MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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全盲難聴・のんたん ボランティアさんと外出(S園→昼食→ウクレレ教室→S園)(2025年8月2日)/「江戸 大奥」特別展(天璋院と和宮)(2025年8月6日)

MIYO

2025年8月6日 東京国立博物館・「江戸・大奥」特別展で。


2025年8月2日(土)


8月1回めのウクレレレッスンの日記です。

この日はおふたり体制で、

ホリイさんとヤグチさんがいらしてくださいました。


当日の日記です。^^


本日のコース:

S園でお迎え(9:40)→昼食(11:00)→ウクレレ教室(13:00)→S園に帰園(16:00)

*全6時間20分です。全コースを、おふたり体制で担当していただきました。


【ホリイさんからのメールです】

2〜3日前には、台風が東京を直撃するとの予報だったので、心配していましたが、晴れて良かったです☀️

S園についたら、のんたんは既に靴を履いて、ソファーに座って待っていました。駅までの道では、どこで覚えたのか、「明日があるさ」を繰り返し歌って、カラオケに行くのを楽しみにしているようすでした。

この日はヤグチさんが、のんたんのためにペットボトルのお茶を持って来てくださっていました。のんたんはそれを飲んで、「ありがとう」と、お礼を上手に言えました。

暑かったので、ヤグチさんはマスクをしていなかったのですが、のんたんはそれを見つけて、ヤグチさんに「マスクしてください。」と…。「カラオケの時は、マスクを外して歌っても良いんだよ」と言うと、その事を覚えてくれて、カラオケの話をする度に、「マスクしなくていいんだよね。」と確認していました。

電車の中では、ボイスレコーダーを片手に持って、カラオケに行く話を繰り返していました。が、途中から眠たくなったのか、静かになっていました。山手線では座れなかったので、ドアの横に立っていましたが、眠たいのか窓に頭をつけて寄りかかって寝ていました。

電車が順調だったので、11時過ぎには、サイゼリヤに到着。

席に着く前にいつもトイレに行くのですが、座るや否やそのまま眠ってしまいました。スパゲッティが来たよと言っても起きないので、しばらくそのまま眠っていてもらいました😴

(のんたんは、サイゼリヤで眠ってしまいました😴「のんたん、スパゲッティが来たよ🍝」と言っても起きません💦)

目が覚めたのは、12時15分前位です🥱 少しジュースを飲んでスパゲッティを食べましたが、何か落ち着かないようすなのでトイレに行って来ました。席に戻って、スパゲッティの続きを食べるかと思ったのですが、手が冷たくて左足をカタカタさせているので、眠っている間に冷えたようでしたが、上着はなかったので、ヤグチさんがご自分のタオルを首に巻いてくださいました。その時、のんたんが首が痒くてポリポリ搔くので、蕁麻疹か、汗もかな?と、少し心配しました。(結局、園に着く頃には、すっかり治っていました)

しばらくして、少しずつ食べ始めました🤗 食べながらも、カラオケの時にマスクを外すのかどうかが気になったようで、何度か尋ねていました。

(やっと目覚めて、食べ始めました🙆‍♀️ のんたんの首が赤くなっていて、ポリポリするので、写真を撮っておきました。)

夏休みなので、サイゼリヤには、家族連れと特に学生さんがたくさんいらして、90分制と言う事で、まだ60分過ぎなのに、「ラストオーダーですけれど、大丈夫ですか?」と、スタッフさんが言いにきました。それでも、のんたんはまだ食べ終わっていないので、90分まで居て、しっかり完食しました🍽️

時間が余ったので、ウクレレの教室に行く前に地域センターで少し休んでから向かいました。

教室に着くと、直ぐに「明日があるさ」を歌い始めて、先生が「その歌はどこで覚えたのかな?」と、尋ねてくださいました。が、私たちにも分かりませんとお答えしました。チューニングが終わるのが待ちきれなくて先生の方に手を伸ばし、ウクレレを手にすると、先生と「明日があるさ」の弾き語りを始めました♪

(先生がチューニングしているのも待ちきれなくて、先生の椅子に手を置いて「早くここに座って!」と、言ってるようです。)

一通り歌い終わってから、先生がスマホ上で、前奏や間奏もある坂本九さんの「明日があるさ」を探し、のんたんに聞かせてくださいました。そして、坂本九さんのキーを使って練習が始まりました。のんたんが覚えていたリズムから、より本格的な曲になりました。

次に、「愛されてばかりいると」の練習もしました。先生から、カラオケでも歌ってねと言われました☝️

帰りにまた、地域センターでトイレをお借りして駅に向かいました。電車の中では、ボイスレコーダーで今日の練習曲を聴いていました。

今日は、何度も「ありがとう」と言う言葉を使ってくれました🩷

「のんたん、こちらこそ楽しい一日をありがとうございました」


詳細に書いてくださって、

ありがとうございました。

長男のようすが、よくわかりました。^^


長男が首を搔いていたら、念のために、と

写真を撮ってくださったり、

手足が冷たくなったら、心配してくださったり。

また、ヤグチさんも長男のために、

麦茶を持参してくださったり…。


親の私でも気づかないようなところを、

いつも細やかに気配りしてくださり、

感謝でいっぱいです。


おふたりが初めていらしてくださったのは、

長男が小1(7歳)のときでした。

あれから23年。

長男といっしょに重ねてくださった、

これまでの年月の重さに、感無量です。


ヤグチさん、ホリイさん、

たいへん暑い中、

のぞみといっしょに歩いてくださり、

どうもありがとうございました。


(おまけのお話)


8月6日(水)


東京国立博物館の

「江戸 大奥」特別展に行ってきました。


東京国立博物館・平成館で。すてきな和服で来館している方も見かける中、およそ、「大奥展」に似つかわしくない格好ですが。😓

この夏は、ほとんど毎日、エスニックパンツで過ごしています。これは、5月のインドネシア旅行のとき、ジャワ島で買ったもの。ジャワ更紗(バティック)です。(畳んで保管していたときのシワがまんまでスミマセン。😓)

ラベルに Batik とあるのが、単純にウレシイ。😊 トップスは、先日、セールで30%引きだったもの。布地全体に、ペイズリー模様の刺繍が入っています。色は黒に見えますが、少しだけ青が入った、微妙な色合い。(写真を撮ったら白みたく写りましたが、青みがかった黒です。笑)

入場券は、夫がネットで購入しました。


大部分が撮影禁止だったので、

あまり写真がありません。

「撮影可能エリア」で撮ったものを、

少しだけ掲載します。


会場の装飾・構成もすばらしい。

専行院(お美代の方)の御前で演じられた舞台の衣装。

花の刺繍がびっしりと施された打掛は、さぞかし重かったことでしょう…。


絢爛豪華な衣装が並ぶ中、

いちばん印象に残ったのは、

和宮(かずのみや)の衣装でした。

撮影禁止エリアだったので、写真はありません。


【和宮親子内親王】

親子内親王(ちかこないしんのう、1846年-1877年)は、仁孝天皇の第8皇女です。孝明天皇の異母妹で、明治天皇の叔母にあたります。称号は和宮。1862年、16歳で降嫁し、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室(御台所)となりました。家茂死後に落飾。静寛院(せいかんいん)の院号宣下を受け、静寛院宮(せいかんいんのみや)と名乗りました。「和宮」は誕生時に賜わった幼名で、「親子」(ちかこ)は1861年(文久元年)、降嫁の前に賜わった諱です。


和宮の美しい衣装には、襟に、

しっかりと汗ジミが残っていました。

シミは襟まわり全体に広がっていて、

その幅は5センチくらいか。

前からも後ろからも、

1メートルくらい離れている私からも、

はっきりとわかる、大きなシミです。

大奥の最高位にあるはずの女性の衣装が

こんなに汚れていたことに、驚きました。


当時、御台所のお召し替えは、一日5回。

だから、そんなに汚れるはずはないし、

着たものはその都度、

お付きのものが手入れしているはず。

ここまでシミが残るはずはないのですが。


きちんと始末してもらえなかったんだな…。


すでに許嫁(いいなずけ)がいたにも関わらず、

京都から降嫁させられた和宮は、

大奥に入っても、御所の流儀を通そうとしました。

そのことは、大奥内で不興を買ったようです。


天璋院(篤姫)に初めて面会する際、

天璋院は和宮に会釈も礼もせず、

さらに褥(座布団)を出さず、

和宮に恥をかかせたというのも、

よく知られている話です。


和宮親子内親王(左)と天璋院・篤姫(右)。


明治維新後、生活に窮した状況に陥っても

天璋院は、実家・薩摩藩からの金銭援助を断り、

あくまでも、

徳川の人間として生きたと言われています。

心もとない生活の中、自分の所持金を切り詰めて、

元大奥関係者の就職・縁組に奔走していたとも。

そのため、死後に確認された所持金は、

3円(現在の6万円ほど)しかなかったそうです。


武家の娘として、そして徳川家に嫁いだ者として、

最後まで、まっすぐにきっぱりと生きた天璋院。

そんな彼女には、

実家の流儀を通そうとする和宮が

許せなかったのかもしれません…。


夫・家茂の死後、和宮は脚気を患い、

1877年、32歳で亡くなりました。

天璋院は、療養先の箱根まで、

和宮を見舞いに行きましたが、

間に合わなかったそうです。


意に反して徳川家に嫁がされた、

和宮の半生は、どのようなものであったか。

あでやかな衣装に残る、大きな汗ジミからは、

彼女がどんな生き方を強いられたのか、

その半生が垣間見えたような気がしました。

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