MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになって、休職中 ③ - 復職前・総務課の心ない対応に、キレる。

指文字を読んでいます。(全盲難聴・のんたん 7歳。)



産業医面談も終わり、職場復帰が3月21日に決まりました。
でも、仕事したいモードは皆無で、憂鬱な気分の日々を送っていました。
そんな中、総務課から、次のようなメールが届きました。


 3/21から就業可能と産業医より連絡がございました。
 通勤経路の件で、お願いがございます。
 3/21からの通勤費を経費口座にお振込みさせていただきたく存じますが、
 通勤経路について、ご変更をお願いしたく存じます。
 会社の規定により、通勤経路は、最安値経路をご利用頂く様お願いしております。


…という内容で、通勤に利用している電車を変更しなさい、とのこと。
理由は、「もっと安い経路があるから」だと。
でも、総務課が指示する経路を利用すると、接続が悪く、
今までより30分くらい早く、家を出なくてはいけないのです。


過去8年間、現行の通勤経路を利用してきましたが、
会社から「もっと安いのにしなさい。」と言われたことはありませんでした。
ところが、1年前、勤務先(S社)が買収され、
別の会社(O社)の傘下にはいってしまいました。
S社で認められていた通勤経路は、
O社になってからも引き続き利用していました。
ところが、病気休職で定期券をいったん解約した機に乗じて、
「もっと安いのにしなさい。」
と言ってきたわけです。


げんなりしました。
ただでさえ、仕事したくないなあ、と思っていたのに、
「定期券を変更し、今までよりも30分早く家を出なさい。」
と言ってくるとは。
これでもう、いっきに働く気がなくなりました。


辞めよう。


そう思いました。
O社になってから、給料は下げられ、労働条件も悪化し、
それでも、社員みんなで、我慢しながら働いてきました。
けれど、病み上がりの社員に、
「今より30分早く家を出なさい。」
と、ここまで言うか…。


それで、素直に従うと思ったら、大間違い。
もう、これ以上、我慢はしない。
と思った私、すぐに夫に電話しました。


「あのね。総務課がこんなこと、言ってきたのよ。
 で、私、こんなことまで言われて、我慢して働くつもりはないから、
 だったら辞めます。
 って言いたいんだけど、いい?」


すると、夫、あっさりと、
「いいよ。」


働いたところで、定年まで、どうせあと3年しかありません。
それに、病気になった私に、夫はかねてから、
「辞めたければ辞めていいよ。」
と言っていました。
なので、反対など、するわけはないのですが、
それでも、あえて夫に電話したのは、
まー、一応、私の決意表明みたいなもんですね。(笑)


夫に「いいよ」と言われたことで、
私の気持ちも固まりました。


総務課は、「規則だから」と言えば、黙って言うことを聞くと思ったのでしょう。
O社の労働条件には、かねてから、腹に据えかねるものがあったのに加えて、
ここへ来て、我慢も限界でした。
「病気の人間に、ここまでするか。」と。
その気持ちをはっきりとぶつけるべく、私はPCに向かい、
メールを書き始めました。


心の中では、
「もう辞めてやる、と思えば、怖い物なんてない。」
と思っていました。





「ガンになって」シリーズを、
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
でご紹介しています。


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