かまどなど、本州とあまり変わらないものでした。しかし、明治初期に開拓使が洋食を奨励したことから、その一部が受け継がれ、明治後期からは、トマト、キャベツなどの西洋野菜や肉、さらにバターなど、乳酪製品を用いる料理が次第に普及しました。一般家庭でフライパン、西洋皿、スプーンなどを使い始めたのも、この頃からでした。


旧福士家住宅を出ました。この方向からだと、奥に接続している和風建築の部分も見えますね。さらに奥に見えているのは、隣りの通りに建つ、旧小樽新聞社です。すばらしい建物に囲まれながら、夕陽と競争するかのように、次の家屋へと走ります。

あとふたつになりました。旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)です。

ゴールデンカムイ第7巻で、アシリパたちに熊の駆除を依頼するエディー・ダンの自宅として登場します。


【旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)】
1878年(明治11年)、開拓使の官舎として札幌市に建てられました。当時は、1棟2戸建ての建物が4棟並んでおり、完成後に順次払い下げられました。アメリカ中西部の建築様式を模範としており、外観は洋風ですが、内部は座流し・畳敷きなどの和風で、和洋折衷になっています。外観に白ペンキが塗られていたことが、俗称「白官舎」の由来です。
内部では、建物にちなんで、「開拓使の事業と明治年間の札幌」をテーマにしたて、以下の展示・紹介を行っています。
・1869年(明治2年)の設置から同15年に廃止されるまでの開拓使の気候や建築物・施設の建設事業
・廃止にともなう官有物払い下げ事件
・開拓使以降の北海道行政と官営事業
・行政の中心地となった札幌の街並みの変化


そして最後のスポット、旧手宮駅長官舎です。

ゴールデンカムイ第6巻では、茨戸分署長の江尻が務める茨戸分署として登場します。


【旧手宮駅長官舎】
1880年(明治13年)、北海道で初めての鉄道として、幌内鉄道が敷設されました。明治期の小樽港は、手宮を中心として、石炭や木材の積出港としてにぎわっていました。本州からの移住者は、その多くが、ここで幌内鉄道に乗り換え、札幌や奥地に向かいました。その小樽で、職員官舎として、1884年(明治17年)に建てられたのが、この建物です。骨組みや上げ下げ窓など外部の意匠に洋式の手法が用いられています。この官舎は、「手宮官舎5号」と呼ばれていたもので、同じ形式のものが6棟建てられていました。

建物は様式の技術で建てられたのですが、奥の台所(板の間)には炉を設け、上部には煙出しの窓があり、間取には、伝統的な和風の形式がうかがえます。


1階には、6畳と8畳の和室があります。このほかに、2階にも8畳の和室がありました。大正初期の駅長家族の生活を再現・展示しています。

6畳の和室なのですが、洋風の上げ下げ窓がついているところが、この時代らしいですね。

建物には様式の技術が用いられていますが、伝統的な和風の形は残っていて、奥の台所(板の間)には炉を設け、上部には煙出しの窓がありました。


これで…。
全スポットの見学を終え、
出入り口まで戻ってきました。


目の前にそびえる、旧開拓使札幌本庁舎。わずか5年で、火災で焼失した、悲劇の庁舎と言われています。

太陽が沈む前の、最後の光を受けて輝く姿が、目にしみるようでした。


旧開拓使札幌本庁舎に見とれて
立ちつくしていると、夫もやってきました。


「間に合ったね! 全部見られたね! ^^」
「ああ、どうにか間に合ったな…。」


あらためて、地図を見ました。


そして、愕然としました。
大変なことを忘れていました。
農村群エリアの旧信濃神社を、
まだ訪れていなかったのです。


痛恨の、旧信濃神社。😱😱


このすぐ近くまで、二回も行ったのに、
なぜかそのたびに、旧信濃神社だけ、
行きそびれてしまったのです。
その都度、「あとでまた行こうね」と
話し合っていたのですが、
その後の怒涛のような見学ラッシュの中、
すっかり忘れていました。


せっかく、全部行ったと思ったのに、
ダメでした…。
地図を見ながら、呆然とする、MIYO…。


「ねえ、今から行くのは、ムリかな。
 ムリだよね…。」
「あと7分しかないよ。ムリ。
 もう出入り口まで戻ってきてるのに、
 村のいちばん奥まで、行けるわけないじゃん。」


そのとおりです。


「いいよ、神社のひとつくらい。
 こんなにいっぱい見たんだし、
 見たいと思ってたところには、
 全部行ったし。
 オレはもう満足だよ。」


そう、ここは市街地群エリア。
馬車鉄道の始発地点です。
そして、旧信濃神社がある農村群エリアは、
馬車鉄道の終点。
7分で行って帰るなんて、ムリな話でした。


馬車鉄道の終点、農村群エリアのソーケシュオマベツ駅逓所です。旧信濃神社は、ここからさらに、山道を下ったところにありました。


あと少しで、完全制覇だったのに…。
残念で、残念で、
胸がしめつけられそうでした。


(つづく)


(おまけのお話)


先日、自販機にスマホをかざして
ドリンクを購入したお話を書きました。
すごい時代になったなあ、と思います。


自分がこんなことをする日が来るとは、
思ってもみなかったことが、
もうひとつありました。
モバイルSuicaです。(いまさらですが。笑)


今まで、特に必要性を感じなかったので、
使ったことがありませんでした。
でも、スマホを買い替えて、
「おサイフケータイ」なるものをいじっていたら、
なんとなく、モバイルSuicaができあがっていて、
プレゼントの300円も、
勝手にチャージされていました。笑
これがですね。
今、オトクなキャンペーンが多いんですよね…。笑


まずは楽天です。このキャンペーンは毎月開催しているそうです。


楽天ポイントで100円分チャージしたら、
100ポイントいただきました。
さらに、楽天ペイから1000円チャージしたら、
またも100ポイントいただきました。


極めつけは、au PAYのキャンペーン。


Suicaに3000円分チャージしたら、
500ポイント付与されるという、太っ腹企画です。
お金を右から左に移しただけで、
使ったわけでもないのに、
500円分がもらえるんです。笑
こんなことやってたら、あれよあれよという間に、
全部で1000円も、もうかってしまいました。爆


この際なので、
ラインペイのクレカからSuicaに、
10000円、チャージしてみました。
ラインペイのポイント還元率は2%。
Suicaで支払えば、0.5%のポイントがつきます。
モバイルSuicaで10000円分、
電車に乗ったり買い物したりするだけで、
合計2.5%(250円)が還元されることになります。


定期預金の金利がアホらしいくらいに低い今、
貯金するより、ポイ活した方が、
ずっとお金が貯まるんじゃないか、

と思うこのごろです。笑
考えが庶民的すぎますかね。爆


投資と違って、損するリスクはないし、
手堅く100円分のポイントを稼いだら、
その日はちょっと幸せになれます。
そんなポイ活を、できるだけやって、
小さな幸せでいっぱいにする。
そんな生き方が、私には向いているように思います。


少なくとも、現在、定年後にやりたかったことは、
ポイントがかなえてくれています。
これだけ頻繁に旅行している我が家ですが、
その費用のほとんどは、ポイントですから。
先日の函館4泊5日の旅行で、かかった費用は、
ホテル代の40000円(ふたり分)だけです。
航空券とかレンタカーとか、
全部、ポイントやマイルを利用したので、
タダでした。(いばりっ笑)


お金はないけど、
ポイントはある、MIYO家です。🤣

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 50 - 北海道開拓の村㉒(旧有島家住宅、旧松橋家住宅)/ 自宅でANAの機内食②(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎)で、お馬さんと。駅逓では、人や荷物の運搬、農作業に馬が使われたので、付属する建物として厩舎(馬小屋)が設けられました。(北海道札幌市)


11月6日(土)


市街地群エリアを歩いています。
閉館時間が迫る中、ラストスパートです。^^
残り5か所のひとつめは、
旧有島家住宅です。


かつて、有島武郎の住まいでした。武郎の作品「生れ出づる悩み」で、「豊平川右岸の、1町歩ほどもある大きなリンゴ園のなかにあった借家」と表現されている家です。


【旧有島家住宅】
1904年(明治37年)、札幌に建てられました。日本近代文学史上、代表的な作家の一人である有島武郎(1878~1923)が、1910年(明治43年)5月から一年あまりを過ごした建物です。通常の横にスライドする窓ではなく、上げ下げ窓が取り付けられています。この頃から、一般の住宅にも、このような洋風意匠が取り入れられ始めました。


家の中に入ると、縁側に子供用の木馬とゆり椅子が置いてあるのが目に入りました。

ベビーベッドもあります。この頃に、長男行光(ゆきみつ・後の俳優 森雅之)が誕生しました。

当時の武郎は、母校の東北帝国大学農科大学(札幌農学校)の英語教師で、働く若い人達のための遠友夜学校の代表者でもありました。そしてこの家で、「或る女のグリムプス」を書き、雑誌「白樺」に連載を開始しました。

武郎の書斎だったようです。

1911年7月の有島武郎(33歳)、妻安子(22歳)、長男行光です。


幸せな刻は、長く続きませんでした。
1916年、妻安子(27歳)が、肺結核で死亡します。
その後、武郎の創作力が衰え始め、
やがて筆を絶ってしまいました。
1923年、人妻であった波多野秋子と共に、
長野県軽井沢で縊死を遂げます。
享年45歳でした。


次は、旧有島家住宅の隣りにある、旧松橋家住宅です。夕闇がせまっていますね。


【旧松橋家住宅】
1897年(明治30年)ごろの建築です。都市生活者の住宅として、明治・大正・昭和にわたって使用されました。1918年(大正7年(1918)以降は、松橋家が居住していました。松橋家は、明治初期に秋田県から札幌に移住し、農業及び土地会社経営に従事しました。建築以来、数度の増改築が見られますが、大正7年の状況に復元してあります。内部には、床の間、回り縁つきの離れや、ふた部屋の女中部屋(各3畳)などがあり、古いしきたりの残っていた明治・大正時代の家族制度と住宅のつながりをうかがい知ることができます。


玄関です。

全部で9部屋もある、大きな家でした。玄関も広いですね。

書棚には、精神療法関係をはじめとする多くの書籍が保管されていました。これは、会社経営のかたわら、宗教や哲学の研究を続けた松橋吉之助(1875年~1943年)が残したものだそうです。

左から、仏間(10畳)、和室(10畳半)が並び、

さらに、床の間(12畳)へと続きます。ふすまを開け放つと、32畳半の大広間になります。

台所です。ここで、ふたりの女中さんが働いていました。


上がることはできませんでしたが、
2階には、8畳の子ども部屋もありました。
都市生活者の中でも、
かなり裕福な家庭だったと思われます。



閉館まで、あと30分です。
残すところ、あと3か所となりました。


行ける。
これなら、全部見学できる。


…と、このときは思っていました。
大きな間違いを犯していたことに、
私も夫も気づくことなく、
市街地群エリアを走り続けました。


(つづく)


(おまけのお話)


「我が家が購入したANAごはん②」
をご紹介します。


「我が家が購入したANAごはん①」は、こちらに掲載しました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 16 - 「回転寿司 根室花まる ステラプレイス店」で晩ごはん / 自宅でANAの機内食(2021年11月4日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ANAの通販サイトA-Styleの人気商品、
ANA's Sky Kitchen。
ANA国際線エコノミークラス機内食の
メインデイッシュが、自宅で楽しめます。


今回購入したものです。
【ANA's Sky Kitchen 】おうちで旅気分!!ANA国際線エコノミークラス機内食メインデイッシュ機内食総選挙 2位の逆襲 3種類各4食計12食入り

そして実際に届いたのがこちらです。見本の写真とほぼ同じですね。^^(2021年8月12日)

(以下、説明はサイトからコピーしました。)
三元豚の焼き肉重
三元豚を醤油ベースの焼き肉タレで香ばしく焼き上げ、ご飯が進む味付けに仕上げました。甘辛い焼肉と錦糸玉子でボリュームのある逸品です。

赤ワインで煮込んだハッシュドビーフ
トマト・牛肉をたっぷりの赤ワインでじっくり煮込んだハッシュドビーフにペンネクリームソースを添えました。トマトの酸味とデミグラスの旨みが絶妙なハーモニー。シンプルだけど贅沢な味わいです。

とろとろ玉子の鰻玉丼
うなぎの蒲焼を柔らかく煮て、とろとろの玉子でとじました。うなぎと卵は、スタミナたっぷりで相性抜群の組み合わせ。しっかりとした甘辛味でご飯もすすみます。


3種類が各4食、計12食セットです。
1セット9000円ですが、
ANAカードで支払うと5%引きになります。
さらに、割引券を利用したので、
1食あたり、600円くらいになりました。
購入金額に応じて、
ANAマイルがもらえるのも、
楽しみです。^^


この機内食セット、とても人気で、
昨年はなかなか買えなかったのですが、
増産体制に入ったのでしょうか。
最近は、楽天でも購入できるようです。



私が過去に買ったシリーズは、
すでに販売終了しているのですが、
定期的に新シリーズがでるので、
それをチェックするのも楽しいです。^^


今回も、家族に好評でした。
海外旅行に行けないので、
せめて機内食だけでも、と…。😅
少しだけ、海外旅行をした気分です。


このGW、ハワイツアーが人気のようです。
6日間で50万円だそうですよ。
例年よりも20万円高いそうです。


50万円あれば、我が家なら
北海道に10回くらい行けます。爆
海外旅行よりも国内旅行の方が安いという、
思いがけない時代になりました。
まだまだ、当分は、
国内旅行を楽しみたいと思います。