定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 39 - ホーチミンルート博物館へ⑥ ようやく、午後の部(2019年9月14日/14日め)
2019年9月14日 ホーチミンルート博物館で。北ベトナム軍が、ジャングルで設営した基地。
【ご注意】
今日の日記には、痛ましい写真があります。
以下、ご了解の上で、ご覧ください。
9月14日
1時35分になって、彼女たちがようやく戻ってきました。
午後の開館時間は過ぎています。(←こらっ)
門の内側で、「おっかえり~」と迎えた時の、
彼女たちの驚いた顔。(爆)
事情を話したら、
「じゃあ、お昼ごはんも食べてないの?」
と、申し訳なさそう。
「あっ へーき、へーき。
全然問題ないよ。^^」
いいから、早く続きを見せてください。笑
ってことで、午後の部、再開です。
彼女たちが新たに電気をつけてくれたのは、
1階の別の場所でした。
ここには、米軍に関する事物が展示してあります。
主に、米軍が使用した武器、ですね。
戦争ですから、こんな展示があるのは、予想していました。
盗聴器。北ベトナム軍の動きを探るために、ジャングルのあちこちに隠されました。一度置くと、2日程度使えたそうです。
すごい物量で対抗したアメリカ。
そして行きあたったのは、
眼をそむけたくなるような写真でした。
説明には書かれていませんが、これらは2枚とも、カメラマンの石川文洋氏が1971年に出版した、『写真報告 戦争と民衆』に掲載されている写真です。《カンボジア国境付近の湿地帯。待ち伏せ作戦を受けた解放戦線の分隊が全滅した。散乱した死体とむせかえるような血のにおいの中で兵士たちはむしろ楽しそうだった。》
私はこれまでに、世界各国の博物館を訪ねてきました。
むごたらしい写真も見てきましたが、
それらはいつも、自分の記憶にとどめるだけで、
けっして、その写真を撮ることはありませんでした。
でも、このときは違いました。
米兵が手にぶら下げた若い兵士の顔に、
心が痛みました。
人が、こんなふうに扱われるなんて。
そして、なぜか、
ここで見た、というだけで終わらせたくない、
と思ったのです。
けして、興味本位で撮ったわけではありません。
しばらく見つめているうちに、
気になったことがあります。
これほどまでに悲惨な状況なのに、
米兵の誰もが、笑っている、ということです。
ベトナム戦争が終わり、帰還した米兵の多くが
心を病んでいた、と聞いたことがあります。
こういう状況を笑ってながめる、という日常をおくっていたのなら、
それはたしかに、精神を病むだろうな、と思いました。
ある、アメリカ映画のセリフを思い出しました。
「オレたちを見て逃げ出したら、
それはベトコンだ。
すぐに殺せ。
オレたちを見て逃げ出さなかったら、
それは、訓練されたベトコンだ。
すぐに殺せ。」
そんな状況の中で、
死んだあとまで、こんなふうに扱われるしかなかった人。
死んだあとまで、こんなふうに扱っている人。
暗澹たる、気持ちでした。
ひとりで来てよかった、と思いました。
誰かと話しながら見たりしなくてよかった、
と思いました。
私なんかがベトナム戦争を語るなんて、
そんなつもりは、ありません。
けれど、少なくともここは、
これを見た自分の気持ちと、静かに向き合うところ。
そんな気がしました。
私の首の高さくらいの大きなコンテナには、枯葉剤が入っていました。大量の枯葉剤が、長期間にわたって散布されました。
その後、たくさんの障害児が生まれました。その写真もたくさん展示してありました。
重い気持ちのままで、
2階にあがりました。
ここからは、ジャングルで戦い続けた、
北ベトナム軍に関するものが展示してあります。
通信機。
(つづく)