MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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骨折でもイタリア。シチリアを歩く、9泊10日のおトク旅 6 - ポンペイを2時間半歩く(2日目)

2019年1月19日 ポンペイ遺跡で。後ろの階段も、全部上りましたからね~(いばりっ)^^


1月19日


さて、いよいよ、ポンペイ遺跡です。
あまりにも有名な遺跡ですので、詳しい説明は省きます。
ここでは、2時間半の時間をとってあり、
広大な遺跡を、じっくりと堪能することができます。
が、入場する前に、O添乗員さんから、心配そうに言われました。


「ポンペイは、階段が多いんですよ。
 坂もあるし、石畳はでこぼこしてるし、
 全部で2時間半くらい歩くんですけど、
 大丈夫でしょうか・・・?」


はい、大丈夫です!
とは、もちろん言えません。笑
私だって、ついていけるかどうか、自信ないです。


なので、こう答えました。
できるところまで、やってみます。
 途中で、もし、もう無理だなって思ったら、
 『ここで待ってます。』と、
 自分から言うようにします。」


「わかりました。」
と答えたOさんが、いちばん心配だったことは、
30人全員が、はぐれないで最後まで歩き続けられるだろうか、
ということだったと思います。


このツアー。
参加者は、全員が、50代から80代。
(まあ、こんな時期に、
 若い人が仕事を休んで10日も旅行するのは難しいでしょうから、
 参加者はどうしても、
 「時間のある人=50代以上」ってことになるんです。^^)


そして、ポンペイ、とにかく広い!
歩いても、歩いても、ポンペイ。(苦笑)
そんな広大な遺跡で、迷ったりはぐれたりしたら、
たいへんなことになります。


なので、楽しく観光している私たちのかたわらで、
Oさんは常に、全員に目配りしていました。
そして、要所要所では、人数のチェック。


結局、全2時間半の行程で、行方不明者がふたり。笑
お腹が痛くなって、トイレに行ってしまった方と、
足が痛くなって、休憩されてた方と・・・。
Oさん、ちゃんと、ふたりとも探してこられました。
さすがです。^^


えっ 私ですか?
がんばりましたよ~^^
2時間半の全行程を、みなさんといっしょに、
松葉杖で歩きとおしました。


最後に、Oさんから言われましたもの。
「がんばられましたね~。すごいです。
 ここでこれだけ歩ければ、今後の行程も、全部大丈夫ですね。」
どうやらここが、ツアー最大の難所だったようです。


「みなさんに遅れてはいけないと、
 ただただそれだけを考えて、
 もう、必死でついていきました。^^」
と答えたのですが、Oさんは、
「いいえ。」
と、きっぱり。
「MIYOさんは、いちばん先頭を歩いておられましたよ。^^」


しっかり、見られていました・・・。(爆)


これから、ポンペイ遺跡に突入しまーす。「うぉ~っ がんばるぞ~」とばかりに、がしがし歩いている私。

広い。広い・・・。この道、いったいどこまで続いてるんですか? これ、全部歩くんですか?泣

石畳だって、段差だって、がんがん行きます。^^

劇場跡で、ひとやすみ。

階段だって、なんのその。(アホです)

道路はほぼ碁盤の目状で、見通しがよいのですが・・・。

一箇所だけ、道の奥が曲がっていて、その先を見せないようにしているところがあります。この先にあるのは、売春宿でした。

売春宿の手前にある、薬局の看板です。この薬局で精力剤を飲んで、その先に向かったのだそうです。(苦笑)

売春宿の壁には、当時の絵が今も残っています。お客は、この絵を参考にして、女性を選んだのだとか。

地中に埋められていた、水道管。鉛でできていたので、この水を飲んだ住民は、みんな、鉛中毒になったそうです。

さらに別のエリアに入りました。まだ歩くんですか~泣。

石畳に、今も残っているマーク。男性器の指している方向へ歩くと、売春宿に着くようになっていました。ことばの通じない外国人でも、容易にたどり着けるように、という配慮だったそうです。

現地ガイドさんが男性だったせいか、売春宿についての説明が詳しかったような・・・(苦笑)。

このエリアと次のエリアとの間に、広場がありました。

ここには、出土品や、噴火の際に亡くなられた方々を石膏でかたどりしたものが展示されていました。

小さな子どもの犠牲者。

さらにどんどん歩きます。広いです~。泣

これは、世界最古のサインと言われているそうです。ふたりの人が、棒をかついで荷物を運んでいます。ここには、運送屋さんがありました。

居酒屋の跡です! カウンターの穴には、お料理を置きました。内側に立っているのは、居酒屋の女将です。笑

床にも、きれいなモザイク画が残っていました。「猛犬注意」と書いてあります。

パン工房のあとです。右にあるのは、粉ひき臼。奥には、パンを焼いたかまどが見えます。


ポンペイには、りっぱな建造物とか美術品も、
数多く残っているのですが、
私は、こんなふうに、
当時の生活感がむんむん伝わってくるようなものが好き。^^


すごく繁栄した都市があったんだなあ、と、
感心しますが、
実はこのころ、日本はなんと、「弥生時代」なんだそうです。


え・・・
弥生式土器?
竪穴式住居?
そのころなんですかあ・・・?
ヨーロッパの文明がいかに発達していたか・・・。


これだけの都市が、「弥生時代」に完成していた、と思うと、
さらに、さらに、驚かされますね^^


長くなりましたので、次回に続きます。


(つづく)

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