MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

あみちゃんの冬休み-80 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 - 母と娘のホーチミン③戦争博物館(7日目)

2017年12月30日 ハノイ・戦争博物館で。(あみちゃん 22歳)



戦争博物館。
9年ぶりに、やってきました。


時刻は、まだ朝9時半です。
開館してまもない時間でしたが、
館内には、すでに多くの見学者が集まっていました。
その多くが、「ベトナムの子どもたち」でした。


学校の、課外授業の一環なのでしょう。
何十人もの子ども達のグループが、体操服を着て、
館内のあちこちで整列していました。
こういうところ、日本の学校の、「社会見学」と同じですね。^^



自分の国の歴史として。
自分の家族が経験したこととして。
そして、今、どうして自分がここにいるのかを、知る手段として。


ベトナムの子どもたちが、「ベトナム戦争」について知ると言うのは、
単なる「勉強」ではなく、
自分達のからだの一部であると言ってもいいくらいの、
深い、深い、意味があるのだと思います。


そんな、ベトナムの人々の、苦難とか、誇りとか、
ひとことでは言い表せない思いがこめられた、
戦争博物館。


またここに、戻ってきたね。
今度は、ゆっくり、しっかりと、見ようね・・・。


私も、娘も、思いは同じでした。


博物館は、3階建ての展示館が中心となっていて、
敷地内には、ベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車も展示されています。
展示館の屋内では、
大砲や爆弾などの遺物、
当時の報道写真など、戦争の足跡をたどる各種記録、
そして、かなりのスペースを費やして、
枯葉剤の犠牲となった人々の写真が展示されています。


ベトナム戦争中に命を落とした、
戦場カメラマンや報道写真家たちについて、紹介するフロアがあり、
ロバート・キャパを始めとした、
世界中のカメラマンについての記事が、
写真とともに飾られていました。


日本人カメラマンも、多く紹介されています。
ピュリッツァー賞を受賞した、沢田教一の『安全への逃避』。
『地雷を踏んだらサヨウナラ』で知られる、
一ノ瀬泰造を紹介する文と、
彼が愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通しています)の写真・・・。


私自身が、20代の終わりに、
夢中になって読んだ本の中に、出てきた人々です。
彼らのひとりひとりのことを、娘に説明しながら、
ふたりでいっしょに、時間をかけて見てまわりました。


「おかあさんはね、あなたと同じ年の頃、
 ベトナムのことなんて、なんにも知らなかったんだよ。
 ベトナムに興味を持って、いろんな本を読み始めたのは、
 27歳ごろから、かな。
 キャパや、沢田教一や、一ノ瀬泰造とか、今でこそ知ってるけど、
 今のあなたの年の頃には、なにも知らなかった。
 だから、今のあなたが何も知らなくても、恥ずかしいことじゃないし、
 今、いろんなことを知り始めてるのは、すごくいいことだと思う。
 あなたは、おかあさんよりも、5年も早いんだよ・・・。」


長女といっしょに、2時間以上かけて、館内の展示を見ました。
説明のプレートに書かれた英語を、丹念に読みながら。


長女は、
「前に来たときは、全然わからなかったけど、
 今は、説明の英語が理解できる。」
とうれしそうです。
(ちなみに、娘、これでも「英文科」です。笑)


「よかったね~。^^
 勉強すると、今までわからなかったことが、わかるようになるね。
 見えなかったものが、見えるようになるよね。
 それが、勉強するってことだよ。」


一番圧倒されたのは、
枯葉剤の犠牲となった人々の、膨大な数の写真でした。
亡くなったこどもたち。
障害を持ちながら、懸命に生きている方々。
枯葉剤を散布した側のアメリカ兵も、犠牲者となりました。
見るのがつらい写真もありましたが、
知っておかなければいけないこと、にも思えました。


戦争博物館。
館内の、たくさんの展示物を、長い時間をかけて見ましたが、
私はそれらの展示物について、一枚の写真も、撮ることができませんでした。
なので、ここに掲載できる写真が、ありません。


ここは、写真に撮るところではなく、
自分の心に刻んで、思いを持ち帰るところ。
そんな気持ちでした。


枯葉剤を製造して米軍に納入していたアメリカの化学企業とアメリカ政府は、ベトナムから帰ったアメリカ兵に対して、枯葉剤による人体影響を認め、手厚い補償を行っている。
ベトナムの被害者らは、2003年以降、ダウケミカル社など37の化学企業を相手どった賠償請求を、米連邦地裁に次々と出した。しかし、連邦地裁は、ベトナム人に対しては人体影響を認めず、訴えをすべて却下した。
時の経過と共に、戦場の記憶は薄れてゆく。しかし、枯葉作戦という戦争犯罪の事実は、ベトナムだけでなく、全人類の記憶としていかなければならない。悲劇を二度と繰り返させないためにも。(中村梧郎)


(つづく)



そのころ長男は…。ダムセン公園で乗り物三昧だったのでした。^^

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