MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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無理やりのインド。歩き続けた12日間 8 - ゴールコンダ・フォート④(2025年10月18日/2日め)

MIYO

2025年10月18日 「ゴールコンダ・フォート」で。(インド・ハイデラバード)


10月18日(土)


ハイデラバード郊外にある、

ゴールコンダ・フォート

に来ています。


要塞と3つの監視塔に囲まれ、

8つの門を備えた、この巨大な砦には、

かつては城もあり、

中世南インドの政治において、

重要な役割を果たしました。


砦には、かつて、都市が建設されました。

その頃に造られた、

 武器庫、穀倉、貯水池、モスク、

 給水システム、中庭、葬儀場、

 兵士の宿舎、監獄、法廷、

…などが、現在も残っています。


タラマティ・モスクが見えてきました。


【タラマティ・モスク(Taramati Mosque)】

ゴルコンダの第4スルタン、イブラヒム クリ クトゥブ シャーの治世中に建設されたペルシア風のモスクです。その前には庭園が広がっています。モスクの名前を付けたのは、第7代のスルタン、アブドゥッラー クトゥブ シャーで、「タラマティ」は、彼のお気に入りの宮廷ダンサーの名前でした。

タラマティとプレママティというふたりのダンサーは姉妹でした。ふたりは、スルタンの寵愛を受け、場内で踊ったことが、現在も語られています。城塞の北約800メートルのところにある王家の墓には、タラマティとプレママティ姉妹も埋葬されています。


3つのアーチがある美しい建築物は、現在もその形を留めています。

屋根の上(バルコニー)にあがるための階段が設けられており、屋根の両側には、ミナレット(尖塔)があります。また、9つの小さなアーチに支えられた基壇部分があります。

モスク手前の建築物の内部です。

壁の中にめぐらされた給水システムのあとです。水道管があったんですね…。ふたつあるのは、お湯用とお水用に分けていたため。

さらに歩きます。

十字に交差する道路の、さらに先へ。

次の遺跡へと入りました。ここは、バグマティ宮殿があったところです。

何重にもアーチが続く、広い空間です。ここには多くの兵士がおり、城を守っていたそうです。

ずうっと向こうまで、まっすぐな通路が伸びています。

通路は、いくつものアーチで、小空間に区切られており、それぞれのエリアごとに…、

空間が左右にも広がっています。このエリアには、歩兵が住んでいた兵舎もあったそうです。

アーチや通路が縦横にめぐらされた、巨大な空間が作られていました。

あちこちの壁に見えている、裂けめのようなもの。これは水路でした。この給水システムによって、城塞内にくまなく、水やお湯が送られました。

天井部分に設けられたロフトです。

ロフトには、書類が保管されました。

次の空間をのぞいてみると、天井をびっしりと黒いものが埋め尽くしていました。すべて、コウモリだそうです。😅

ここまで歩いてきた道を、ふりかえって撮りました。奥の方に小さく見えているのが入り口でした。この巨大な空間で、大勢の人々が生活していたんですね…。

出口が近づいてきました。このあたりからは、漆喰がきれいに残っていて、壁の美しい装飾も見ることができました。

いまここ。😊


(つづく)

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