MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 70 - ラオス・タイ国際鉄道① ヴィエンチャン・カムサワート駅(2025年3月18日/5日め)

2025年3月18日 ラオス・タイ国際鉄道・カムサワート駅で。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月18日(火)- 5日め


ラオス-タイ国際鉄道に乗るため、

ヴィエンチャンのカムサワート駅に来ています。


出発まで30分を切っているというのに、

列車のチケットを含む、

旅の情報すべてが入ったファイルを、

どこかに置いてきてしまった、多動夫。


鉄道公社がチケットを発行したときのメールが

スマホの中に残っているはずなのですが、

パニック状態の夫には、見つけられません。

(PC音痴の夫は、メールの「検索機能」が使えません。😔)


パニック状態でボーゼンとしている夫に、

「もう。しょうがないなぁ…。」

と、MIYO。


自分のバッグに入っているクリアファイルを

取り出しました。

MIYOはMIYOで、

旅の情報をすべて、このファイルに入れ、

必要になる日付順に並べてあります。

そのファイルから、

この鉄道のチケットを2秒で取り出し、

「はい、これ。」

と渡しました。

これで、問題解決。😤


MIYOのチケット。

夫のチケット。ふたり分を持っているところがエラい?🤣🤣

バンコクまでの運賃は、

 2等寝台上段:784バーツ(約3400円)

 2等寝台下段:874バーツ(約3800円)

でした。

ちなみに、その他の座席では、

 2等座席:574バーツ(約2500円)

 3等座席:281バーツ(約1200円)

となっていました。


そもそもMIYO家では、

旅行中に必要なチケット類はすべて2部印刷し、

必ず、夫婦それぞれが1部ずつ、つまり、

各自がふたり分のチケットを

持ち歩くようにしています。


MIYOは、航空券のEチケットとか、

ホテルを予約したときのバウチャーとか、

自分が手配したものについては、

以前からずっと、必ず2部印刷し、

1部を夫に渡すようにしていました。


ところがあるとき。

夫がなにかのチケットを購入したのですが、

そのときに、1部を印刷し、

「はい、これ。あなたの分。」

と言って、

私の分のチケット1枚だけを渡してきました。


「これじゃだめでしょ。

 旅行中は、なにがあるかわからないのに、

 万が一チケットをなくしたら困るでしょ。

 旅がそこで終わっちゃうよ。

 大事なものは、必ず2部印刷して、

 ふたりがそれぞれに、

 ふたり分のチケットを持ち歩かなくちゃ。

 そうすれば、失くすとか落とすとか、

 どちらかひとりになにかあったときでも、

 もうひとりがカバーできて、

 問題なく旅が続けられるでしょ。」


MIYOに説教されて、不満そうな夫。

ふてくされた顔で、もう1部を印刷していました。

40年以上旅してきて、

なんでこんなことがわからないんだ、

とそのときは思いました。

でも、それから1年もしないうちに、

夫は列車の乗車券を

ファイルごと失くしてしまったわけです。


このときに、

「ほらね。

 私の言ったとおりでしょ。

 だから、各自がふたり分を持つって、

 大事なんだよ。」

と言いましたが、

夫は、都合の悪いときは難聴になるので、

どうせ聞いていません。😔


私たちが出会う前の古い話になりますが、

夫は学生時代、バックパックでトルコに行き、

バスのチケットを失くしたことが

あるそうです。

しかも、そのときは2枚。

同行していた方の分まで失くしたそうです…。

あれから50年近くたつのに、

あいかわらず、失くす、落とす。

やってることは変わらないなあ…。🙄


「あなたは基本、『モノを失くす人』なのよ。

 それをちゃんと自覚して、

 再発防止策を講じなくちゃだめでしょ。

 ファイルとバッグをヒモでつなぐ、とか。

 もう2回も失くしたんだから、

 今までと同じことしてたら、3回めも起こるよ。」


と、このときに言ったのですが、

あれから3か月。

夫は、同じファイルを買ってきただけで、

その後の、

 ベトナム(4月)も、

 インドネシア(5月)も、

 マレーシア(6月)も、

なんの再発防止策も講じず、相変わらず、

ファイルを出したり入れたりしながら、

平気で旅を続けています。

最近は、

 2024年1月・カンボジア

 2025年3月・ラオス

…と、毎年、ファイルを置き忘れているので、

来年あたり、また失くすんだろうな…。🙄


モノを失くすのが悪いのではなく、

失くしても全然反省せず、

それまでと同じやり方を続けているところが、

ダメなんだけどな…。

言ってもどうせ聞かないし、

正直、うんざりします。😔


気をとりなおして、

カムサワート駅の日記に戻ります。😓


まずは、これから乗る、

ラオス・タイ国際鉄道のお話を。


【ラオス・タイ国際鉄道】

タイの首都バンコク(クルンテープ・アピワット駅)とラオスの首都ヴィエンチャン(カムサワート駅)を結ぶ国際列車で、2024年7月19日に運行を開始しました。ラオスのヴィエンチャン駅からターナレーン駅を経由し、タイ=ラオス友好橋にて国境を通過後、タイのノーンカーイ駅へ至る路線です。NEDAの協力のもとで建設されており、全区間非電化単線路線(軌間:1000mm)。

NEDA(周辺諸国経済開発協力機構)とは、タイ財務省の監督下にある公共機関(独立行政法人)で、2005年5月16日に設置されました。資金・技術援助を通じて、人間資源開発、インフラ整備を進め、タイの周辺諸国が協調しながら経済開発協力を行っていくことを目的にしています。


この鉄道の建設に尽力したのは、

タイだったんですね。

さすが、東南アジアで最高の発展を遂げた国。

もはや援助される側ではなく、

援助する側の国になったんだな…。

タイの40年前を知っているだけに、

感慨深いものがあります。


運航を開始してからまだ8か月。駅構内のあちこちが真新しいはずです。^^

右端がチケットオフィス。そして正面に見えているのが、出国審査場です。

左から、外務省関連、パスポートチェック、アセアン諸国…となっていたので、2番に行きました。


ここはまだラオスで、

タイ国境まではもう少し距離があるのですが、

ここで出国審査を行ってしまうようです。


出国審査後は、列車が来るまで、隣りのエリアで待機させられました。

出発の20分前。列車が入線してきました。

ドアが開かれ、待機エリアから次々と入場する人々。

ラオス・タイ鉄道134号です。

この国際列車の座席タイプは、2等寝台、2等座席、3等座席の3種類。

いちばん奥から、2等座席と2等寝台…。

そしてここからが、3等座席の車両になります。

3等座席の車両はふたつ。全部で5両編成になります。

そこに、機関車が連結されました。

出発間際になって連結するんですね…。笑

さて、私たちが乗るのは、12/1号車です。

2等寝台車です。車両タイプは、JR26。

出発間際までいろいろありましたが、ようやく乗車。


上の写真で、MIYOの左にある、

ドアのプレートをご覧ください。

なにか、文字が見えませんか?


コレです。「おす」という文字。🤣🤣


なにを隠そう、この車両。

かつて日本で走っていた、

ブルートレインなのです。😊


【ブルートレイン】

かつて日本国有鉄道(国鉄)およびその後身のJRグループによって運行されていた、客車を使用した寝台列車を指す愛称です。一般には、国鉄時代の1958年(昭和33年)に登場した20系客車以降の特急列車を指します。青い車体色で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用しており、その創始は、1958年から20系に置き換えられた「あさかぜ」でした。2000年代後半には、新幹線・飛行機・高速バス・ビジネスホテルといった代替・競合普及による需要の低下で採算性が悪化していき、2015年(平成27年)をもって全廃となりました。


ブルートレイン全廃後、車両の一部は、

タイ、マレーシア、ミャンマー、フィリピン

といった海外に無償譲渡され、

現地で延命化改造後に、

寝台列車として再活用されています。

*詳細は、日本から国外に譲渡された中古鉄道車両をご覧ください。


ドアのガラスには、「乗務員室」「業務用」などの文字が、当時のままに残っています。


日本からタイに譲渡後、

どれくらい使用されたのでしょうか。

ドアのカギの部分は壊れていて、

部品をヒモでつないでありました。

部品そのものが、紛失しているドアも…。


それでも、全廃から10年。

あのブルートレインは、ここヴィエンチャンで、

元気に走っていました。


もう一度、乗車券をよくよく見てみると、車両タイプに「บนทป.JR26」と書いてあります。車両タイプにJRの文字が、今も残されているんですね…。^^


その後も、車両内のあちこちで、

日本語を見つけては、喜ぶ私たち。笑


出発まで、あと12分。


(つづく)

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