MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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無理やりのインド。歩き続けた12日間 2 - 長女に会えた!(2025年10月17日/1日め)

MIYO

2025年10月18日 「ゴールコンダ・フォート」で。(インド・ハイデラバード)


【ゴールコンダ・フォート(Golconda Fort)】

ハイデラバード(Hyderabad)の中心から西に10kmほど離れた郊外にある、丘状の城塞です。16~17世紀に、この地を治めたクトゥブ・シャーヒー朝(Qutb Shahi)の王によって建設されました。建設当初、城は王都としての役目を果たしました。が、近郊の鉱山から採掘されるダイヤモンドが王国に繁栄をもたらし、平和な時代が長く続いたことで、やがて都はハイデラバードに移され、城塞としての役割のみが残りました。

その後この城は、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝の攻撃によって徹底的に破壊されてしまいます。その後のニザーム王国(Nizam of Hyderabad)の統治下でも復興されることは無く、近年まで廃墟のままでした。

現在、ゴールコンダはインドの文化遺産となっており、2014年、「デカン王国の遺跡と砦」の一部として、ユネスコの世界遺産暫定リストに追加されました。


10月17日(金)


羽田からデリーまでは、6600キロ。

飛行時間は9時間。


エアインディアが駐機していて、夫は早速写真を撮っておりましたが、私たちが乗るのは、右側のANAです。笑

タイムセールでチケットを買ったとき、窓際の空席はゼロでした。やむなく、最後尾の2席(42Eと42F)をとりました。が、出発前日になってアプリをチェックしたら、ANAがキープしていた席のロックを外したようで、窓際席が3つだけ空いていました。速攻で、座席変更。😊

変更後の席は、39Aと40A。MIYOが最後尾で、夫はその前。

横に並ばず、縦に座るところが、夫婦仲の悪さを物語っています。🤣

映画を2本観ました。ひとつめは「ラストマイル」(日本)。5月のインドネシア旅行のとき、ANAの機内で途中まで見て、続きが気になっていたのですが、今回は最後まで観れてすっきり。^^

ふたつめは、「花嫁はどこへ?」(インド)。婚礼後、新郎の家に嫁ぐ途中で手違いがあり、花嫁が他の女性と入れ替わってしまう、というストーリー。行方不明になった新妻を探して奔走する新郎。かたや、列車にひとり残されてしまった妻は、さまよいながら社会の様々な面を知ることになります。

これがね…。

もう、めちゃくちゃおもしろかったのです。

インドの女性の地位がいかに低いかを、

これでもかとばかりに知らされます。

そんな衝撃の実態を、

映画では、笑いをまぜながら、

シニカルに描いてしまうのがすごい。^^

以前ご紹介した「パジュランギおじさんと小さな迷子」同様、インドで大ヒットした作品だそうです。

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」に泣けた日(2025年7月12日)/ スイカアイスと台湾・高雄から美濃へ(2025年7月2日-8日)


九州上空を飛んだあとは、中国・上海へ。(通過しただけですが。)

機内食は、ANAのサイトで事前にメニューを知ることができることがわかったので、今回は予習しておきました。(その場で迷わなくてすみます。笑)

私も夫も、「キノコとターメリックライスのドリア」にしました。小皿は、「ローストズッキーニとカボチャのフライ 胡麻ドレッシング」、「野菜とぜんまいの煮物」、「ミックスサラダ」。

茅乃舎のだしスープもいただきました。そしてデザートは、お約束のハーゲンダッツ。😊

大好きなラオス、タイ、ビルマも飛び越えて…、

気がつけばネパール上空に。

2回めの機内食。

サンドイッチ、フルーツ、ヨーグルトとキットカット。かぼすのジュースといっしょに。

デリーが見えてきましたが…。霞んでいます。大気汚染でしょうか。

インディラガンジー国際空港です。目をひくのが、壁からにょっきり出てきたような手のオブジェ。“mudra”と言われる「手印」がモチーフになっているそうです。このとき、現地時間は17時(日本の20時半)。

免税店のスタッフが男性ばかりなのに驚きました。機内で観た映画の通り、女性はまだまだ社会にでていないのかなぁ…。🙄

空港内にフリーWIFIがあります。ただし、空港内をウロウロして、この発行機を見つけなければなりません。

パスポートをスキャンすると、自分用のWIFIパスワードが発行される仕組みです。(とてもめんどくさいシステム)


WIFIがつながったので、

早速長女に電話しました。

長女は、私たちより一週間ほど早く、

10月11日にインドに行き、

8日間の旅を終えて、この日に、

デリーから帰国する予定になっていました。

つまり、

同じ日にこの空港に来るはずなのです。^^


でもお互いに、

空港にいる時間が微妙に違っていたので、

「これではたぶん会えないね。」

と話し合っていました。


ところが。

電話してみると、

「今空港にいるよ。」

と…。


「カウンターはどこ?」

「EとFのカウンター。

 その横で、イスに座ってるよ。」


広い出発ロビーで、夫と走りまわって、EとFを探しました。あった!

長女発見! ひとりぼっちで、イスに座っていました。


長女は、もう何年も前から、FGOという、

オンラインゲームにハマっています。

そのゲームでは、

インドの英雄にちなんだキャラクターが

たくさん出てくるのだそうです。

それをきっかけに、長女は、

インドの叙事詩「ラーマーヤナ」に

興味を持つようになりました。

「ラーマーヤナの聖地めぐりをしたい。」

と、何年も前から言っていたのですが、

その夢をようやく実現し、インドへ。

(あまりにも特殊な趣味なので、

 こんなところに行くツアーは、日本にはありません。爆)


アヨーディアで。ヒンドゥー教の七大聖都の一つで、「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子の生誕地とされているため、ここを訪ねることにしたそうです。


なんか、よくわかりませんが、😅

「まあ、とにかく、

 『好きなことがある』っていうのは、

 いいことだよ。

 好きなことが多い人ほど、

 人生の楽しみも多くなるからね。」

と、長女にはいつも言っていました。


出発前には、

「だんだん不安になってきた。」

と言い始めた長女。

でも、あえて見ぬふりをしました。

そこは自分で乗り越えろ、と…。


けれど出発前日に、こう言いました。

「おかあさんもね。

 旅行に出発する前の日が一番イヤなの。

 いろんなことが気になってね。

 でも飛行機に乗って、離陸したとたん、

 心配な事は全部なくなる。

 だから大丈夫。

 楽しんできてね。」


その長女。

ずっとあこがれていた聖地巡礼ができて、

最高に楽しかったようです。


インドから、

「働いてお金を貯めて、旅行をするって、

 楽しいね。

 おかあさんの言うことがわかってきた。」

と、メールをくれました。


その長女が、今、目の前にいました。

夜遅いフライトで帰国する予定だったので、

私たちとはすれ違い、のはずでした。

でも、ディワリ(インド最大のお祭り)が

まもなく始まるところだったので、

交通渋滞を避けるために、

空港送迎車が早めに出発したそうです。

おかげで、会えました。^^


思わず、長女を抱きしめました。

旅の写真を見せてくれている長女。

驚いたことに、日本からの機内(長女はマレーシア航空でしたが)で観た映画が同じでした。長女も、「花嫁はどこへ?」を観ていたのです。「あれはおもしろいね~!」と盛り上がるふたり。笑

仲間に入りたい夫。「オレも、帰りのフライトでその映画を観るよ!」と…。笑 ちなみに、長女の荷物はコレだけですよ。水色のリュックと黒いキャリー。キャリーは、私とおそろいです。親に似て、荷物の少ないムスメです。🤣🤣

「よくここまで来たね…。」と、胸がいっぱいになりました。


ひとしきり話したあと、

私たちは、国内線の出発ロビーへ。

ついさっきデリーに着いたばかりですが、

デリーは素通り。

このまま国内線に乗り継いで、

ハイデラバードに行きます。

長女はこのあと、

マレーシア航空の深夜便で、

日本に帰ります。


「じゃあね。日本でまた会おうね。」


ほんの少しの時間だったけど、

会えてよかった。


緊急手術で生まれた長女は、

危篤状態が続き、ずっとNICUにいました。

ようやく退院できたのは、

生まれてから半年後のことです。

その頃のことを思い出しました。

あの長女と、こんなふうに、

インドで遭遇するなんて。


生きていると、こういう日もあるんだな…。

と、シンミリしました。😊


(つづく)

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