MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 72 - 台湾なら12年(2019年9月27日/27日め)

2019年9月8日 ハロン湾。


9月27日


今日の朝ごはんです。
タムさん、なにを思ったか、
市場であれこれ買ってきました。
朝ごはんは、その「盛り合わせ」でした。^^


ベトナムハム、バインラン、バラロット、揚げ豆腐。バインランとは、お餅を揚げたもので、中に甘い緑豆のマッシュがはいっています。バラロット(Ba La Lot)は、ラロット(胡椒の葉)で巻いたミンチ肉を、ゴマ油で炒めたものです。


朝ごはんが終わって、仕事をしていると、
ふたりの男女がやってきました。
タムさんの従兄弟、ジオさんと、
その婚約者、ハイさんです。


ジオさんとハイさん。台湾で買ったというTシャツには、日本語で「すべてのスタイル」と書いてありました。^^


ジオさんは、20歳のときから9年間ずっと、
台湾で働いていて、今、29歳。
台湾では、機械部品の洗浄の仕事をやっています。
同じように、台湾で働いていた、
ベトナム人のハイさんと出会い、
結婚することに。
今回の里帰りは、結婚式を挙げるためなのだそうです。


「えっ 台湾に? それで、9年も?」


驚きました…。
20代の青春を、ほとんど、
台湾での出稼ぎに費やしたのです。


ハノイで結婚式を挙げたあと、
ふたりは再び台湾に戻り、
仕事を続けるのだそうです。


日本で働いた方が、給料も高いだろうに、
なぜ、台湾なのか。


「日本では3年しか働けないけど、
 台湾なら、12年まで働けるから。」
と、タムさん。


日本で働く場合、3年しかいられないから、
3年後には帰国して、
自国での生活を再スタートせざるを得ません。


けれど台湾で、なまじ12年もいられるとなったら、
そのまま12年もの長い年月を、
台湾で働き続ける人も多いことでしょう。


それが、いいことなのかどうか、わかりません。
ただ、私がわかったのは、
ベトナムでは、こうして数多くの若者が、
外国で働き、
お金をためて帰国することを夢見ていて、
人生の貴重な年月を、そのために費やしている、
という現実でした。


ベトナムが、これほどまでに、
「出稼ぎ大国」となっている現実を、
ベトナムに来るまで、
私は知りませんでした。


この日は、もうひとつ、心にのこったことがありました。
ジオさん、ハイさんが遊びに来たことで、
タムさんは喜び、2階のリビングルームで、
3人でずいぶん話し込んでいました。


お昼近くになっても、話は尽きません。
いつもなら、11時過ぎから、タムさんが昼食の準備を始め、
12時から、タムさん、SEのハイさん、そして私の3人で、
昼食となります。


ところがこの日は、来客があったということで、
タムさんは、料理をすることができませんでした。
そこで、SEのハイさんに、
昼食を作るように、と命じたのです。
ハイさんはそれを、当然のように受け止め、
キッチンで準備を始めました。


まあ、勤務時間中に作るのですから、
それも仕事の一つなのかもしれません。
でも、従業員の女性に料理までさせるというのは、
私にとって、とても違和感があることでした。


これが、ベトナム風、なのかもしれません。
仕事も家事も、
従業員まで巻き込んで、いっしょくた。
日本も、昔はそうだったような気がします。


これが既成事実となってしまったのか、
この日以降、ハイさんが料理を担当する日が、
少しずつ、増えていきました。


そのたびに、私は、
キッチンで料理をするハイさんを、
見ないようにしながらも、
心が少しざわつくような違和感を、
感じないではいられませんでした。


ハイさんが用意してくれたお昼ごはんです。

ベトナム風のミニハンバーグ、骨付き豚肉のグリル、揚げ春巻き。

ブン、葉物野菜、漬物風のサラダ、きゅうり、ビール。

卵焼きもありました。ブンは素麺のようなもので、右のつけ汁につけていただきます。


ジオさんとハイさんのふたりが帰り、
タムさんが夕食の支度を始めました。
「これ、日本にもある?」
と見せてくれたのは、でっかいヘチマです。


ヘチマって、乾燥させてお風呂でアカスリに使うもの、
と思っていましたが、
食べられるんですね。
初めて知りました。


ヘチマを見せるタムさん。

晩ごはんです。

骨付き豚肉のグリル、青菜のガーリック炒め、ヘチマの煮物、ごはん、スープ(カボチャ、骨付き豚肉、ネギ)。

ヘチマは、まるで茄子の煮物のように、トロトロになっていました。


今日もなんとか終わりました。


(つづく)


(おまけ)
住んでいた家の周囲の写真です。
2か月前、ベトナムに着いたばかりのころ、
うれしくて撮りまくった写真です。
日本に帰国した今は、見ていると、
ちょっと寂しい気持ちになってしまいます。


自宅前の右側に続く道路。(2019年9月5日)

その道路を少し歩くと、クリーニング屋さんが。自宅用のものも、業務用のものも、いっしょくたに乾してありました。笑

自宅前の左側に続く道路。T字路になっていて、右方向に道路が伸びています。

右方向に続く道路。この道の先に、たくさんの食堂があり、よくみんなで食べに行きました。

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