MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 56 - ワット・シーサケット④ 中庭 と、ワット・ホープラケオ①(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ビエンチャン最古の寺院である、

ワット・シーサケットに来ています。


本堂の回廊を歩いたあとは…、

本堂の外に出て、中庭を歩きました。

きらびやかな山車やストゥーパが並んでいます。

それぞれのストゥーパには、古い写真がはめこまれていました。はじめは、お墓なのかな、と思ったのですが…、

かつてラオスに貢献した、政治家や官僚の写真だそうです。美しい婦人に魅かれて、撮ってしまいました。😊

黄色い花は、イエローベル(ノウゼンカズラ科)というそうです。この塀の向こう側は、ついさっき歩いていた、ラーンサーン(Lane Xang)通りになります。

中庭をくまなく歩きました。

34年前の写真です。奥に写っているストゥーパと家屋は、上の写真に写っているものです。この、同じ場所を歩いていたんですね。^^

再び、ワット・シーサケット博物館の入り口まで戻りました。

来るときは裏門から入りましたが、帰りは正門から退出。^^


時刻は午後4時を過ぎていました。

このあとは、特に予定もなかったので、

のんびり歩いて帰ろうかな、

と思っていました。

ところが。


ワット・シーサケットのお向かいに、ワット・ホープラケオというお寺があるのを、多動夫が見つけてしまいました。😔


ガイドブックとかを見ながら、

めざして歩いていたわけでもないのに、

この人はどうしてこう、鼻が利くのか…。


さっきのタート・ダムもそうでしたが、

あてもなく歩いていたはずなのに、

なぜか重要なスポットに来てしまう…。

来ちゃったからには、

夫は、中を歩かないと気がすまない。

こうして、一日中、延々と歩くことになるのは、

ルアンパバーンですでにご紹介済みです。😔


今、この日記を書いていてふと気がついたので、

夫に確認してみました。

思ったとおりです。

「ワット・シーサケットの隣りに

 ワット・ホープラケオがある。」

ということを、

事前に、つまり、ホテルを出発する前から、

知っていたそうです。🙀🙀


はじめから、

両方のお寺に行くつもりだったんですね…。

でも、あらかじめ、私にそれを言うと、

「そんなにお寺ばかり行きたくない。」とか、

「どこまで歩かせるんだ。」とか、

ブーイングになるので、わざと教えることなく、

たまたま通りがかったふりをして、

あちこちのスポットを歩かせたらしい…。


どおりで、ルアンパバーンでも、

なんとなく歩いているうちに、

どんどん訪問先が増えていったはずです。😔

夫ははじめから知っていたのに、

たまたま近くを通りがかったふりをした。

そして私を、次々と、

いろんなスポットまで歩かせたのだ、

…と、初めて気がつきました。(←いまさら)

なんてこった。


これからはもう、だまされないからねー!😠


案内には、「ホープラケオ記念博物館」と書いてあります。

ワット・ホープラケオです。

美しい曲線を描く屋根はルアンパバーン様式ですが、本堂の周囲に広縁をめぐらしてあるのは、ヴィエンチャン様式。^^


【ワット・ホープラケオ】

かつて、ラオスの国宝だったエメラルド仏が祀られていた寺院です。エメラルド仏は、紀元前に古代インドのマガダ国で誕生しました。その後、内戦から守るため、スリランカに運ばれ、更に現在のカンボジア、タイのアユタヤなど、諸国を転々と移動しました。そして1565 年、ラオスの前身であるラーンサーン国王によって、首都ビエンチャンに移されました。そのときに、エメラルド仏を安置するための寺院として、ワット・ホープラケオが建立されました。その後約200年もの間、エメラルド仏は、ラオスの信仰の象徴となりました。しかし、1779年に、シャム王国(現タイ)との戦争によって略奪されてしまいます。そのような経緯を経て、現在、エメラルド仏は、タイのワット・プラケオに祀られています。

世界中の観光客で賑わうタイのワット・プラケオは、タイを代表する王宮寺院で、「エメラルド寺院」とも呼ばれています。しかし250年前、そのエメラルド仏がラオスにあったということは、あまり知られていません。


タイ・バンコクのワット・プラケオ(エメラルド寺院)。(画像は、タイイクマガジンより。)

初めてタイに行ったときに訪れた、ワット・プラケオ。26歳と28歳でした。(1986年5月2日 )


ということで、ここから、

ワット・ホープラケオの見学が

始まってしまいました。😔


いまここ。😊


(つづく)

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