34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 56 - ワット・シーサケット④ 中庭 と、ワット・ホープラケオ①(2025年3月17日/4日め)
2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)
3月17日(月)- 4日め
ビエンチャン最古の寺院である、
ワット・シーサケットに来ています。
本堂の回廊を歩いたあとは…、
本堂の外に出て、中庭を歩きました。
きらびやかな山車やストゥーパが並んでいます。
それぞれのストゥーパには、古い写真がはめこまれていました。はじめは、お墓なのかな、と思ったのですが…、
かつてラオスに貢献した、政治家や官僚の写真だそうです。美しい婦人に魅かれて、撮ってしまいました。😊
黄色い花は、イエローベル(ノウゼンカズラ科)というそうです。この塀の向こう側は、ついさっき歩いていた、ラーンサーン(Lane Xang)通りになります。
中庭をくまなく歩きました。
34年前の写真です。奥に写っているストゥーパと家屋は、上の写真に写っているものです。この、同じ場所を歩いていたんですね。^^
再び、ワット・シーサケット博物館の入り口まで戻りました。
来るときは裏門から入りましたが、帰りは正門から退出。^^
時刻は午後4時を過ぎていました。
このあとは、特に予定もなかったので、
のんびり歩いて帰ろうかな、
と思っていました。
ところが。
ワット・シーサケットのお向かいに、ワット・ホープラケオというお寺があるのを、多動夫が見つけてしまいました。😔
ガイドブックとかを見ながら、
めざして歩いていたわけでもないのに、
この人はどうしてこう、鼻が利くのか…。
さっきのタート・ダムもそうでしたが、
あてもなく歩いていたはずなのに、
なぜか重要なスポットに来てしまう…。
来ちゃったからには、
夫は、中を歩かないと気がすまない。
こうして、一日中、延々と歩くことになるのは、
ルアンパバーンですでにご紹介済みです。😔
今、この日記を書いていてふと気がついたので、
夫に確認してみました。
思ったとおりです。
「ワット・シーサケットの隣りに
ワット・ホープラケオがある。」
ということを、
事前に、つまり、ホテルを出発する前から、
知っていたそうです。🙀🙀
はじめから、
両方のお寺に行くつもりだったんですね…。
でも、あらかじめ、私にそれを言うと、
「そんなにお寺ばかり行きたくない。」とか、
「どこまで歩かせるんだ。」とか、
ブーイングになるので、わざと教えることなく、
たまたま通りがかったふりをして、
あちこちのスポットを歩かせたらしい…。
どおりで、ルアンパバーンでも、
なんとなく歩いているうちに、
どんどん訪問先が増えていったはずです。😔
夫ははじめから知っていたのに、
たまたま近くを通りがかったふりをした。
そして私を、次々と、
いろんなスポットまで歩かせたのだ、
…と、初めて気がつきました。(←いまさら)
なんてこった。
これからはもう、だまされないからねー!😠
案内には、「ホープラケオ記念博物館」と書いてあります。
ワット・ホープラケオです。
美しい曲線を描く屋根はルアンパバーン様式ですが、本堂の周囲に広縁をめぐらしてあるのは、ヴィエンチャン様式。^^
【ワット・ホープラケオ】
かつて、ラオスの国宝だったエメラルド仏が祀られていた寺院です。エメラルド仏は、紀元前に古代インドのマガダ国で誕生しました。その後、内戦から守るため、スリランカに運ばれ、更に現在のカンボジア、タイのアユタヤなど、諸国を転々と移動しました。そして1565 年、ラオスの前身であるラーンサーン国王によって、首都ビエンチャンに移されました。そのときに、エメラルド仏を安置するための寺院として、ワット・ホープラケオが建立されました。その後約200年もの間、エメラルド仏は、ラオスの信仰の象徴となりました。しかし、1779年に、シャム王国(現タイ)との戦争によって略奪されてしまいます。そのような経緯を経て、現在、エメラルド仏は、タイのワット・プラケオに祀られています。
世界中の観光客で賑わうタイのワット・プラケオは、タイを代表する王宮寺院で、「エメラルド寺院」とも呼ばれています。しかし250年前、そのエメラルド仏がラオスにあったということは、あまり知られていません。
タイ・バンコクのワット・プラケオ(エメラルド寺院)。(画像は、タイイクマガジンより。)
初めてタイに行ったときに訪れた、ワット・プラケオ。26歳と28歳でした。(1986年5月2日 )
ということで、ここから、
ワット・ホープラケオの見学が
始まってしまいました。😔
いまここ。😊
(つづく)


















